北魏22 侵攻始末2
そこに改めて
かつ周辺の軍事総督の任につけられた。
北魏軍は侵攻最後の仕上げとして
軍を動かしつつ周辺の旧晋亡命者を糾合、
許昌城を攻めさせ、
かつ現地人の
言わば李元德ぶちのめす宣言である。
李元德は応戦を考えたのだが、
なにせ戦力の差が激しすぎた。
夜のうちに許昌城の女牆、
つまり城壁の上にあるあの凸凹が
すべて破壊されてしまい、
守備力を阻喪させられてしまう。
たまらず李元德は
北魏軍は別に
城守の
やはり項城に逃げ込んだ。
もはや北魏軍、やりたい放題である。
男は軒並み殺し尽くし、
婦女 12000 人余りを、さらった。
項城防衛のサポートを任じて派遣、
併せて副官の
その後を追わせた。
北魏軍は許昌のあと、更に
ここの城も破壊。またここに国境を定め、
ついに撤収するのだった。
時宣威將軍、潁川太守李元德戍許昌,仍除滎陽太守,督二郡軍事。其年十一月,虜遣軍并招集亡命,攻逼許昌城,以土人劉遠為滎陽太守。李元德欲出戰,兵仗少,至夜,悉排女牆散潰,元德復奔還項城。虜又圍汝陽,太守王公度將十餘騎突圍奔項城。虜又破邵陵縣,殘害二千餘家,盡殺其男丁,驅略婦女一萬二千口。劉粹遣將姚聳夫率軍助守項城,又遣司馬徐瓊五百人繼之。虜掘破許昌城,又毀壞鍾離城,以立疆界而還。
時に宣威將軍・潁川太守の李元德は許昌を戍り、仍ち滎陽太守・督二郡軍事に除せらる。其の年の十一月、虜は軍を遣り并せて亡命を招集し、許昌城に攻逼し、土人の劉遠を以て滎陽太守と為す。李元德は出戰せんと欲せど、兵仗は少なかれば、夜に至り、女牆を悉く排し散潰し、元德は復た項城に奔還す。虜は又た汝陽を圍み、太守の王公度は十餘騎を將い圍を突きて項城に奔ず。虜は又た邵陵縣を破り、二千餘家を殘害し、盡く其の男丁を殺し、婦女一萬二千口を驅略す。劉粹は將の姚聳夫を遣りて軍を率い項城を助守せしめ、又た司馬の徐瓊を遣りて五百人にて之に繼がしむ。虜は許昌城を掘破し、又た鍾離城を毀壞し、疆界を立つるを以て還ず。
(宋書95-24_政事)
ちなみにここでいきなり名前が出てきた鍾離は、将来に北魏対南斉で発生する大戦の舞台ともなります。ただ、その前に
あと、邵陵での虐殺及び略奪、これはどう判断したもんかねえ。なんとなく索虜の残虐さを強調したいフカシのようにも思えるのだよな。基本的に拓跋の南下って北にいたらジリ貧だから、って要素もあるように思うし、そうなると人的資源の確保はかなり重要なのかな、って気もしないではないけれど。
まぁ、ここでも下手な確定はしないほうが良さそうですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます