四 金色 後編



 混戦になるかと思ったが、立てていた槍を華麗な動作で構えて飛び出してきたのは先頭の男一人だけだった。ばさばさと翻るマントの上からでもわかる、先程までの不気味な静けさからは考えられない身のこなしだ。


 対人戦は初めてだが、落ち着いて敵の動きを見ればいい。勇者は冷静に相手の動く先を見定めると、突き出された槍の一撃を弾き上げ──られない!


 こいつも、内炎魔法を!


 危うく身を躱す。しかし容易く魔獣の骨を断つ聖剣の切れ味ならばこんな細い槍程度、簡単に切り飛ばせるかと思ったが、叩き込んだ刃はビィンと奇妙な音を立てて槍ではない何かに弾かれた。


 顕現陣の、盾?


 剣と槍がぶつかる度、空中に一瞬だけ赤く光る蔦模様のようなものが見える。それが見えない壁になって聖剣を弾いているのだ。


 くそ、遠いな!


 不利だった。内炎魔法の強さだけならばおそらく勇者が勝っていたが、槍の届く範囲で戦っている限り剣先は相手へ届かない。懐に飛び込む隙はどこにもなかった。圧倒的に、技量で負けている。


「眠りの魔法を使え、ルーウェン!」

 このままでは確実に負ける。隙ができる危険を冒して叫ぶと、後ろから精一杯大きい声を出したような、少なくとも囁き声ではないエルフの綺麗な声が響いた。


「使うと、針葉樹も、寝ちゃう」

「じゃあ使うな! 他に何か無いか」

「ほ、他に」


 無いらしかった。


 その上、意識を背後に割いたせいで敵に隙を突かれた。何をやったか全くわからない達人めいた動きでフードの男がくるりと槍を振り回したかと思うと、次の瞬間には簡単に聖剣を弾き飛ばされ、跳ね上がった右手が燃える槍に貫かれて背後の木に縫い止められていた。


 それをちらりと見た勇者がすかさず左手で腰の短剣を抜くと、男も槍を手放し、マントの内側からすらりと流れるような動作で剣を抜く。


 相手は長剣、こちらは左手の短剣。技量で負けている上、ろくに身動きも取れない。


 体を捻って木から槍を引き抜くには相手に隙がなさすぎた。しかし──策を練る間も無く心臓を狙って突き入れられた剣を逸らそうと、勇者が身構えたその時──背後から左腕が掴まれ強く引かれたかと思うと、黒いマントを翻した賢者が迫り来る剣先の目前へと滑り込んだ。


「フルム=スクラ!」


 鋭く唱えて手をかざした賢者の前に、燃える槍の明かりがなければきっと見えないだろう黒い顕現陣が現れた。次の瞬間には息の根を止める剣の一撃がその中央へ叩き込まれ、盾ごと突き飛ばされた賢者が呻き声を上げて勇者の腹に叩き付けられる。


「早くしなさい! 長くは保たぬ!」

 首筋に汗を流しながら二撃目を受け止めた賢者が声を上げると、ふわりと現れた魔法使いが「痛いけど、我慢」と言いながら木の幹から槍を引っこ抜いた。

 素早く屈んで血を流す右手で聖剣を拾うと、賢者の襟首を掴んでくるりと位置を入れ替え、背後に押し込みながら三撃目を受け止めた。


「……お前の信仰がどんなもんだか俺にはわからんが」


 間近で切り結ぶと、現れてから一言も喋らないフードの男の金色に光る瞳が見えた。ガラス玉のように透き通った、怒りも憎しみも希望すらない、強さしかない瞳。


「俺は俺の仲間を守るし、仲間の住む世界を守る。この世界は穢れてなんかない。まだ綺麗なものも愛すべきものも沢山あるこの場所を滅ぼすのが、本当に神の望みだと、心から思ってるのか?」

 やはり剣も技量では負けていたが、しかし勇者はそれを怒りに任せて弾き飛ばした。

「いいか、神託を受けたのはお前らじゃなく俺達のロサラスだ。その事をもう少し──そんなガラス玉みたいな目ぇしてないで、ちゃんと自分で考えてから出直してこい!!」


 力を込めた蹴りを腹に叩き込むと、男は呆気なく後ろに吹き飛んで側近らしき男に受け止められた。

 金の瞳の異端審問官は痛みを感じている様子もなく立ち上がったが、しかし彼はフードの陰から勇者をじっと見つめるとマントの内側に剣を納め、数秒の後、ふっと踵を返して森へと去った。後に続いたマントの人影が次々と、穂先の炎を消して闇に溶け込むように消えてゆく。


