吉翰2  方伯の体    

426 年、後仇池こうきゅうちの幹部の一人、

楊興平ようこうへいから使者が来た。

帰順したい、とのことだ。

そこには息子や弟もともにいた。

彼らを人質として差し出す、という。


このとき、後仇池は二つに割れていた。

そうに従うか、北魏ほくぎに従うか。

中間に位置するこの国に取り、

どちらにつくかは死活問題である。


吉翰きつかんは配下の龐諮ほうしを派遣。

武興ぶこうに駐屯させる。

後仇池を統べていた楊玄ようげん

弟の楊難当ようなんとうを派遣。龐諮を防ごうとする。

更に強鹿皮きょうかひという将も派遣、白水はくすいに。

龐諮は彼らをことごとく擊破。

楊難当らは撤退した。


同年中には益州えきしゅうに移籍。肩書は、

益寧えきねい二州、

りょう州の巴西はさい梓潼しどう宕渠こうきょ南漢中みなみかんちゅう

しん州の安固あんこ懷寧かいねい

二州六郡にわたる広範囲である。

どんだけ信任されてたんだ。


益州でも抜群の治績を残し、

方面長官かくあるべし、

くらいの称賛を手にしていた。


430 年に現役のまま死亡。60 歳だった。

征虜將軍を追贈された。




三年,仇池氐楊興平遣使歸順,并兒弟為質,翰遣始平太守龐諮據武興。仇池大帥楊玄遣弟難當率眾拒諮,又遣將強鹿皮向白水。諮擊破,難當等並退走。其年,徙督益寧二州梁州之巴西梓潼宕渠南漢中秦州之安固懷寧六郡諸軍事、益州刺史,將軍如故。在益州著美績,甚得方伯之體,論者稱之。七年卒官,時年六十。追贈征虜將軍、刺史如故。


三年、仇池氐の楊興平は使を遣じ歸順せば、并せて兒と弟を質と為し、翰は始平太守の龐諮を遣りて武興に據せしむ。仇池大帥の楊玄は弟の難當を遣りて眾を率い諮を拒まば、又た將の強鹿皮を遣りて白水に向かわしむ。諮は擊破し、難當らは並べて退走す。其の年、督益寧二州梁州之巴西梓潼宕渠南漢中秦州之安固懷寧六郡諸軍事、益州刺史に徙り、將軍は故の如し。益州に在りて美績著しく、甚だ方伯の體を得、論者は之を稱う。七年に卒官す、時に年六十。征虜將軍を追贈され、刺史は故の如し。


(宋書65-2_政事)




えーと、後仇池からの帰順の使者が来たとき、これ吉翰さん中央に諮問してませんよね? いや明らかにそんな悠長なことできるタイミングじゃないだろうけど。すっげえなぁ……。


劉道憐りゅうどうれんの下でも清廉で讃えられ、そしていざ一人の大幹部として動けば、抜群の手腕を示す。カッコイイ&カッコイイ……ちなみに劉道憐とは5歳差。なかなか悪くない年齢差ですね(なんで?)。

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