劉義宣2 臧質の乱
後ろに追いやられている。
「反乱を企てた逆賊」だからだ。
なので劉義宣の最期も、
ここでは触れておくことにしよう。
劉義宣は 444 年頃からなんだかんだで
荊州に十年くらいいた。そして、454 年。
荊州。
放っておいても兵は強く、土地は豊か。
そんな地のボスであるから、
天下に名は広く知れ渡り、
望んだものは何でも手に入る。
しかも中央の決定のうち、
気にくわないものについては
従わなかったりもする。
そんな劉義宣を担ぎ、
反乱を企てた者がいる。
臧愛親は伝中に「外戚となる親族を
引き立てようとしなかった」とあるが、
ではその親戚はと言えば、
放っておくと貴族らに
すり潰されかねない勢いだ。
彼の計画は、その危惧もあったのだろう。
臧質が劉義宣を担いだのは、
凡夫であり、動かしやすい神輿だから。
なので臧質は江州刺史に就任、
つまり建康と荊州との間に
出向した機会を狙い、荊州の劉義宣に
あることないことを吹き込んだ。
その内容は
ろくでもないことだったのだろうが、
劉義宣は密かに臧質の言葉を飲み込んだ。
とは言えこの頃
孝武帝
セックスしまくっていたりもした。
なので劉義宣は怒るだけの理由は
用意されていたのだ。
船や武器防具を整備し、
劉駿が皇帝に即位したその初年、
454 年の晩秋、遂に乱を起こした。
劉義宣は
が、反乱軍は一瞬にして蹴散らされた。
劉義宣は牢獄にぶち込まれる。
その時に劉義宣は床に突っ伏し、
嘆いている。
「臧質のじじいが俺を唆したのだ!」
劉義宣、はじめは五人の妾とともに
牢屋にはいった。のだが、
後に妾らは解放、追放される。
義宣は號泣し、獄吏に語る。
「今までの日々に辛いことはなかった。
だが、彼女と引き離された今が、
この上なく辛いのだ!」
獄中で自殺した。40歳だった。
義宣在鎮十年,兵強財富,既首創大義,威名著天下,凡所求欲,無不必從。朝廷所下制度,意所不同者,一不遵承。臧質陰有異志,以義宣凡弱,易可傾移,欲假手為亂,以成其姦。及至江州,每密信說義宣。義宣陰納質言,而世祖閨庭無禮,與義宣諸女淫亂,義宣因此發怒,密治舟甲,克孝建元年秋冬舉兵。義宣至梁山,質上出軍東岸。眾一時奔潰。義宣送止獄戶,坐地歎曰:「臧質老奴誤我。」始與五妾俱入獄,五妾尋被遣出,義宣號泣語獄吏曰:「常日非苦,今日分別始是苦。」於獄盡焉。時年四十。
義宣は鎮に十年在りて、兵は強く財は富み、既に大義を首創し、威名は天下に著しく、凡そ求欲せる所、必ずや從わざる無かりき。朝廷の下したる所の制度にて意に同じからざる所にては一に遵承せず。臧質は陰かに異志を有し、義宣の凡弱にして傾移すべきの易きを以て手を假し亂を為さんと欲し、以て其の姦を成す。江州に至るに及び、每に密かに信にて義宣を說く。義宣は陰かに質が言を納め、世祖が閨庭に禮無く、義宣が諸女を與に淫を亂さば、義宣は此に因りて怒を發し、密かに舟甲を治め、克つ孝建元年の秋冬に舉兵す。義宣は梁山に至り、質は上より東岸に軍を出だす。眾は一時にして奔潰す。義宣は獄戶に送り止められ、地に坐し歎じて曰く:「臧質の老奴が我を誤らせたり」と。始め五なる妾と俱に獄に入れど、五妾は尋いで出で遣らるを被り、義宣は號泣し獄吏に語りて曰く:「常日は苦に非ず、今日の分別が始めて是れ苦なり」と。獄に於いて盡きたり。時に年四十なり。
(宋書68-4_尤悔)
しゅごい(しゅごい)
こんな醜態が残されるとか悲惨すぎる。まぁ好き放題してるっぽいから仕方ないけど。しかし劉駿、なんでよりにもよっていとことばっかオセッセセしちゃったんですかね? 魏書には「母親ともやってた」って書かれてるから、親族性愛癖でもあったのかな……あるいはいとことの乱倫から親族セックス狂認定されたとか? 謎である。
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