北魏21 侵攻始末1

北魏ほくぎ虎牢ころうを陥落させた後、

そこに守兵を配し、それ以外の軍は

大半が北に撤収した。


劉義符りゅうぎふは表明している。


陽瓚ようさんは、滑臺かつだいの戦いにて

 忠誠を明らかとして最後まで戦い抜き、

 その危地においても決して

 節を曲げることがなかった。

 古の忠烈の士とて、

 彼にかなうものではあるまい。

 給事中を追贈し、

 また主を失った遺族らをあわれみ、

 陽瓚に代わり彼らの生活を保障する」


傅亮ふりょう彭城ほうじょうにある陽瓚の家に、

建康けんこう城にあった絹一百匹や粟三百斛を

支給するよう提案。恐らくは採択された。

また顏延之がんえんしが追悼文を執筆した。


一方、今回の戦いで我先にと逃げ出した

徐琰じょえん王景度おうけいどには髷を落とさせ、

首に枷をはめての労働刑とした。

刑期は徐琰が五年、王景度が四年である。




虜既剋虎牢,留兵居守,餘眾悉北歸。少帝曰:「故寧遠司馬、濮陽太守陽瓚,滑臺之逼,厲誠固守,投命均節,在危無撓,古之忠烈,無以加之。可追贈給事中,并存卹遺孤,以慰存亡。」尚書令傅亮議瓚家在彭城,宜即以入臺絹一百匹,粟三百斛賜給。文士顏延之為誄焉。龍驤將軍兗州刺史徐琰、東郡太守王景度並坐失守,鉗髠居作,琰五歲,景度四歲。


虜の既に虎牢を剋せるに、兵を留め守に居せしめ、餘眾は悉く北に歸す。少帝は曰く:「故寧遠司馬・濮陽太守の陽瓚、滑臺の逼にて誠を厲として固守し、命を投じ節を均し、危に在りて撓無かれば、古の忠烈も以て之に加うる無し。給事中を追贈し、并せて遺孤の存せるを卹れみ、以て存亡を慰むべし」と。尚書令の傅亮は瓚が家の彭城に在り、宜しく即ち臺に入りたる絹一百匹,粟三百斛を以て賜給すべく議す。文士の顏延之は誄を為したり。龍驤將軍・兗州刺史の徐琰、東郡太守の王景度は並べて失守に坐さば、鉗髠して居せるを作さしむ。琰は五歲、景度は四歲。


(宋書95-23_政事)




強制労働刑とは言え、命あっての物種とは言えるでしょうしね。なんともかんとも。


それにしても陽瓚の戦いぶりがしっかりと称賛されてるのがちょっと嬉しいです。マジでいいとこなかったものね。

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