陶潜7  甲子を云う已み 

陶潜とうせんは若いころ低い官職についていたが、

その職にいることを潔しとしなかった。


なにせ、あの陶侃とうかん様のひ孫なのである。

そんな人物のひ孫が、こんな低い官職に

甘んじていることなど、

とても耐えられたことでもない。


劉裕りゅうゆうの権勢が大きくなっていくのを見て、

もはや官途につこう、という思いは

完全に失われていた。



陶潜が文章をものするときには

必ず年号が入っていたが、

義熙ぎき以前は普通に年号を用いていたが、

永初えいしょ以来はただ日付を記すのみに

とどまった。




潛弱年薄宦,不潔去就之迹,自以曾祖晉世宰輔,恥復屈身後代,自髙祖王業漸隆,不復肯仕。所著文章,皆題其年月,義熙以前,則書晉氏年號,自永初以來唯云甲子而已。


潛は弱年に宦薄く、去就の迹を潔しとせず、曾祖より晉世の宰輔なるを以て、復た後代に身を屈せるを恥じ、髙祖の王業の漸隆してより、復た仕うるを肯んぜず。著したる所の文章は皆な其の年月を題せるも、義熙以前は則ち晉氏の年號を書せるも、永初以來は唯だ甲子を云いたるのみ。子に書を與え以て其の志を言い、并せて訓戒と爲す。


(宋書93-25_直剛)




司馬徳文しばとくぶん様「ぇえ……」

(年号「元熙」:義熙と永初の間)


こいつ晋に対して普通に不忠働いてんのにどの面下げて「劉裕の禅代は認めない!」とか言ってんですかね?


陶侃様がどんだけお国に対して偉大な働きをしても、あなたはお国から預かった領地で私服肥やしてますが大丈夫? まぁ確かに「悪事」のスケールは全く違いますけど。


どうもただのルサンチマンを劉裕にぶつけただけのような気がしていけんですよ。

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