三 金色 前編
そして旅立ちから一週間、勇者は「仲間」としては良くてもどうやら「旅の仲間」としては向いていなかったらしい面々の世話に翻弄されていた。そう──今は丁度、神官ばかりに気を取られてちゃんと見ていなかった賢者の様子が、よく見るとおかしいことに気づいて慄いているところだ。口数が目に見えて減っているし、何より目つきの……得体の知れない深さが尋常ではない。
「な、なあ……賢者、お前ほんとに大丈夫か? ちゃんと眠れてるか?」
「私は問題ない。それよりも神官を見てやりなさい、おそらく熱があるぞ」
「ほんとかよ……いやでも賢者、お前それ──」
こうして勇者が見ている間にも、顔を洗いに泉へと向かう足取りの確かさに反して目の下に深い隈を作った賢者が、苛立ちを押さえつけたような顔をしながら通りすがりに藪の葉っぱを乱暴に引き千切って口に入れていた。
「なあそれ、美味しいのか……?」
「おいしくない」
まずいな、本格的におかしくなってる。
「……今日の移動はなしにするから、お前もちゃんと休養とれよ?」
「黙れ、話しかけるな……」
賢者は覇気のない声で言うと、すっかりご機嫌斜めになったまま木立の奥に消えていった。やれやれと首を振った勇者が気を取り直して神官の様子を見に行こうとすると、ちょんちょんとマントを引っ張られる。見下ろすと、賢者の真似をして黒みがかった葉をもぐもぐしている妖精が勇者と目を合わせて重々しく頷いた。
「僕は……おいしいと思う」
「……そうか」
「目が覚める、薬草だね」
「ああ、そういうやつなのか」
意味もなくその辺の葉っぱを食べ始めたのではなくて少し安心した。とはいえ薬として調合したりしないあたりやはり様子はおかしいので、少し一人でゆっくり休ませてやろうと頷いて神官の元へ向かう。
地面にぐったりと落ちているマントの塊を覗き込むと、神官の方はとうとう熱を出して寝込んだようだった。しかし流石は医者というべきか、彼の寝込み方は優秀だった。食欲なさげにしながらも魔法使いの作ったシチューにパンを浸してしっかり食べ、水を飲んでできるだけ眠り、よく体を休めている。
「すみません、一日あればもう少し動けるようになりますから」
「いや、気にするな。ほら、地蜂の幼虫がいたから食っとけ。疲れが取れる」
「い、いえ……私は虫は、ちょっとごめんなさい、口に入れるのは気持ち悪いです……」
「そうか? まあシチューはちゃんと食ったし、嫌なら無理にとは言わないが……美味いぞ?」
そう言ってつやつやして柔らかいそれをぽいと口に放り込んだ瞬間、ぱたりと小さな音がして厄介ごとが増えた。地面に座り込んだエルフが勇者の方を見て、いつもの伏し目がちな無表情が嘘のように目を見開いた顔で、ぽろぽろと宝石のような涙をこぼして泣き始めたのだ。
「何だ、どうした魔法使い!?」
「赤ちゃん、赤ちゃんが……」
「はあ? 赤ちゃん……もしかして蜂の子か!?」
妖精は涙の粒をキラキラと後に引き連れながら森へと走り去り、後には呆然とした勇者と熱で苦しそうな神官、苦笑いが板についてきた吟遊詩人が取り残された。
「虫、好きだったみたいだね……」
「あいつ、どこ行ったんだろ……というか、賢者も見当たらなくないか?」
「まあ二人とも大人なんだし、大丈夫でしょ。僕が探しとくからさ、勇者も少し休憩しなよ」
明るい笑顔が向けられた。へんてこで弱々しい仲間達の中で光るまともな気遣いに感動する。
「吟遊詩人、お前……」
「あ」
そして千里眼の少年は視力を抑える呪布を外した途端、顔を青くして地面に座り込んだ。
「おい、どうしたお前まで」
「向こうで……鷹が子兎を……引き裂いて、雛に」
「……そうか、怖かったな」
「ごめん……」
「いや、まあ仕方ないだろ」
さて、神官の隣に吟遊詩人を寝かせた勇者はため息をついて頭をかきながら、行方不明の仲間達を探しに出た。少し歩き回ったが、どうやら近くの泉から更に奥へ行った所にもう一つ小さな湧き水があったらしく、幸いにも二人ともそこにいた──というか、泉のほとりに座った魔法使いが透明な花に囲まれながら楽しそうに撫でているのが横になってすやすや眠る賢者の頭だったので、それを見つけた勇者はヒュッと腹の底が冷えて身構えながら少し後ずさった。