 そして夜半の森に、暗闇と静寂だけが残った。





 吟遊詩人が目を凝らして敵の転移を確認し、身を隠すために少し場所を移動してから小さな魔法の明かりを灯して、針と糸を取り出した神官がすまなそうに言った。


「すみません、勇者。あの槍は火の神官が持つ特別な槍でして。あの炎──顕現術で負わされた傷は、顕現術では治せないのです」

「……それより、なんで去った?」


 敵の気配が消えたのを自分でも確かめてから、勇者が囁いた。

「わかりません……勇者が思ったよりも強かったのでしょうか。異端審問官は戦士ではありませんから、想定外の反撃に遭えば基本的には一度引いて体制を整え直すはずです」

「また……来るってことか」

 闇を睨んで唸るように言うと、神官が静かに頷く。小さな声が消え入るように響いた。

「ええ。しかし今はとにかく、その手の傷を塞ぎましょう」


 少しぐったりした様子の賢者が何だかわからない術をかけた右手には、何の感覚もなかった。神官に握られている感触すらないそれが気持ち悪くて指を動かすと、すぐに「動かさないで」と叱られる。


「流石、火の女神がお選びになった勇者だからでしょうか。火傷を負っていないのは幸いでした。縫合してきちんと薬を塗れば、傷跡は残りますがちゃんと良くなりますからね」

 縫われているところを見てみたかったが、後ろからガタガタ震えている吟遊詩人の手が両目を塞いだので何も見えなかった。


「大丈夫、すぐ終わるからね。痛くないからね。神官に任せとけば、ちゃんと治るからね──」

「……なあ吟遊詩人、怖いなら向こうに行っとけって。俺は大丈夫だから」

「なななんで勇者はそんな平気そうなの? や、槍が、槍が貫通して」

「あー、思い出すな思い出すな。手の怪我くらいじゃ死にゃしないし、痛みだって我慢できる範囲だよ。というかお前はちゃんと目、閉じてるか?」

「僕が……塞いでる」


 すっかりいつもの囁き声に戻った魔法使いの言葉に安心しているうちに、手早く縫合は終えられたようだった。縫い目が見たいと言ってみたが、「ひっ」と声を上げた吟遊詩人の手の圧力が増しただけで何も見せてもらえず、ようやく解放された時には綺麗に包帯が巻かれてしまっていた。強く押さえられすぎて視界がぼんやりする。


「まあいいか、包帯替える時に見れば」

「ねえ、だからなんでそんな平気そうなの? ていうかなんで見たいの!?」

「腕のいい医者の仕事って見てて気持ち良くないか?」

「わけわかんない、信じられない……」


 そんな勇者達のやりとりに「ふふ」と笑いをこぼすと、道具を片付けた神官が一仕事終えた後のスッキリした笑顔で優しく言った。

「さて、治療も終えた事ですし……何から聞きたいですか、勇者?」


 聞きたいことは山ほどあったが、しかし勇者にはそれよりも気掛かりなことがあった。

「いや、その前に……お前は大丈夫か、神官?」

「私ですか? ……ああ、まだ少し熱がありますが、こうして座っていればお話はできますよ」

「いや、そうじゃなくて……お前、神殿を、それに名前も、奪われたとかさ……」


 勇者の言葉に神官は「あなたは本当に優しい人ですね」と微笑むと、唇に人差し指の関節を添えて少し考えるように首を傾げた。

「『狼』の呼び名が恋しいですか、勇者?」

「なんでその名を……」

 目を丸くした勇者を見て、神官はなんてことないように肩を竦めた。

「神託とはそういうものです。それで、どうなんです?」

「いや……別に、恋しくはない」


 仲間ができた勇者にとって、もうその名は苦痛をもたらすものでもなくなっていたが、しかし特に呼ばれたいと思う名でもなかった。

「それと同じようなものですよ、シダル。私にはまだ生まれた時の名前もありますし、何よりロサラスの名をあなた方が呼んでくださるじゃありませんか。神殿は敵になってしまいましたが、神々は変わらず我々の味方です。本当に大切なものは一つもなくしていませんから、なんの心配もいりませんよ」

