巻81・巻85 のちの世代の人

顧琛   呉郡顧氏のひと 

顧琛こしん、字は弘瑋こうい郡吳県の人だ。

呉郡顧氏ってちょう名家なのに

ここが初めてとか……。


曽祖父は顧和こわ、晉の司空。

祖父の顧履之こりし、父の顧惔こたんは、

ともに司徒左西掾となった。

あっそんなでもない。


顧琛は慎み深く、篤実。

浮ついたところは一切なく、

州從事として起家し、

駙馬都尉、奉朝請を歴任した。


423 年に蕭文寿しょうぶんじゅが死亡すると、

大匠丞、つまり蕭文寿のための霊廟の

造立を任じられた。

死亡は 475 年、86 才だった。


ところで宋の時代に栄達のかなった

三呉や会稽かいけいの土豪と言えば

會稽の孔靖こうせい孔靈符こうれいふ親子や、

吳興の丘淵之きゅえんし、そして顧琛であった。

かれらは一様に南渡貴族の用いていた

中央の言葉では喋ろうとせず、

あくまで地元の発音でいつづけた。


なお丘淵之は字を思玄しげん吳興郡烏程うてい県の人。

劉義隆りゅうぎりゅう劉裕りゅうゆうに従って北伐した折、

彭城ほうじょうに留め置かれたわけであったが、

丘淵之はその副官として働いている。


この時の仕事が、

よほど素晴らしいものだったのだろう。

劉義隆が即位した後、

侍中、都官尚書、吳郡太守と栄達した。

死亡時の官位は太常。

光祿大夫を追贈されている。




顧琛字弘瑋,吳郡吳人也。曾祖和,晉司空。祖履之,父惔,並為司徒左西掾。琛謹確不尚浮華,起家州從事,駙馬都尉,奉朝請。少帝景平中,太皇太后崩,除大匠丞。後廢帝元徽三年,卒,時年八十六。先是,宋世江東貴達者,會稽孔季恭,季恭子靈符,吳興丘淵之及琛,吳音不變。淵之字思玄,吳興烏程人也。太祖從高祖北伐,留彭城,為冠軍將軍、徐州刺史,淵之為長史。太祖即位,以舊恩歷顯官,侍中,都官尚書,吳郡太守。卒於太常,追贈光祿大夫。


顧琛は字を弘瑋、吳郡の吳の人なり。曾祖は和、晉の司空。祖は履之、父は惔、並べて司徒左西掾為り。琛は謹確にして浮華に尚ぜず、州從事として起家し、駙馬都尉、奉朝請たる。少帝の景平中、太皇太后の崩ぜるに、大匠丞を除せらる。後廢帝の元徽三年に卒す、時に年八十六。是の先、宋世にて江東に貴達せる、會稽の孔季恭、季恭の子の靈符、吳興の丘淵之、及び琛は吳音を變ぜず。淵之は字を思玄、吳興の烏程の人なり。太祖は高祖に從いて北伐せるに、彭城に留め冠軍將軍、徐州刺史為らしむらば、淵之は長史と為る。太祖の即位せるに、舊恩を以て顯官を歷し、侍中、都官尚書、吳郡太守たる。太常として卒し、光祿大夫を追贈さる。


(宋書81-1_為人)




呉郡四姓と言えばりくちょう、顧、しゅ。朱氏はもう遥か彼方として、基本は張氏のひとり勝ち、陸氏、顧氏の存在感もめっちゃ薄いですよね。南斉ではやや陸氏が盛り返すんですけど。家の浮沈としてみると、徐々に名家が地盤沈下してってるのが面白い。

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