顧琛母  生ける伝説   

459 年当時。顧琛こしんの母、こう氏は 100 歲余。

生ける伝説レベルの人だったようで、

こんな話が残っている。


いわく、399 年ころに発生した、

王恭おうきょうに対して琅邪ろうや王氏の王廞おうきん

反乱の軍をエリアで起こした時、

その娘を貞烈將軍と呼んだのだが、

その貞烈司馬、つまり副官が孔氏だった。


孫恩そんおんの乱の後に沿岸エリアは

壊滅的な打撃をこうむっていたのだが、

孔氏は家に貯蔵していた食料を

惜しむことなく周辺にふるまった。


これで助けられたものは非常に多く、

のちに生まれてきた子供たちは、

多くが「孔」をその名とした。




大明三年,琛母孔氏,時年百餘歲。晉安帝隆安初,琅邪王廞於吳中為亂,以女為貞烈將軍,悉以女人為官屬,以孔氏為司馬。及孫恩亂後,東土飢荒,人相食,孔氏散家糧以賑邑里,得活者甚眾,生子皆以孔為名焉。


大明三年、琛が母の孔氏は時に年百餘歲なり。晉の安帝の隆安の初、琅邪の王廞の吳中にて亂を為したるに、女を以て貞烈將軍と為し、女の人の以て悉く官屬と為し、孔氏を以て司馬と為す。孫恩の亂の後に及び、東土は飢荒し、人は相い食まば、孔氏は家が糧を散じ以て邑里に賑わば、活を得たる者甚だ眾く、生まるる子は皆な孔を以て名と為したり。


(宋書81-2_為人)




突然隆安りゅうあん年間の人物が出てきてわろてん。この孔氏、王廞の乱の段階で30~40歳ってとこかな。もっともリーダーとして脂がのってるころですね。というかまぁこの人さ、どうせ会稽かいけい孔氏だろ!!!!!!


それにしても、恩を受けた人々が子供に「孔」とつけたってエピソードは、温嶠おんきょう桓彝かんいの長男に自分の姓を与えた、みたいなエピソードにも通じそうなところがありますね。避諱のイメージがあるから「同じ字を持つ」ってことそのものが割とアウトなのかなーって思ってたんですが、姓はむしろオッケーなのかな。まぁ王導おうどう王敦おうとんを呼ぶのに王丞相と王大将軍になってたか。

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