陶潜5  交情      

義熙ぎき年間の末、著作佐郎として

召喚を受けたが、蹴った。


このころ江州こうしゅう刺史となっていた王弘おうこう

陶潜とうせんとお知り合いになりたいと考えたが、

なかなか叶わずにいた。


そこで陶潜がちょくちょく廬山ろざん

出向いているのに乗じ、

陶潜の古馴染である龐通之ほうつうし

廬山に向かう途上である

栗里りつりという場所で酒席を設けさせた。


陶潜は足に病を抱えていたため、

その移動は一人の門生、

二人の子供にかごを担がせて、

というものだった。


陶潜、栗里で龐通之を見かけると、

籠から降り、ともに酒を飲みかわす。


それから間もなくして

王弘もその席に合流したのだが、

陶潜、だからと言って特に

気を害する風もなかった。



これより前、顔延之がんえんし尋陽じんように赴任。

劉柳りゅうりゅうの配下としてのことであった。


あの顔延之である。

あっという間に陶潜と意気投合。


その後顔延之は始安しあん郡太守となったが、

ちょくちょく陶潜のもとに訪れては、

二人して酒を飲んでは酔っぱらった。


顔延之が帰る際、

二万銭を陶潜のために、と残していった。

陶潜はそれをすべて居酒屋に送り付け、

そこでの酒代に充てた。




義熙末,徴著作佐郎,不就。江州刺史王弘欲識之,不能致也。潛嘗往廬山,弘令潛故人龐通之齎酒具於半道栗里要之,潛有脚疾,使一門生二兒轝籃輿,既至,欣然便共飲酌,俄頃弘至,亦無忤也。先是,顏延之爲劉柳後軍功曹,在尋陽,與潛情款。後爲始安郡,經過,日日造潛,毎往必酣飲致醉。臨去,留二萬錢與潛,潛悉送酒家,稍就取酒。



義熙の末、著作佐郎に徴ぜらるも、就かず。江州刺史の王弘は之を識らんと欲せど、致す能わざるなり。潛の嘗て廬山に往けるに、弘は潛が故人の龐通之に令し酒を齎し半道の栗里に具え之を要えしむ。潛に脚疾有らば、一門生、二兒をして籃輿を轝がしめ、既に至るに、欣然として便ち共に飲酌す。俄の頃にして弘の至れるに、亦た忤れる無きなり。是の先、顏延之の劉柳が後軍功曹と爲りて尋陽に在せるに、潛と情款す。後に始安郡爲りて經過せるに、日日潛に造り、往ける毎に必ず酣飲し、醉を致す。去るに臨み、二萬錢を留め潛に與わば、潛は悉きを酒家に送り、稍に就きて酒を取る。


(宋書93-23_任誕)




王弘みたいなセレブの「下で働く」のは嫌だし、これといって特別なよしみを築きたくはないけれど、別に酒席で話すくらいなら構わんよ、という感じでしょうか。


ちなみに陶潜はのちに「於王撫軍坐送客」という詩を詠んでいるんですが、この詩の中に王弘の姿は現れません。そういうスタンスからも、この人の権力に対する考え方がうかがえますね。

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