沈慶之3 笑ってんじゃねえ

劉義隆りゅうぎりゅうは一度目の北伐失敗の後、

二十年もの準備を重ね、

ついに二度目の北伐に動き出す。


これを全力で止めようとしたのが

沈慶之ちんけいしである。


「馬歩は敵せず、ですぞ!

 勝てるはずがございません、

 趨勢は既に決してしまったのです!


 どうか無謀な計画の棄却のためにも、

 檀道済だんどうさい到彦之とうげんし両名をお思い出し下さい!


 檀道濟ほどの将ですら

 功績をあげることができず、

 到彦之とてかれらに主導権を奪われ

 敗走したのですよ!


 かの名将らと王玄謨おうげんもらを比較して、

 その将才、到底上回るものとは

 申せません!


 すなわち宋軍の強さは、

 往時以下でございます!

 この状態で出兵をしても、

 往時の屈辱を

 再度味わうだけにございます!

 北土奪還は叶いますまい!」


しかし劉義隆は言う。


「薄き根拠で、なんと臆病な。

 洛陽らくようを奪還しうるだけの根拠は

 別のところにあるのだぞ。


 そもそも檀道済はあの時、

 飽くまで地方将の領分のまま

 臨時で動いたにすぎん。

 総都督として働いたわけではないのだ。 


 また到彦之は病を得たため

 前線を離れるしかなかっただけのこと。


 そして、沈慶之よ。北魏ほくぎの強さは

 しょせん馬にしか拠って立たん。

 対してこちらの強みは水軍、水軍だ。

 この時期の出征は夏水かすいの川幅も広く、

 船のままで黄河こうがにまで出ることが叶う。


 その水軍力をもってすれば

 碻磝こうごう滑臺かつだいなぞものの数ではない。

 この二拠点で足場を固め、

 軍資を補給することが叶えば、

 近場の虎牢ころう洛陽らくようを落とすなぞ

 容易きこと。


 これは冬場の出征ではないのだぞ。

 このような状態で奴らが馬を

 黄河の南に持ち込んでみたところで、

 殲滅は難しくなかろうよ」


いやいやそんな

机上の空論ぶってんじゃねーですよ、

沈慶之はその後も

北伐絶対やめろマンと化した。


劉義隆、それが煩わしくなり、

あるとき計画のブレインであった

徐湛之じょたんし江湛こうたんに同席させ、

この北伐計画の素晴らしさを、

とうとうとこの二人からも説かせた。


とは言えこの両名、共に直接戦陣に

出た経歴があるわけでもない。

つまり劉裕りゅうゆうの言う「戦の機微」を

理解できていない者たちである。


なので、沈慶之はブチ切れている。


「国を治めるのは

 家の経営にこそ例えられておりますが、

 では、あえて申し上げましょう!


 農耕のことは農奴が、

 機織りのことは機織り娘が

 もっとも存じておりましょう!


 陛下はいま、

 鮮卑せんぴを討とうとされておられる!

 ならばその成否を訪ねるべきは

 粗野な乱暴者でありましょうに、

 それをモヤシ書生に尋ねておられる!


 そのようなことで、

 どうしてことがなし得ましょうか!」


劉義隆、これを聞き爆笑。

あー、さすが「文」帝さまですね……。


なお




太祖將北討,慶之諫曰:「馬步不敵,為日已久矣。請舍遠事,且以檀、到言之。道濟再行無功,彥之失利而返。今料王玄謨等未踰兩將,六軍之盛,不過往時。將恐重辱王師,難以得志。」上曰:「小醜竊據,河南修復,王師再屈,自別有以;亦由道濟養寇自資,彥之中塗疾動。虜所恃唯馬,夏水浩汗,河水流通,泛舟北指,則碻磝必走,滑臺小戍,易可覆拔。克此二戍,館穀弔民,虎牢、洛陽,自然不固。比及冬間,城守相接,虜馬過河,便成禽也。」慶之又固陳不可。丹陽尹徐湛之、吏部尚書江湛並在坐,上使湛之等難慶之,慶之曰:「治國譬如治家,耕當問奴,織當訪婢。陛下今欲伐國,而與白面書生輩謀之,事何由濟。」上大笑。


太祖の將に北に討たんとせるに、慶之は諫めて曰く:「馬步は敵せず、為日は已に久しからん。請うらくは遠事を舍て、且つ檀、到を以て之を言わん。道濟は再び行けど功無く、彥之は利を失い返ず。今、王玄謨らを料るに、未だ兩將を踰えざれば、六軍の盛、往時を過ぎず。將に恐るらくは王師の重辱、以て志を得たるの難きなり」と。上は曰く:「竊かに據せるは小醜ならん。河南を修復し、王師は再び屈す、自ら別に以いたる有り。亦た道濟の寇を養せるに自ら資せるの由、彥之は中塗にて疾動す。虜は唯だ馬にのみ恃りたる所、夏水は浩汗にして、河水は流れ通じたり。舟を泛べ北に指し、則ち碻磝は必ず走り、滑臺は小しく戍り、易く覆拔せるべし。克つ此の二戍は穀を館じ民を弔じ、虎牢、洛陽は自然と不固からず。冬の間に及びたるに比し、城守は相い接し、虜馬の河を過せば、便ち禽うるを成りたるなり」と。慶之は固く不可なるを陳ぶ。丹陽尹の徐湛之、吏部尚書の江湛は並べて坐に在り、上は湛之らをして慶之を難ぜしまば、慶之は曰く:「治國は治家に譬うらるが如し、耕ぜるには當に奴に問うべくし、織せるには當に婢を訪ぬべし。陛下は今伐國を欲せるに、而して白面書生が輩と之を謀る。事の何ぞの由にてか濟されんか!」と。上は大いに笑う。


(宋書77-3_規箴)




沈慶之の物言い、基本的に知性マックスですよね……いや、実はこのセリフ、沿革は知ってたんですが、詳細にまでは踏み込めていなかったんですよ。で今回踏み込んでみれば、これ別に「表立っては」徐湛之、江湛を sage るものじゃないです。


もちろん二人をそう面罵したかった意図はあるのかもですが、前段を踏まえれば、文脈はあくまで「陛下の指揮のもと諸事を執り行うのはみな卑しき者でしかない。ならば卑しき者のうち、その職掌に適したものをチョイスせねば適切な計画は立てられない」となります。


沈慶之にあるのは武辺者としての誇りとかではなく(むしろ自分自身もきっちり貶めてる、明言してはいないけど)、ただひたすら適材適所をもっとよく考えろやこのクソ皇帝、てめえそんな「単純なこと」もわかんねえのか、っていう、どこまでも純粋な劉義隆 dis 。


そりゃ劉義隆も爆笑しますわ、そいつを心地良いくらい見事に「士大夫的文脈」に乗っけて突きつけてくるんですもん。


まぁ爆笑しただけで採用せずみごと失敗するけどな!


ていうか劉義隆、農繁期に派兵しやがったのか……大義(笑)および机上の空論のために盛大に国民に犠牲を強いたわけだ。これはちょっと白面書生しぐさ過ぎませんかね……。


あと史書でしか当該時代を知らない身の上では、到彦之の名将扱いがギャグにしか見えないのが文学。

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