蕭承之 南斉高帝の父
のちに南朝
若いころから才覚を示し、
そのため親族である
はじめ建威将軍府の參軍に。
おそらくは
つまり
真っただ中にいたことになる。
その譙縱が平定されると、蕭承之は
揚武將軍、
安固郡は
汶山郡を治所とし、安固郡を臨む形か。
つまりは、やはり益州の勤務である。
そこで地元住民をよく治めた。
一気に場所が変わり、
430 年の
数百人で
433 年には、
副官、兼、
蕭承之は軽装の軍にて急行、撃退。
そこに蕭思話軍が追い付いてきたため、
仇池軍は後退した。
蕭承之は追撃を掛け、
仇池軍を大破した。
後続をけん引する形で蕭承之は進軍、
進む先ではみな勝利を収めた。
こうして梁州の戦役に勝利を得た。
死亡は 447 年、64 才だった。
梁州の人たちは民は蕭承之を思い、
峨公山に廟を立てて祭祀した。
478 年、すなわち劉宋が滅ぶ前年。
散騎常侍、金紫光祿大夫を追贈された。
蕭承之,字嗣伯。南蘭陵蘭陵人也。少有大志,才力過人,宗人丹陽尹摹之、北兖州刺史源之竝見知重。初為建威府參軍,義熙中,蜀賊譙縱初平,承之遷揚武將軍、安固汶山二郡太守,善於綏撫。元嘉初,徙為威烈將軍、濟南太守。七年,右將軍到彥之北伐大敗,承之率數百人拒戰。十年,蕭思話為梁州刺史,承之為其橫野府司馬、漢中太守。氐帥楊難當寇漢川,承之輕軍前行,剋之。思話繼至,賊乃稍退。承之進至峨公山,大破之。眾軍自後而進,連戰皆捷,梁州平。元嘉二十四年卒,年六十四。梁土民思之,於峨公山立廟祭祀。昇明二年,贈散騎常侍、金紫光祿大夫。
蕭承之、字は嗣伯。南蘭陵の蘭陵の人なり。少きに大志を有し、才力は人に過ぎ、宗人の丹陽尹の摹之、北兖州刺史の源之に竝べて知られ重きを見らる。初に建威府の參軍と為り、義熙中、蜀賊の譙縱の初に平がるに、承之は揚武將軍、安固汶山二郡太守に遷り、綏撫に善し。元嘉の初、徙りて威烈將軍、濟南太守と為る。七年、右將軍の到彥之は北伐せど大敗し、承之は數百人を率い拒戰す。十年、蕭思話の梁州刺史為るに、承之は其の橫野府司馬、漢中太守と為る。氐帥の楊難當の漢川を寇ぜるに、承之は輕軍にて前行し、之を剋す。思話の繼ぎ至らば、賊は乃ち稍や退る。承之は進みて峨公山に至り、之を大破す。眾軍は後より進み、連戰皆な捷し、梁州は平がる。元嘉二十四年に卒す、年六十四。梁土の民は之を思い、峨公山に廟を立て祭祀す。昇明二年、散騎常侍、金紫光祿大夫を贈らる。
(南斉書1-1_為人)
蕭思話が外戚として大きな力を得る中、その宗族として青州、梁州で大きな戦績を挙げる。完全に地方勤務ではありますが、こうしてみると蕭道成が雄飛するだけの発射台として見事に機能していますね。
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