劉義真7 ケーソツ皇子  

歴陽れきように出ようか、という時、

東府とうふ城の前には劉義真りゅうぎしんと共に

歴陽に向かう隊列が揃う。

彼らは総じて劉裕りゅうゆうの死亡に慟哭した。


歴陽は、建康けんこうから見て長江の対岸。

なので船で向かう必要がある。

劉義真の乗る船は非常に簡素であり、

母、孫修儀そんしゅうぎの船にも劣っていた。


劉義真、船内で

謝霊運しゃれいうん顔延之がんえんし慧琳えりんらと宴会をしつつ、

側仕えらに命じ、母が乗る船の艦橋を

自らの船に付け替えさせ、

自らの船が豪華になるようにさせた。


歴陽に到着。

劉義真の暮らし向きは豪勢である。

悪い意味で。なのでいろいろ入り用。

そこで建康に、あれも持って来い、

これも持って来い、と命じた。


が、徐羨之じょせんしらはその大半を却下。

劉義真、徐羨之らにご立腹である。

なので直接話をつけてやる、と

「建康に戻らせろ」と請願してきた。


一方の、建康である。

劉義符りゅうぎふがクソだったので、

徐羨之らは廃位を目論んでいた。


そうすると次の皇帝は、

順番から言えば、劉義真。

が、劉義真の軽々しい性格では、

到底皇帝の職務は任せられない。


徐羨之ら、ふと思い出す。

劉義符と劉義真は仲が良くない。

なら、先に劉義真を追い落とそう!!


というわけで劉義真廃位の

奏上を為すのでした。

待て次回!!!!




將之鎮,列部伍於東府前,既有國哀,義真所乘舫單素,不及母孫修儀所乘者。義真與靈運、延之、慧琳等共視部伍,因宴舫內,使左右剔母舫函道以施己舫,而取其勝者。及至歷陽,多所求索,羨之等每裁量不盡與,深怨執政,表求還都。而少帝失德,羨之等密謀廢立,則次第應在義真,以義真輕訬,不任主社稷,因其與少帝不協,乃奏廢之。


將に鎮に之かんとせるに、部伍の東府が前に列び、既に國哀を有したらば、義真の乘りたる所の舫は單素にして、母の孫修儀の乘りたる所に及ばざるなり。義真と靈運、延之、慧琳らは共に部伍を視、因りて舫內にて宴じ、左右をして母が舫の函道を剔さしめ以て己が舫に施し、而して其の勝ちたる者に取らしむ。歷陽に至るに及び、多きの求索せる所、羨之らは裁量の每に盡きを與えずんば、深く執政を怨み、表じ都に還ぜんことを求む。而して少帝は德を失い、羨之らは密かに廢立を謀り、則ち次第に應に義真の在せるも、義真の輕訬なるを以て社稷の主たるを任ぜざらば、其の少帝との協ぜざるに因りて、乃ち奏じ之を廢さんとす。


(宋書61-7_仇隟)




え、義符と義真ってあんま連携とれてなかったんだ……そんなん徐羨之たちに付け入るスキ与えるだけじゃんね……まぁ、そんなん二十にもならないガキらに言ってみてもしょうがないんですけれども。しかし、劉裕の息子たちに司馬元顕しばげんけんを転送させてみたくなってきましたぞ? 見事に劉宋を灰燼に帰してくれそうw


さて、次の上奏文はえらく長いうえに複雑ですが、この辺りはトバシ訳にしてでも訳出しておかなきゃダメそうですね。面白いことが載っていそう。




の前に、南史での追加情報を。


初,少帝之居東宮,多狎群小,謝晦嘗言于武帝曰:「陛下春秋既高,宜思存萬代。神器至重,不可使負荷非才。」帝曰:「廬陵何如?」晦曰:「臣請觀焉。」晦造義真,義真盛欲與談,晦不甚答,還曰:「德輕於才,非人主也。」由是出居於外。


劉義符が皇太子として東宮にあった頃、小者とばかりつるんでいたのを見て、謝晦が劉裕に言ったという。

「宋国万年の繁栄のためにも、陛下は後継者のことも真剣にお考えになるべきでしょう。皇帝の任は重いものであり、非才の者(=劉義符)に負わせるわけには参りますまい」

劉裕は言う。

「では、義真はどうだ?」

「私が確認して参りましょう」

そうして謝晦が劉義真の元に赴くと、劉義真はものすごい勢いで語ってくるが、謝晦は応じない。劉裕の元に戻ると、言う。

「軽率すぎます、人主の器ではありません」

こうして劉義真は外鎮に出された。

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