殷景仁2 帝よりの恩寵  

劉義符りゅうぎふが即位すると、侍中就任の諮問が

度々なされ、それを全て辞退していた。

劉義符が表明する。


「殷景仁の栄達を避けようとする思い、

 どうしても退けられそうにない。

 とは言え、余には卿が必要なのだ。

 せめて黄門侍郎として、

 そばにあってはくれんか?」


それから間もなく、射聲校尉となった。

また、左衞將軍に転任。


劉義隆りゅうぎりゅうが即位すると、劉義隆からも

深く信任を受けるようになった。

まもなく、侍中に転任。

左衞将軍はもとのままだった。


劉義隆の側近と言えば、

王華おうか王曇首おうどんしゅ劉湛りゅうたんである。

彼らとともに侍中として働き、

常に劉義隆のそばにあり、

栄誉をほしいままとしていた。

彼らほどの栄誉を浴びたものは、

そうはいないだろう。


426 年、謝晦しゃかい討伐のため、劉義隆が出征。

王弘おうこうが中書下省に入ったため、

殷景仁も合わせて宿直。

劉義隆遠征中の国の仕事を代任した。

謝晦の乱平定後、到彦之とうげんしの代わりに

中央軍取締となるが、侍中は兼務した。


435 年に死亡、51 歳だった。

侍中、司空を追贈された。

文成公ぶんせいこうと諡された。




少帝即位,入補侍中,累表辭讓。詔曰:「景仁退挹之懷,有不可改,除黃門侍郎,以申君子之請。」尋領射聲。頃之,轉左衞將軍。太祖即位,委遇彌厚,俄遷侍中,左衞如故。時與侍中右衞將軍王華、侍中驍騎將軍王曇首、侍中劉湛四人,並時為侍中,俱居門下,皆以風力局幹,冠冕一時,同升之美,近代莫及。元嘉三年,車駕征謝晦,司徒王弘入居中書下省,景仁長直,共掌留任。晦平,代到彥之為中領軍,侍中故。十二年卒。時年五十一,追贈侍中、司空,本官如故。諡曰文成公。


少帝の即位せるに、入りて侍中を補せられ、累ね辭讓を表す。詔じて曰く:「景仁が退挹の懷い、改むべからざる有らば、黃門侍郎に除し、以て君子の請を申べん」と。尋いで射聲を領す。之の頃、左衞將軍に轉ず。太祖の即位せるに、遇の委ねらるは彌いよ厚く、俄に侍中に遷り、左衞は故の如し。時に侍中右衞將軍の王華、侍中驍騎將軍の王曇首、侍中の劉湛の四人と與に並べて時に侍中と為り、俱に門下に居し、皆な風力局幹なるを以て一時に冠冕し、升の美を同じうし、近代に及びたる莫し。元嘉三年、車駕の謝晦を征せるに、司徒の王弘は入りて中書下省に居し、景仁は長直し、共に留任を掌ず。晦の平ぐに、到彥之に代りて中領軍と為るも侍中なるは故の如し。十二年に卒す。時に年五十一、侍中、司空を追贈せられ、本官は故の如し。諡して文成公と曰う。




これ、劉義符にあんまり近すぎると危ないって判断したのかもしれないですね。ずっと側でみていたぶん、どんだけ危ういかは骨身にしみていたでしょうし。その後劉義隆に深く信任されていたのにも、そのような気配を感じます。


殷景仁については、このあとの権力闘争に嫌気が差す感じの動きもまた面白いんですが、まあ省略。

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