毛徳祖1 王鎮悪の副官  

毛德祖もうとくそ滎陽けいよう陽武ようぶ県の人だ。

毛脩之もうしゅうしの親族なのだが、

なぜか伏せられている。

そういうとこだぞ沈約しんやく


故郷から出てきて、荊州けいしゅうを任された

劉道規りゅうどうきの幹部として仕えた。

劉道規が病死すると、劉裕りゅうゆうの幹部に。

後秦こうしん討伐が始まると,

王鎮悪おうちんあくの副官としてその先駆けをつとめ、

栢谷はくこく趙玄石ちょうげんせきを斬り、尹雅いんが梨城りじょうで破り、

姚難ようなん涇水けいすいで破り、また姚強ようきょうを斬った。

王鎮惡が大功を立てられたのは、

だいたいが毛德祖の力によるものだ。


長安ちょうあん平定後に扶風ふふうの反抗勢力を撃破、

秦州しんしゅう刺史に任じられた。

赫連勃勃かくれんぼつぼつの脅威が高まると、

改めて王鎮悪の副官に任じられるが、

まもなく劉義真りゅうぎしんの幹部に転属となった。

そこで今度は馮翊ひょうよくの反乱勢力を抑え込む。


劉裕が建康けんこうに戻ると、毛徳祖には

司州ししゅう河東かとう平陽へいよう二郡諸軍、

輔國將軍、河東太守の任が与えられた。

任地は蒲坂ほはん劉遵考りゅうじゅんこうの代理であった。




毛德祖,滎陽陽武人也。晉末自鄉里南歸。初為冠軍參軍、輔國將軍,道規為荊州,德祖為之將佐。復為高祖太尉參軍。高祖北伐,以為王鎮惡龍驤司馬,加建武將軍。為鎮惡前鋒,斬賊寧朔將軍趙玄石於栢谷,破弘農太守尹雅於梨城,又破賊大帥姚難於涇水,斬其鎮北將軍姚強。鎮惡剋立大功,蓋德祖之力也。長安平定,以為龍驤將軍、扶風太守,仍遷秦州刺史,將軍如故。時佛佛虜為寇,復以德祖為王鎮惡征虜司馬,尋復為桂陽公義真安西參軍、南安太守,將軍如故。復徙馮翊太守。高祖東還,以德祖督司州之河東、平陽二郡諸軍、輔國將軍、河東太守,代并州刺史劉遵考戍蒲坂。


毛德祖、滎陽の陽武の人なり。晉の末、鄉里より南歸す。初に冠軍參軍、輔國將軍と為り、道規の荊州為るに、德祖は之が將佐為る。復た高祖太尉參軍と為る。高祖の北伐せるに、以て王鎮惡が龍驤司馬と為り、建武將軍を加えらる。鎮惡が前鋒と為り、賊の寧朔將軍の趙玄石を栢谷に斬り、弘農太守の尹雅を梨城に破り、又た賊の大帥の姚難を涇水にて破り、其の鎮北將軍の姚強を斬る。鎮惡の大功を剋立つるは、蓋し德祖の力なり。長安の平定さるに、以て龍驤將軍、扶風太守と為り、仍ち秦州刺史に遷り、將軍は故の如し。時に佛佛虜の寇を為すに、復た德祖を以て王鎮惡が征虜司馬と為り、尋いで復た桂陽公の義真の安西參軍、南安太守と為り、將軍は故の如し。復た馮翊太守に徙る。高祖の東還せるに、德祖を以て督司州之河東、平陽二郡諸軍、輔國將軍、河東太守とし、并州刺史の劉遵考に代りて蒲坂を戍る。


(宋書95-21_暁壮)




北魏伝にねじ込まれる毛徳祖伝の前には、徐羨之じょせんし傅亮ふりょう謝晦しゃかいによる「今回のケースはワイらの不明ですごめりんこ! 譴責して!」と訴え出て却下されるという茶番も載ってるんですが、スルーします。びっくりするほど情報がなかったので。


ともあれ、晉書の記述も合わせて確認しておきたいところです。

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