 そう言って微笑んだ神官の顔は心から爽やかで憂いなく、勇者はこの男の本当の強さを思い知らされたのだった。


「──そなたがまず知っておくべきは神殿の深い事情よりも、魔力の色とその性質であろうな」

 するとだいぶ疲れ切った様子で焚き火の前に座り込んでいる賢者が口を挟んだが、しかしそれを遮って神官が彼に向かって手を差し出したので、話の続きは聞けなかった。


「賢者、あなたかなり無理をして魔力効率の悪い護りの術を使ったでしょう。少し魔力を分けて差し上げますから、手を出してくださいな」

 その言葉に、魔力を分けるなんてことができるのかと勇者は興味津々で目を向けたが、しかし賢者は嫌そうに顔をしかめると首を振った。


「いや、病人から奪うほど枯渇してはいない。加えて……魔力譲渡を受けるのは個人的にもできるだけ避けたい」

「まあ、確かに体温を分けるような感じがしますから、人嫌いな方にとっては少し親密な感じが過ぎるのかもしれませんが……あなた意外と我儘ですね?」

「黙れ、触るな」

「……手を握ると、魔力を分けられるのか?」


 尋ねると、これには吟遊詩人が首を振った。

「あ、勇者は無理だよ。皮膚に魔力経路がないから。勇者の場合は口に……って、あっ、そんなの」

 頰に手を当てて何やら恥ずかしがり始めた吟遊詩人を眉を寄せて見ていると、神官が楽しそうに笑った。

「私達の手には経路があるのですから、別に口づけしなくたって指を口に入れて差し上げれば譲渡できますよ」

「あ、そっか。良かったあ……いや口に手を突っ込むのもちょっと嫌だけどさ……」

「えっ、俺、そんな方法でしか魔力分けてやれないのか……?」


 勇者がその光景を思い描いて屈辱感に肩を落としていると、額を青褪めさせた賢者が目だけ妙に生き生きとさせて鼻で笑った。

「ふむ、口腔粘膜に抵抗があるならば目玉でも構わんが、痛いのではないかね?」

「目玉」

「まあその前に、そなたはもう少し魔力の操作が上手くならねば、受け取る方はまだしも渡す方は難しかろうな」

「うっ……なあお前、なんで俺をからかってる時が一番楽しそうなんだよ……」

「ふん、思い上がるな。新たな知識を得ることに比べればさして楽しくなどない」

「くそっ……なあ、それはいいから早く魔力の色について教えろよ。賢者が黒? 灰色? で神官が水色だろ? それに何の意味があるんだ?」

「ふん」


 鼻で笑った賢者が説明してくれようとしたが神官に黙って休養するよう言われ、代わりに吟遊詩人が得意げに教えてくれた。てっきり、仲間達の描く魔法陣が色とりどりなのでそういうものかと思っていたが、元来色のついた魔力というのは珍しいらしい。


「普通の人の魔力はさ、白……でもなくて、ちょっと黄色っぽく濁った感じの色をしてるんだよね。ほら、だから白く光るランタンは高級品なの。赤く光っちゃって困るとかいう人はほとんどいないから、需要がないんだよね」

 吟遊詩人の説明にふむふむと頷いていると、その後を神官が引き継いだ。

「そのように魔力に色がついていることを、例えば青ならば『水の祝福を受けている』という風に言います。このように──」


 そして話しながら指先ですうっと空中に光の線を引いたので、勇者は思わず声を上げた。

「あっ」

「どうしました?」

「もしかして、あの光る魔法陣ってそうやって描いてるのか? なんであんな模様がいきなり空中に現れたりするんだろうって思ってたんだが」


 神官はパチパチと瞬きをすると頷いた。

「おや、知らなかったんですか。これを見ただけでよくわかりましたね。そうですよ、こうして──」

 神官が空中に手をかざすと、そこにゆっくりと水色に光る円が描かれ、その中でするすると優美な曲線が複雑に編まれていった。


「慣れないうちは指でなぞったりもするのですが、こうやって手や足から魔力を流して描くんです。ただ速度に個人差はあれ、今のように少しずつ描かれるのではなく、全ての紋様を一度に出現させられるのはおそらく賢者だけですね」

「へえ……」

 視界の端で魔法使いが指先で空中に銀色の丸を、親指の爪ほどの小さく歪んだ丸を描き、哀しげにため息をついてそれを消していた。


「話は戻りますが、魔力の色はですね……あ、すみません」

 神官が突然額を押さえて俯いたので、勇者は慌てた。

「おい、大丈夫か?」

「調子に乗って顕現陣など描くからだ。今日はもう休みなさい」

 木に寄りかかって座った賢者が馬鹿にした顔で言う。

「うわ、俺のせいか。ごめんな」

「いえ……」


 そうして話は途中だったが、この日の語らいはお開きになった。焚き火に薪を足して休む準備を始めていると、吟遊詩人が呆れたように腰に手を当ててそんな彼らをぐるりと見渡す。


「本当に、無理しすぎだよ。今夜は僕と魔法使いで見張りをするから、具合の悪い人達は一晩ちゃんと寝て」

「俺は具合悪くないぞ?」

「勇者が一番重症だから!! ねえ、ほんとに、馬鹿なの君?」

「ええ?」

「否定はできんな」

「おい」


 幸いにも敵が引き返してくることはなく、その夜は無事に過ぎていった。パチパチと、あの男の瞳にどこか似た金色に爆ぜる焚き火を眺め、そしてゆっくり目を閉じると泥のような深い眠りが訪れて──次に起きた時は、きっともう朝日が訪れているのだろう。


 次も、その次もずっとその朝日を待っていられるように、強くならねばならなかった。





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