第28話 『月光が照らす夜の森で』
「少し落ち着け。……何があった?」
「ティアンが……ティアンが畑を荒らす動物を退治するとか言って、物置からラルフおじさんの剣まで持ち出して森に入ったの!」
手振り身振りで話すレナの言葉に、ラルフは首を傾げて聞き返した。
「……どういうことだ?」
そしてやっと少し落ちづいたらしく、レナは戸惑いながらも事情を説明してくる。
「そ、それが……夕飯が近いのに、おじさんもティアンも誰も来なくて、それでおじさんの家に行ってみたんだ。そしたら物置の方に明かりが見えて、そこにおじさんがいると思って行ってみたら」
「そこで剣を持っていくのを見た、ってことか」
「うん……何してるのって言ったら、畑を荒らす動物を自分が退治するんだって言って、危ないからって止めたんだけど……そのまま走って森の方に行ってしまったの」
そこまで話し、レナはラルフを見上げて言ってきた。
「おじさん、どうしよ。こんな夜に森になんか入ったら……!」
ラルフは小さく溜め息をついた。夜中に森へ入ることが如何に危ない行動かということは子供でもわかりそうなものだ。
まして正体も知らない畑を荒らす何かを退治するのも、そもそもその何かを見つけ出せるかどうかも怪しいところだ。
それなのに、何がその少年をそんなに駆り出しているのか……ラルフは首を傾げるしかなかった。
「俺が行って探してみよ。お前は家で待っていろ」
ラルフがそう話すと、レナは大きく首を横に振って言ってきた。
「いや、私も行く! ラルフおじさんだけじゃ迷うかもしれないでしょ? だから私も行く」
ラルフは少し呆れてレナの顔を見つめる。だが真っ直ぐ見返してくるレナの目を見て、また溜め息をつくしかなかった。
「……好きにしろ」
そんなラルフの言葉に、レナははっきりと頷いて答える。
「うん! ありがとう、おじさん!」
「時間が惜しい、行くぞ」
そして二人は畑の方から森の中へと入って行く。
その日の夜は白と青、そして赤の三つの月とも半月以上満ちていて、夜の森といえど何も見えないほど暗くはなかった。
それでも昼と比べると格段に視野は狭まれ、視認距離が短いのはどうしようもなかった。
「これなら松明でも持って来ればよかったかな……」
レナが目前に広がる暗闇を見てそう呟く。
まだ冷たさを残す夜の風が吹き通ると、木々の枝や葉っぱが揺れてカサカサっとする音が四方から聞こえてくる。
そしてフクロウの鳴き声がやたら大きく響く夜の森は、どことなく不気味で陰々たる気配を醸し出していた。
「ティア――ン! どこにいるの――! 返事して――っ!?」
どれくらい森の中を彷徨って歩いたのか。茂みを掻き分けて進みながらティアンを呼び掛けるが、返事は帰ってこない。
「どうしよ……村に戻って他の人たちにも手伝ってもらった方がいいかな?」
レナが焦りを隠せない顔でそう聞いてくる。
一方でラルフは足を止めて、何かに耳を澄ましているようだった。
「おじさん……? どうかしたの?」
「しっ、静かに」
ラルフは風音に混じって微かに聞こえてくるそれに耳を集中する。
……それは、重い何かが地べたを転がる音と……変声期が過ぎてない少年の声だった。
「えっ、おじさん!? どこに行くの!?」
急に走り出すラルフを見て、レナが慌てて聞いてくる。
ラルフは一瞬だけ足を止めて、レナの方に振り向いて言った。
「お前は来るな……! いや、村に戻っていろ!」
それだけ言って、瞬く間にラルフの姿は森の暗闇に溶けて消える。
「お、おじさんっ!?」
後ろからレナの叫ぶ声が聞こえたが、ラルフは止まることなく走り続けた。
音の大きさからして結構距離が離れている。そして自分の予想だと状況は一刻を争う。悠長に話している時間はなかった。
――そして木々を避け茂みを飛び越え辿りついた場所には、ある意味でラルフが想定していた通りの光景が広がっていた。
「来るな! こっちに来るなよ! 何なんだよ、こいつら……ッ!?」
一際大きな木を背に、ティアンが剣を振り回して威嚇する。
その顔と髪は汗と土で汚れ、肘や膝には逃げ回る際に負った擦り傷で血が滲み出ていた。
「くそっ、こんなはずじゃ……なかったのに」
激しく鼓動する心臓を何とか押さえ、切らした息を整うことも忘れて剣を振る。
夜の森に、月光に照らされた剣身が鈍い剣痕を何度も宙に浮かばせる。
だが、その切っ先の向こう……木々の間や茂みの中で鈍く光る緑色の眼光はまったく怯んだ様子を見せない。
むしろ低く唸るその声には、弱った獲物を潮笑うかのような響きさえ含んでいた。
「来るな、来るな、来るなっ!!」
そして無我夢中で剣を振り回していた腕が伸びきったとき、剣の重さに体が流れてわずかに前のめりになる。
――その瞬間、茂みの中から黒い影が矢が放たれたように飛び出てティアンを襲った。
「うわああぁあぁ――っ!?」
咄嗟に後ずさりしたティアンは足を踏み外して後ろの方に倒れる。
それが幸いして、間一髪でティアンの首筋があった場所をその黒い影が通り抜く。
だが次の瞬間には別の影が倒れたティアンに襲い掛かった。
「う、うあっっ!?」
ティアンの目の前に、体の可動域を完全に無視して大きく開かれた獣の口が迫る。
鋭く長い無数の牙が唾液を垂らして鈍く光る。その中でも対を成す巨大な奥歯は、その先端が口の外にまで長く伸びていた。
「うああああ――ッ!?」
恐怖のあまりティアンは破れかぶれで剣を突き出した。
だがその獣は口で剣身を掴むと、いとも簡単にティアンから剣を奪い取る。
そして斜め方向にそれを吐き出すと、剣は地面を転がって手の届かない場所にいってしまう。
「あ、あぁぁぁ……ッ」
脅威になりえるものを排除した獣は、まるで人間が品定めをするかのように自分の獲物を目を細めて見下ろし低く唸る。
ティアンは震える体で目を閉じることもできないまま、それを見上げていた。
そして終に、獣がその巨大な口を開けてティアンに迫ったとき――横から飛んできたラルフが勢いのまま獣のコメカミを拳で殴り飛ばした。
「…………えっ、な、なんで、ラルフが」
その衝撃で獣は何度も地面を転がりながら吹き飛ぶ。
そして新たに現れた邪魔者を警戒してか、他の二匹の獣はすぐ茂みの中へと姿を隠す。
「……大丈夫か。怪我は?」
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