第32話 『手放す覚悟』

「あら、ティアン。あなたも怪我とか大丈夫だった? それにしてもティアンが部屋に入る前にノックするなんて、明日は雨かしらね?」


 ティアンの無事な姿を確認して、レナが少しからかうような口調で話を振ってくる。

 だがティアンはそれには答えずラルフの前まできて、手に抱えていたものをラルフに差し出した。


「…………これ、持ってきた」


 ティアンが差し出してきたもの、それはラルフの剣だった。

 レナが意識を失って倒れたとき、急ぎのあまり放置したのをティアンがわざわざ森に戻って取ってきたようだった。

 そしてラルフがその剣とティアンを一度ずつ交互に見てそれを受け取ると、ティアンが頭を下げて謝ってきた。


「……ッ……ごめんなさい!」


 ティアンのいきなりの行動に、レナはもちろん村長も戸惑いの表情を浮かべる。

 そして謝罪の言葉を聞いた本人であるラルフは、相変わらず感情の読めない顔で淡々と聞き返した。


「何のことだ」

「俺の……俺のせいで、ラルフにあんな怪我をさせて……全部ッ、俺のせいだ!」


 顔を落し、握りしめた拳を震わせながら話すティアンの言葉を聞き、ラルフはいつもの乾いた声で言ってきた。


「過ぎたことだ、気にするな」


 むしろラルフとしては、あの場で魔犬を発見したのは運がいいとさえ思っていた。

 もしあのまま野良の魔犬が放置され、いずれ村の方に直接入ってきていたら……被害はもっと大きくなっていただろ。

 だがそんなラルフの言葉に、ティアンは首を激しく横に振って話した。


「いや……っ、俺のせいだよ。俺はいつもそうだ……今回も……ラルフに怪我させて、レナにも無理させて、皆に迷惑ばかり掛けてっ! 何でっ、こうなっちまうんだろ……ッ」


 心の底から込み上げてくる感情を上手く処理できず、ティアンは涙を流してそう語る。

 そして最後には言葉すら出てこなくなって、喉を鳴らしながら涙を飲み込む音だけが部屋の中に響く。

 その自分が情けなくて悔しい涙を流す少年の姿をしばらく見つめていたラルフは、何を思ったのかティアンに静かに語りかけた。


「ティアン、まだ俺に剣術を教わりたいか」

「…………へ? ……あ、あの……それは、どういう……?」


 思いもかけぬ言葉に戸惑うティアンに、ラルフがもう一度尋ねる。


「もし今もその気があるなら……教えてやる、剣術」


 徐々にその言葉の意味を頭で理解するにつれ、ティアンの顔が驚きから喜びへと変わっていく。


「えっ……いいの? 本当に……?」

「ああ」


 再度聞き返すティアンにラルフが頷いて答えると、ティアンは両手を突き上げて叫び出した。


「よっしゃ――っッ!! ありがとう――ラルフ、いや師匠!」


 はしゃぎ出したかと思えば、すぐ体勢を正してそう言ってくるティアンに、ラルフは軽く溜め息をついて訂正する。


「……師匠は止めろ、そんな柄じゃじゃない」

「でも、剣を教えてくれるのに、ちゃんと礼儀を持って接しないと……!」


 ティアンの反論に、ラルフは軽く目を閉じてまた溜め息をつく。

 そして目を開けると、さっきティアンから受け取った自分の剣を、逆にティアンの方に差し出した。


「あの……これ、は?」


 その意図が分からなくてティアンがラルフを見上げる。そして自分を見てくるその少年と目を合わせてラルフが話す。


「この剣はお前にやる。俺には、もう必要ない代物だ」

「えっ、で、でも……」


 さすがに戸惑ってどうするべきか迷っているティアンの眼前に、ラルフは無言で剣を差し出してきた。


「い、いいの……? 本当に?」


 ラルフがゆっくり首を縦に動かして頷くと、ティアンは少し震える手でそれを受け取る。そして大事そうに両手で抱き抱えた。


「ありがとう、師匠……! 俺、本当に……本当に、大事にするよ!」

「……よかったね、ティアン」


 レナが微笑みを浮かべてそう話すと、ティアンも感極まって何度も頷き返す。


「ああ……っ。……ああっ!」


 そしてその一部始終を見守っていた村長が小さく笑って話し混ざってきた。


「ほぅほっほっ……話は纏まったようですな。それでは時間も遅くなりましたし、そろそろ夕食にしましょうかな」

「あっ、それなら私が……」


 慌てて起き上がろうとするレナを、村長が手で制する。


「まあまあ、レナはもう少し休んでおれ。今日は私が用意する」


 まだ本調子ではなさそうなレナの体を気遣い村長がそう話すと、ティアンも手を上げて言ってきた。


「あ、それなら俺も何か手伝うよ! やっぱ迷惑掛けてたの、俺だしな……」

「へぇー? ティアンにしては殊勝な心掛けね? でも今日の分の迷惑料がたった夕食の手伝いだけ?」

「あ、そ、それは…………」


 意地悪そうにそう言ってくるレナに、ティアンは冷や汗をかいて目を泳がせる。

 そんなティアンの様子に、レナが口元を押さえてぷっと吹き出して笑った。


「な、何だよ……」


 訳が分からないといった顔で、ティアンが少しいじけた声を出してくる。

 そしてそんな二人のやり取りを見るラルフもまた、分かり難いが確かな笑みを顔に浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る