陶潜8  與子儼等疏 上 

陶潜とうせんは子らに書を与え、

己の志を示した。

そこには、このようにあった。


「人は天地より命を授かり、

 そして必ず死ぬ。

 この定めより逃れられる者はいない。


 孔子こうしの高弟の卜商ぼくしょう

 いわゆる子夏しかも言っている。

 死せるも生くるも命の下ったもの、

 富貴となれるかは天の定めしもの、と。


 子夏は、顔回がんかい子貢しこう子路しろ子張しちょう

 すなわち四友とともに

 孔子より教えを授かった。

 であるならば、この言葉は

 みだりに栄達を求めず、

 分不相応の長寿を求めてはならぬ、

 という戒めだったのではないか。


 

 わしもすでに齢五十を数える。

 若いころから貧乏にあえぎ、

 食い扶持を求めて奔走したものだ。


 しかしその性分はかたくな、

 そして才覚は乏しく、

 多くのものとぶつかって来た。

 そんな自分の性分からすれば、

 俗世の害となってしまうと思い、

 こうして隠遁生活を始めた。

 そのためお前たちには

 寒さや飢えを強いてしまった。


 常々感じ入っている言葉がある。

 漢の時代、王覇おうはの賢妻の言葉である。

 彼女はボロをまとっているからと、

 どうして子に愧じることがあるのか、

 と夫に説いたという。


 ただ、わしには蔣詡しょうくが持ったような

 求仲きゅうちゅう羊仲ようちゅうのような隣人、

 老萊子ろうらいしが持ったような

 賢妻がいなかった。

 なので一人、悶々と悩むことになった。



 若き頃より読書を好み、

 静かにたたずまうことを好んだ。

 紐解いた先で志を得れば、

 嬉しさのあまり食事も忘れる。

 

 樹木に影さすのを眺め、

 鳥たちが折々にさえずるのを耳にする。

 それがうれしく、喜ばしかった。



 かつて、言ったものだ。

 夏場、五月や六月に

 北の窓の下で横になり、

 涼やかな風が吹き込んでくれば、

 まるで仙人にでもなれたかのような

 気分になる、と。


 しかし、わしは浅はかであった。

 月日は瞬く間に過ぎゆき、

 昔のことを思い求めたところで、

 もはやぼんやりとしかわからん」




與子書以言其志,并爲訓戒曰:

天地賦命,有往必終,自古賢聖,誰能獨免。子夏言曰:「死生有命,富貴在天。」四友之人,親受音旨,發斯談者,豈非窮達不可妄求,壽夭永無外請故邪。吾年過五十,而窮苦荼毒,以家貧弊,東西遊走。性剛才拙,與物多忤,自量爲己,必貽俗患,僶俛辭世,使汝幼而飢寒耳。常感孺仲賢妻之言,敗絮自擁,何慚兒子。此既一事矣。但恨隣靡二仲,室無萊婦,抱茲苦心,良獨罔罔。

少年來好書,偶愛閑靜,開巻有得,便欣然忘食。見樹木交蔭,時鳥變聲,亦復歡爾有喜。嘗言五六月北窗下臥,遇涼風暫至,自謂是羲皇上人。意淺識陋,日月遂往,緬求在昔,眇然如何。


(宋書93-26_文学)




王覇

光武帝こうぶていの時代の人。同姓同名が雲台うんだい二十八将(光武帝のもとで武勲を挙げた将軍たち)にいてゲラゲラ笑ってる。なんでも古馴染の知人が出世してきれいなおべべを子供にも身につけさせていたのを見て恥ずかしがっていたところに、奥さんが「そんなん恥ずかしくないでしょうよ」と言い切ったらしい。つおい。


求仲・羊仲

蔣詡という隠者が、この二人以外との付き合いを持たなかった、という。やはり光武帝の時代の人。



老萊子

春秋時代、王よりの招聘を受け、はじめ承諾したのだが、奥さんが「飯で釣ってくるやつはそのうち鞭打ちしてくるでしょうし、俸禄で釣ってくるやつはそのうち剣で殺そうとしてきますよ!」と、宮仕えを食い止めたという。つまるところ「うちの奥さんは俺の出仕を止めてくれなかったのでクソ」というわけか。こいつのこの他罰思考……。

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