沈慶之4 諦念
むちゃくちゃである。
使者を沈慶之のもとに飛ばした。
ただ沈慶之、劉義恭らと
そう交流が深いわけでもない。
なのでこの謀議には参加しなかった。
むしろ謀議が露見し、
劉義恭らが処刑されたのち、
沈慶之は侍中、太尉とされている。
更に次男の
単純に言って、チクった、
とみなすべきだろう。
更に
つまり劉子業にとっては叔父にあたる
劉子業が直接率いる軍の総督として
謀反鎮圧に動いている。
その後、劉子業は益々凶暴となった。
沈慶之はその側で言葉を尽くし、
諫め続けたが、それは結局劉子業に
殺意を抱かせるにすぎなかった。
側近の
このふるまいに対し、さすがに沈慶之の
堪忍袋の緒が切れるのではないか、
と恐れた劉子業。
自らのもとに至る堀の橋をすべて落とし、
沈慶之が自らのもとに
来れないようにした。
劉子業の見立て通り、沈慶之は、向かう。
が、会うことは叶わなかった。
やがて沈慶之のもとに、
甥の
沈慶之との関係が最悪の甥だ。
そんな彼が持ってきたのは、毒薬。
沈慶之が幾度となくなした諫言は、
結局劉子業にとっては
憎悪を募らせるものでしかなかった。
そして甥が調子に乗って暴走しないよう
締め付けを厳しくしたところ、
この甥にも恨まれ、嬉々として毒薬を
もたらす役を引き受けさせまでしている。
すべてを察したのだろう。
沈慶之は、大人しく薬を仰ぎ、死んだ。
八十才の時のことだ。
劉子業、「命令に従った」この老将に、
多くの恩賜を与え、侍中を追贈した。
更に鸞輅轀輬車、前後の羽葆、鼓吹など、
皇帝に準じるクラスの葬列も与える。
更にその諡が忠武公。
「余の意を酌んでくれてありがとう!」
というわけだろうか。
ただ、この葬儀が
なされるよりも前に
劉子業は廃位、処刑された。
劉彧は沈慶之に対し侍中、司空を追贈。
さらに諡を、襄公と改めた。
なお襄は、
・遠征先に徳をもたらす。
(辟地有德)
・自ら戦地に出ることを厭わない。
(甲冑有勞)
という意味である。
廢帝狂悖無道,眾並勸慶之廢立,及柳元景等連謀,以告慶之。慶之與江夏王義恭素不厚,發其事,帝誅義恭、元景等,以慶之為侍中、太尉,封次子中書郎文季建安縣侯,食邑千戶。義陽王昶反,慶之從帝度江,總統眾軍。帝凶暴日甚,慶之猶盡言諫爭,帝意稍不說。及誅何邁,慮慶之不同,量其必至,乃閉清谿諸橋以絕之。慶之果往,不得度而還。帝乃遣慶之從子攸之齎藥賜慶之死,時年八十。及死,賜與甚厚,追贈侍中,太尉如故,給鸞輅轀輬車,前後羽葆、鼓吹,諡曰忠武公。未及葬,帝敗。太宗即位,追贈侍中、司空,諡曰襄公。
廢帝は狂悖無道にして、眾は並べて慶之に廢立を勸め、柳元景らと連謀せるに及び、以て慶之に告ぐ。慶之と江夏王の義恭は素より厚からざれば、其の事の發し、帝の義恭、元景らを誅せるに、慶之を以て侍中、太尉と為し、次子の中書郎の文季を建安縣侯、食邑千戶に封ず。義陽王の昶の反ぜるに、慶之は帝に從い江を度り、眾軍を總統す。帝の凶暴なるは日に甚だしく、慶之は猶お言を盡くし諫爭せど、帝が意は稍ます說ばしからず。何邁を誅せるに及び、慶之の同じからざるを慮れ、其の必ずや至らんことを量り、乃ち清谿の諸橋を閉じ以て之を絕つ。慶之は果して往きたれど、度れるを得ずして還ず。帝は乃ち慶之の從子の攸之を遣り藥を齎さしめ、慶之に死を賜る。時に年八十。死せるに及び、賜の與うること甚だ厚く、侍中を追贈し、太尉なるは故の如し、鸞輅轀輬車、前後の羽葆、鼓吹を給せられ、諡して忠武公と曰う。未だ葬の及ばざるに、帝は敗る。太宗の即位せるに、侍中、司空を追贈し、諡して襄公と曰う。
(宋書77-4_衰亡)
うーん、これ、沈慶之はそれでもはじめの頃には劉子業に期待する思いがあったのかな。どちらかというと劉義恭の動きに正当性の欠如、僭上の匂いすら感じてる気配すらある。そんなかれが、最終的には自らの縁者によって死を告げられる。その絶望、諦観は、慮るに余りある。
がまぁ一方で、残されてるエピソードが、あまりにも「武一徹の猛者が宋への自信なりの形での忠義を貫き通した」物語に糊塗されていそうな気配も感じてしまってな。まぁそのあたりの気配、劉裕が終わっても覚えてたらやってみましょう。
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