王曇首7 太祖と共に眠る 

王曇首おうどんしゅは 430 年に死亡した。


劉義隆りゅうぎりゅうはその死に慟哭。

すると側づかえの周赳しゅうきゅうが言う。


「王氏は権勢を保ち続けるまい、

 そう考えたのでしょう。

 故に、賢者は身罷られたのです」


劉義隆は答える。


「ばかな。かれを失えば、

 その手腕も失われる。


 となれば、我が家も衰えるではないか」


王曇首には

左光祿大夫、散騎常侍を追贈された。

432 年には、生前には叶わなかった

徐羨之じょせんしら誅滅の褒賞として

豫寧よねい縣侯位が追封となった。

文侯と諡された。


劉駿りゅうしゅんが即位し、劉義隆を祀ると、

王曇首も合わせて廟に配された。




七年,卒。太祖為之慟,中書舍人周赳侍側,曰:「王家欲衰,賢者先殞。」上曰:「直是我家衰耳。」追贈左光祿大夫,加散騎常侍,詹事如故。九年,以預誅羨之等謀,追封豫寧縣侯,邑千戶,諡曰文侯。世祖即位,配饗太祖廟庭。


七年に卒す。太祖が之が為に慟じ,中書舍人の周赳が側に侍りたれば、曰く:「王家は衰えたるを欲し、賢者は先に殞ず」と。上は曰く:「直だ是れ我が家の衰えたるのみ」と。左光祿大夫を追贈し、散騎常侍を加え、詹事なるは故の如し。九年、羨之らを誅せるの謀に預りたるを以て豫寧縣侯、邑千戶を追封し、諡して文侯と曰う。世祖の即位せるに、太祖が廟庭に配饗せらる。


(宋書63-14_傷逝)




周赳の発言は、なんとなく王氏の衰退により皇帝家の権力が伸びますね、と語っているように見えます。この解釈でいいのかなあ。そして、そうじゃねえだろ、と答える劉義隆。


諡がかぶっているのを見ても、劉義隆と王曇首とは、相当関係が深かったんでしょうね。

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