第39話 『死神は笑う』

「いたぞ――っ! 上の方だ!!」


 ラルフが振り返って見ると、離れた森の方から……そして坂下から帝国兵がこっちに向けて走ってくる姿が見えた。

 そして立ち込める炎と煙の向こうから、複数の軍靴が土を蹴る音が響いてくる。

 周囲を見回して、ラルフはすぐ近くにいる一際大きい木の裏にレナを座らせた。


「絶対ここから出ては駄目だ、わかったな?」


 だがラルフの言葉にレナは返事を返さない。

 その代わり声にならない涙を流し続ける。そして段々近づいてくる足音……もう時間はなかった。


 ラルフはレナをその場に隠して家の前に躍り出た。そしてすぐその周辺を集まってきた帝国兵が二重三重に取り囲む。

 その数はラルフが裏山の方で見た数の倍に近かった。


「もう逃げ回るのは諦めたのか? それは殊勝な心がけだな」


 後ろは燃え崩れる村長の家。その周りを広く半円で囲んだ帝国兵達の壁を掻き分け、指揮官のコルランが前に出でくる。

 だが……今のラルフには、その男の声がどこか遠くの物音のように聞こえた。


「もうここで終わりにしよ。今度は絶対逃しはしない」


 ――いったい何十回、何百回、この光景を見てきたんだろ。

 燃え上がる建物、野山を埋め尽くす死体の数々、聞こえるのは剣戟と悲鳴……そして後ろから聞こえるは、悲しみに満ちた少女の泣き声。


「全員、構え!」

 

 一晩で町が全焼し、二日目には更地へと変わる……そんなものは、それこそ飽きるほど見てきたつもりだった。

 それでも消えることなく心の中で燻る疑問――何故、こんな光景がこうも繰り返されるのか。


「なあ……」


 前列に進み出てクロスボウを構える帝国兵達。そんな彼らの後ろに控えるコルランに、ふとラルフが話を振ってきた。


「……何だ? まさか、今さら命乞とかするつもりではないだろうな」


 ラルフは手に握っている自分の剣に視線を落した。

 周りの炎で鈍く光るそれは、うっすらと黒ずんだ人の血と脂で汚れていた。


「お前たちは……俺から家族を奪い、友を奪い、恩師を奪い、国すらも奪った……。それでもまだ、俺から奪うというのか……ッ」


 どこか絞り出すように話すラルフの言葉を、コルランは鼻で笑い飛ばす。


「ハッ! 何を言うかと思えば……何かを奪われたのは貴様らだけではない! 貴様が殺した我ら帝国の兵士たちにも故郷には家族が……帰りを待っている者がいた。それをこんな異国の地で死なせたのは誰だ……? お前ら王国の騎士だ!」


 怒気を孕んだコルランの目がラルフの姿を正確に捉える。

 だが炎の逆光で影が差したラルフの顔から、その表情までは見えてこない。そして徐々にラルフの口の端が吊り上がり、歪んだ笑みを携え始める。


「な、何がおかしい……ッ?」


 絶体絶命の瞬間、耳にまで届くほど顔の筋肉を歪ませて笑うラルフの不気味な姿に、コルランは無意識に一歩後ろに後ずさった。


「そうかい――」


 ラルフの歪に吊り上げられた口から声が漏れ出る。

 だがその口調も、抑揚も……いつものラルフのものとは明らかに違っていた。


「……遺言は、それで終わりか?」

「なん……だと」


 ラルフの言葉に、得体の知れない何かを感じて一瞬戸惑うコルラン。

 次の瞬間、ラルフは両手に一つずつ持っていた剣の一つをクロスボウを持った前列の兵士に投げ飛ばした。その剣が吸い込まれるように兵士の額へ突き刺さる。


 ――絶命し倒れ伏す兵士。それを見て我に返ったコルランが他の兵士達に合図を送る。


「う、撃て!!」


 だがその号令の前に、もうラルフは動いていた。

 弾けるように飛び出したラルフは、とうに人の身長を超える高さまで飛躍する。そして宙を舞うように飛んできたラルフは、着地と同時に全体重を乗せた剣を振り下ろす。


「カハ――ッ!?」


 その振り下ろされた剣が、指揮官であるコルランの頭から股間までを真っ二つに切り裂く。

 血飛沫と内臓を撒き散らし地面に倒れる自分達の指揮官を見て、兵士達の間に驚愕と激しい動揺が走る。


 ――だが、その動揺こそが命取りだった。

 近くにいた他の兵士達が瞬く間に血飛沫と共に肉塊へと変わる。陣形をずたずたにされた帝国軍は、その中を縦横無尽に駆ける一つの人影によって物言わぬ骸となって地面に伏していく。


「ひいぃ――ッ!?」


 自分の顔に飛んできた仲間の千切れた腕に悲鳴を上げて仰け反る兵士。

 その眼前にラルフが迫ってくる。何とか武器を構え対抗しようとしたその兵士は、だが次の瞬間には首が飛び胴体だけになった体で地面に倒れた。


「騎士を……俺を討伐しに来た部隊だと、そう聞いた記憶があるんだがなぁ……」


 自分が斬り飛ばした兵士の頭を掴み取り、ゆっくり振り返るラルフ。

 自分の周りを囲む帝国兵達を、まるで値踏みするかのような目で見回したラルフは無操作にその帝国兵の頭を投げ捨てた。


「この程度か、お前たちは」


 投げられた仲間の首が自分達の足元まで転がってくると、帝国兵達は怒りよりも恐怖に体を震わした。

 そして顔を上げた時にはもう、ラルフの姿はそこにはなかった。


「全然足りないぞ! もっと足掻いて見せろ――っ!!」


 愉悦に満ちた、狂気すら感じさせる獰猛な笑い声と共に血潮が舞う。

 次々と倒されていく仲間を見て、一人の帝国兵が唇を震わせながら呟く。


「あ、悪魔だ……死神だ……ッッ!」


 その兵士の視界から突然ラルフの姿が消える。そして一度瞬きした後には、自分と目と鼻の先に全身を返り血で染めたラルフの姿があった。

 まるで鮮血に染まったような赤い瞳がその兵士を見下ろす。


「……くたばりやがれ」

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