顔延之3 今阮咸     

ときの文壇トップといえば、傅亮ふりょう

当然おれがナンバーワンだ、

くらいの感じでこそいた。

が、顔延之がんえんし、いや俺のが上だろ、

くらいの気持ちを隠そうともしなかった。

なので傅亮、顔延之をめっちゃ嫌ってた。


ガキか。


さて、劉裕りゅうゆう次男、劉義真りゅうぎしん

読書とかめっちゃ好きである。

あと傅亮や徐羨之じょせんしとの仲が最悪である。


そんな劉義真、

顔延之の文才を愛し、めっちゃ厚遇。


おっ、劉義真派か、

お前劉義真派なんだな?

徐羨之に煙たがられたそうである。


劉裕が死に、劉義符りゅうぎふが即位。

はじめ顔延之は正員郎兼中書となったが、

まもなく員外常侍に移され、

更には中央から地方に飛ばされる。

任地は、始安しあん


顔延之が任地に赴かんとした際、

謝晦しゃかいが顔延之に声をかけている。


「昔、荀勗じゅんきょく阮咸げんかんをうとみ、

 飛ばしたのが始平郡だった。

 きみもまた始安郡。

 後世の人たちは、きみと阮咸を

 二始と讃えることだろうさ!」


また殷景仁いんけいじんも言っている。


「俗物は俊異を憎み、

 俗世は文雅を嫌うものさ」




時尚書令傅亮自以文義之美,一時莫及,延之負其才辭,不為之下,亮甚疾焉。廬陵王義真頗好辭義,待接甚厚,徐羨之等疑延之為同異,意甚不悅。少帝即位,以為正員郎,兼中書,尋徙員外常侍,出為始安太守。領軍將軍謝晦謂延之曰:「昔荀勗忌阮咸,斥為始平郡,今卿又為始安,可謂二始。」黃門郎殷景仁亦謂之曰:「所謂俗惡俊異,世疵文雅。」


時の尚書令の傅亮は自ら文義の美を以て、一時に及びたる莫かれど、延之は其の才辭を負いて、之の下為らざらんとせば、亮は甚だ疾む。廬陵王の義真は頗る辭義を好み、待接せること甚だ厚かれば、徐羨之らは延之の同異を為したらんことを疑い、意は甚だ悅ばず。少帝の即位せるに、以て正員郎兼中書と為せど、尋いで員外常侍に徙り、出だし始安太守と為す。領軍將軍の謝晦は延之に謂いて曰く:「昔、荀勗は阮咸を忌み、斥け始平郡と為したり。今、卿も又た始安為るは、二始と謂いたるべし」と。黃門郎の殷景仁も亦た之に謂いて曰く:「俗は俊異を惡む、世は文雅を疵つく、と謂いたる所ならん」と。


(宋書72-3_言語)




やっててよかった世説新語!


https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054889539989


徐羨之と傅亮の言動や行動記述にはどうしても小者強調エピソードがたくさん残されそうだから、あんまり素直に読む気にはなれないんですけど、なんにせよ傅亮や徐羨之が、まさか始安郡赴任が持つ意味合いを理解していなかったとも思えないですし、「初めて謝晦が言った」とは考えない方がいいような気はします。


あとなんだかんだで琅邪ろうや顔氏は名族に連なる存在だ、ってのも踏まえなきゃいけなさそうですよね。琅邪顔氏を、陳郡ちんぐんの二盛族が見送っているわけです。顧命の臣として徐羨之傅亮謝晦はワンセットにされがちだけど、それでもやっぱり謝晦は南渡名門としてのグループにも属しており、前二者とは微妙に距離感がある。例えば劉裕の家門は徐氏傅氏謝氏それぞれと通婚しているわけですが、じゃあ徐氏と謝氏、傅氏と謝氏はどうだったの? という。今のところ、史書ではここをつなげられる記述はなかった気がします。史書にないから関係が存在しない、というわけでもないですけどね。


つーか殷景仁のやろう、「いわゆる」言い出してるから出典があるのかと思って探したら見当たんねえじゃねえか! いや、散逸した書籍にあったのかもしんないですけど!

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