謝霊運17 山居賦序   

昔、隠棲は四種に分類されていた。

洞窟に隠れ住む「巖棲」、

山中に庵を結ぶ「山居」、

林や野原の中にある「丘園」、

郊外に隠れ住む「城傍」である。

これらがそれぞれ別のものであるのは、

誰にでも推測が可能であろう。


心持ちに焦点を当てれば、

天子の住まいと汾水の北での寓居とに、

なんの違いがあろう。

一方、実際の振る舞いに即した時に、

山居と市井との暮らしに大きな違いがある。

そのようなものである。


私は病を得て閑居し、心の赴くまま、

その楽しむところに従い、賦をなした。


前漢末の詩人、揚雄は、その詩に

以下のように残している。

「詩人の賦は麗しさがまたルールでもある」

と。文章とは様々な要素を兼ね備え、

はじめて美しさを発揮するのである。


私が賦に残したいと思ったものは、

美しき都、壮麗な宮殿、猟遊の楽しみ、

おおいに交される歌声や歓声、

と言った「盛んなもの」ではない。


山野や草木、水石や穀稼。

「静かにある」ものについて、である。


我が才覚は先人に比べ、あまりに乏しい。

その心は俗世の外に放り出している。

文章を編むに際し、

最大限の努力はするけれども、

麗しさを求めたところで、

その境地に及ぶ気がしない。


読者諸氏よ、我が文辞に、

どうか張衡ちょうこう左思さしのごとき

麗しき言葉を求められぬよう。


私の言葉に宿るのは前漢末の隠者臺佟だいとうや、

始皇帝の支配を嫌い、

商山に隠れた四人の老人、すなわち

東園公とうえんこう綺里季きりき夏黄公かこうこう角里かくり先生、

のような深淵なる思いである。


言葉の装飾になぞ目をくれず、

その内容にだけ想いを馳せて頂きたい。


易経に

「書は言を尽さず、言は書を尽さず」

という言葉がある。

そこに準えれば、

意實言表、而書不盡、となるだろうか。


我が想いは、確かに言葉に宿っている。

しかし、それは到底厳密に言葉として

あらわし切れるものではない。


ここに残された言葉の中より

我が意をくみ取っていただける方に、

作品を託したい、と願う次第である。




古巢居穴處曰巖棲,棟宇居山曰山居,在林野曰丘園,在郊郭曰城傍,四者不同,可以理推。言心也,黃屋實不殊於汾陽。即事也,山居良有異乎市廛。抱疾就閑,順從性情,敢率所樂,而以作賦。揚子雲云:「詩人之賦麗以則。」文體宜兼,以成其美。今所賦既非京都宮觀遊獵聲色之盛,而敍山野草木水石穀稼之事,才乏昔人,心放俗外,詠於文則可勉而就之,求麗,邈以遠矣。覽者廢張、左之艷辭,尋臺、皓之深意,去飾取素,儻值其心耳。意實言表,而書不盡,遺迹索意,託之有賞。


(宋書67-17_文学)




「ふふふ、俺の想いなんて誰もわかってくれないのさ……わかる人にさえ受け入れてもらえたら、それで幸せなんだよ」と言いつつ、自作の賦に自分で注釈を残しちゃう謝霊運ちゃんかわゆい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る