「おい……それはまずいぞ、魔法使い……」
「あ……針葉樹」
しかしすっかり落ち着いた様子で振り返った魔法使いの目尻が少し赤かったので、勇者は先程の様子を思い出して一旦目の前の緊迫した状況を忘れると眉を下げた。
「あー、魔法使い。さっきはごめんな……もう虫は食わないから」
だが、魔法使いはもうそのことで悲しんではいないようだった。少し寂しげな様子ではあったものの、意外なことに彼は小さく首を横に振る。
「ううん……森の生き物が、小さい生き物を食べてしまうのは……しかたのないことだから」
「……森の生き物」
勇者は一瞬遠い目になったが、気を取り直して一番の気掛かりへと目を向けた。
「それにしても……よく賢者をそんな風に寝かしつけたな。お前ら、そんなに仲良かったか?」
「ううん、とても抵抗したから……魔法で寝かせたよ」
妖精がこともなげにそう言ってまた黒い頭をよしよしと猫か何かのように撫でたので、勇者はこれは起きたら大ごとだぞと戦々恐々としながらそれを眺めた。
「毛並みが……やわらかいよ」
「いや、毛並みって……魔法ってのは、あの
「うん、そう……針葉樹の毛は、かなり硬い」
「そ、そうか……すまんな」
「大丈夫……それはそれで、かわいいから」
勇者は感性が独特すぎる妖精との会話に段々とわけがわからなくなりながらも、どうやら「すやすや」ではなく魔法で昏睡しているらしき賢者へ同情の視線を投げた。
「……まあ寝不足だったみたいだし、いいか」
「ん……かわいい、かわいい」
「おい、流石に撫でるのはやめとけよ……起きたら怒るぞ、賢者」
「……そうなの?」
「俺でもそこまでされるのはちょっと嫌かな……」
「人間って……群れるのに、警戒心が強いんだね」
「いや、というよりまあ、賢者も大人だし、男だし……」
「……ん?」
「あ、わかんないか……」
魔法使いが全く人間の感性を理解していなさそうなのに加え、呑気なエルフに撫でられている賢者が目覚める瞬間にも居合わせたくなかった勇者は、何かあれば大声で呼ぶように言って早々に退散した。
その後、よく眠れたのか顔色が良くなって戻ってきた賢者が一言も口を利かず、すっかり項垂れた様子の魔法使いが崩れるようにぺしゃっと吟遊詩人の隣に座って元気の出る曲を要求していたので、やはり何か恐ろしいことが起きてしまったようだった。
そうやって体調を崩す仲間も出た時に、一日の休養を取ったのは間違いではなかった。それは確かなことだったが──しかしもし神官を背負ってでも歩みを進めていれば、あの夜にはもう少しましな応戦ができたのかもしれないと、勇者は後になって少しだけ思うのだった。
◇
はじめに異変を感じたのは、夕食を終えて焚き火を囲んでいる時だった。まだ熱の下がらない神官にマントを貸してやっていた勇者は、ふと顔を上げて眉をひそめた。何かはわからないが、魔獣とは違う何かが迫っているような妙な気配がしたのだ。
「何だ……?」
立ち上がって周囲を見回す勇者を見上げて吟遊詩人が呪布を解き、賢者がさっと手をかざして何か呟くと、焚き火の明かりが煙も立てずにふっと消えた。見れば暗闇の中で、森の向こうを見つめる吟遊詩人の緑の瞳がぼうっと淡い光を放っている。少年は魔法の瞳で木々の向こうを見通すと、緊迫した囁き声で言った。
「……マントを着た人間が五人走ってくる。火持ちばっかり五人だ。全員手に、何か変な……生き物みたいに魔力がある槍を持ってる」
「火の神官か。距離は」
「いや……もう、すぐそこだよ。逃げる間はないと思う」
「ふむ」
神殿──
狂信に染まった追っ手とやらにとうとう追いつかれたらしい。勇者は気を引き締めると吟遊詩人の視線の方向に進み出て聖剣を抜き、森を睨み据えたまま尋ねた。
「どうしたらいい? 殺すか? 生け捕りか?」
「……いや、神殿の性質からしていきなり槍を向けてくる可能性は低い。ひとまずは様子を窺う。剣は納めておきなさい、あまり敵対心を見せぬ方が良い」
その言葉に勇者は頷いたが、しかし剣の構えは解かなかった。
「わかった。でも剣をしまうのは、そいつらが出会い頭に襲ってこないことを確認した後だ。お前らを背にしてる以上、それは譲らない」
