殷景仁1 まれなる学識  

殷景仁いんけいじんちん長平ちょうへい県の人だ。

曾祖父は殷融いんゆう、晉の太常。

祖父は殷茂いんも、散騎常侍、特進、左光祿大夫。

父は殷道裕いんどうゆう。夭折した。


殷景仁、幼い頃にはすでに

大器としてみられていた。

なので王謐おういつさん、自分の娘を嫁に出す。

ということは、その縁から劉裕りゅうゆうとも

知り合ったのだろうか。


初めてついた官途は劉毅りゅうきの幹部。

ただし、間もなく

劉裕のもとに配属替えとなる。


ここで官僚たちに命令が下される。

「人材を見つけて推挙しろ」。

運営スタッフを失ってるでしょうしね。

人材確保は必須でしたでしょう。


殷景仁、頑張って推挙した。

が、功績を挙げられる人がいない。

なので降格処分となった。きつい。


とはいえ間もなく宋国の書記官や、

劉義符りゅうぎふの幹部として働くことに。

その後いちど衡陽こうよう太守として地方職を経、

中央に戻ると、劉義符の世話役に。

そこから中書省入りした。


殷景仁、学識そのものは、ある。

しかしそれを著述することはない。

深い思索の持ち主だが、

種々の議論には加わらない。

とは言え、いちど考えをあらわすと、

その理論の精密さには

誰もが感心するのだが。


様々な式典に関する知識も豊富であり、

あらゆる式典資料に対し、

注釈を施していたりもする。

表立って目立ちこそしないが、

事情通からは「やつはすごいぞ」と

認識されていたようである。


劉裕、殷景仁のすごさをよく知っていた。

なので、劉義符の教育係にも充てた。




殷景仁,陳郡長平人也。曾祖融,晉太常。祖茂,散騎常侍、特進、左光祿大夫。父道裕,蚤亡。景仁少有大成之量,司徒王謐見而以女妻之。初為劉毅後軍參軍,高祖太尉行參軍。建議宜令百官舉才,以所薦能否為黜陟。遷宋臺祕書郎,世子中軍參軍,轉主簿,又為驃騎將軍道憐主簿。出補衡陽太守,入為宋世子洗馬,仍轉中書侍郎。景仁學不為文,敏有思致,口不談義,深達理體,至於國典朝儀,舊章記注,莫不撰錄,識者知其有當世之志也。高祖甚知之,遷太子中庶子。


殷景仁、陳郡の長平の人なり。曾祖は融、晉の太常。祖は茂、散騎常侍、特進、左光祿大夫。父は道裕、蚤きに亡ず。景仁は少きに大成の量有らば、司徒の王謐は見ゆるに女を以て之に妻せしむ。初に劉毅が後軍參軍、高祖太尉行參軍と為る。宜しく百官に令し才を舉ぐる議を建たしむれど、薦せる所の能の否なるを以て黜陟と為る。宋臺祕書郎、世子中軍參軍に遷り,主簿に轉じ、又た驃騎將軍の道憐の主簿と為る。出でて衡陽太守に補せられ、入りて宋世子洗馬と為り、仍いで中書侍郎に轉ず。景仁は學べど文は為さず、敏なる思致を有し、口にては談義せずも、理體は深きに達し、國典朝儀に至らば、舊章記注に撰錄せざる莫く、識者は其の當世の志を有したるを知りたるなり。高祖は甚だ之を知り、太子中庶子に遷る。


(宋書63-15_為人)




ずいぶん深く劉義符に関わったみたいですね……(なお、その結果は)

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