「それで構わぬ」
闇から滲み出るように現れたのは、塔の中に現れた気の神官と同じような、しかし少し丈の短いマントのフードを目深に下ろした集団だった。先頭に立っている、おそらく男だと思われるフードの人物が手にした槍を軽く振ると、ボッと音を立てて松明のように穂先へ赤い火が灯る。
音もなく燃え盛るような異様な気配を纏った人影が、その火に照らされて長い影を揺らしながらその姿を浮かび上がらせた。マントの色は、たぶん暗い赤だ。陽の光の中で見ればきっと血のような色をしているのだろうと思わせる雰囲気に少し呑まれながらも、勇者は油断なく敵を観察し、そしてゆっくりと剣を背の鞘に納めた。
「スティラ=アネス、火の第二異端審問官である」
先頭の男へ付き従うように立っていた比較的小柄なフードの人物が、不気味なほど静かな低い声で名乗った。感情の抑えられた平坦な語調に、勇者の背筋へ冷や汗がつたう。
「……ふむ、何用かね?」
だがそれに答えた賢者がそれよりずっと低く、ずっと平坦で、まるで心がないような恐ろしい声をしていたので、勇者は少し肩から力が抜けた。大丈夫、賢者の方が怖い。
しかしマントの男はそれには答えなかった。男は賢者の問いかけが聞こえていなかったかのように、勇者の後ろで上体を起こして座ったまま静かに事の行く末を見つめていた神官へと、フードで隠れた顔を向けた。
「──
「おや、私に御用でしたか」
答えた神官の声は全くいつも通りの優しい声で、勇者は少しも引いていないその様子に感心したものの、その笑みすら滲ませる穏やかさに何かただならぬものを感じ取って心配になった。こんなに清廉な人が裏切り者扱いされて、辛くないはずがない。庇ってやりたいが、神殿を知らぬ勇者では口を挟めない──
しかし異端審問官とやらは態度こそ穏やかではあるものの、勇者達と会話をする気はないようだった。彼らは神官の先を促すような声にも一切の反応を見せず、ただ魔術仕掛けの人形のように淡々と言葉を紡ぐ。
「故に水の
するとその宣言を受けて、先頭の男を除く後ろに控えた三人のフードの人影が声を揃えて感情のない声で淡々と唱えた。
水の子ファーリアスの名は永遠に奪われる
我ら火の審問団によって、この裁きは認められた
異端者よ、この罰をもって己が行いを悔いよ
彼らの異様な様子とその言葉の内容に目を見開いた勇者は神官を振り返って見つめたが、どうやら神殿からの追放を言い渡されたらしい彼に動揺の色はなかった。
「構いませんよ。今の神殿から除籍されたところで、私には何の痛手もありません」
熱に浮かされた体でゆらりと立ち上がった神官の全身から、闇の中に青く光る霊気のようなものが立ち昇っていた。借り物の杖に縋って立つ姿勢は弱々しいのに、炎に照らされたその瞳は背筋が震えるほど強く真っ直ぐで、勇者は初めて見る怒った神官の姿に気圧されて呆然とその場に立ち竦んだ。
「──神殿を裏切る、ですって? それは違います。私は、今まで一瞬たりとも神殿に仕えていたことなどありませんよ。私がお仕えしているのはただひとり信ずる神オーヴァスのみであり、そして私は神の御言葉に従ってここにこうしているのです──正しき信仰を見失った者らよ。口を慎め、異端はあなた方だ」
すっと目を細めて厳しい声で言い渡した神官は神々しいまでに清廉な空気を纏っていて、誰がどう見ても、正しいのは彼であった。
信仰に明るくない勇者でさえ、この人が味方をしている自分はきちんと善の側にいるのだという安心感に包まれたのに、しかし神殿の人間であるというフードの男達には少しもそれが響いていないようだった。
「世迷い言もここまでとなれば、我々程度では救いようがない。勇者を差し出さぬとあらば、神罰をもってその穢れを払うのみである」
まるで見えない壁に遮られているように心が届かない不気味な声が、不気味な言葉を紡いだ。
その言葉が合図となったのか、五人が一斉に構えた槍の先に紅蓮の火を灯して勇者へとその切っ先を向ける。それと同時に、敵を鋭く睨んだ勇者も聖剣を抜き放った。
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