第27話 『異変の前兆』

 自警団が麓の市から帰ってきて十日が経つ。

 戦場荒らしの事件以来、平温を取り戻しつつあった村では、最近新たな悩みの種が一つ生まれていた。


「……やっぱりだ。こっちも食い荒らされてる」


 苦々しい声でスベンがそう話す。

 彼の足元には小動物用の落とし穴がいて、その穴の中は動物の血痕と、その砕けた骨や肉片の残り滓がこびり付いていた。


「これで何度目だぁ? しかも大小構わず食ってやがる……」


 苦虫を噛み潰したような顔でスベンが悪態をつく。

 設置した罠の中を確認して回っていたスベンとラルフは、折角捕らえたであろう獲物が何者かによって飽食された痕跡を続けさまに発見していた。


「そういや、畑の方も作物が荒らされてるって聞いたが、そっちはどうなんだ?」


 そんなスベンの問いにラルフが答える。


「そっちも夜の間、三日連続で続いているそうだ」

「三日間ずっとか……時期的にもさすがにおかしいな、これは」


 このような山の中では、食べ物が不足する冬場に動物が畑を荒らすのは別段珍しいことではない。

 だがそれが三日間も立て続けに起きて、もう春に差し掛かった今の時期ともなると色々と疑問が残る。


「それに畑だけじゃなく、こっちまでこうなるとは……もしかして、狼の群れでも現れたのか……? いや、だがな……」


 うんうんと唸りながらスベンが頭を掻く。

 動物用の罠をいとも簡単に回避して、もしくは力技で壊して中の獲物だけを奪い取る――そんな賢さと力を備えているのは狼か熊のような飽食者に限られる。

 しかし畑の作物と動物の両方を構わず食う雑食で、しかもこの時期を考えると、その線も薄いように思えた。


「まあ、そもそも畑とこっちは別件かもしれねぇがな……」


 しばらく頭を抱えていたスベンは、やがて首を振って壊れた罠を回収し袋に入れた。


「やめだやめだ! 今日はもうこれで上がりだ、帰るぞー」

「いいのか?」


 帰り支度を始めるスベンにラルフがそう聞くと、スベンは苦笑を漏らして話した。


「良いも悪いもない、こういう時もある。……それに、今日は思った以上に時間を食っちまったからな」


 スベンの言う通り、壊れた罠の修復と回収、そして食われた動物の血痕を辿って原因を探ろうと寄り道をしたせいか、もう空は赤色に染まりつつあった。


「……早く戻るぞ。こりゃぁ、村に着く頃は真っ暗になりそうだ」

「わかった」


 そして二人は急ぎ荷物を纏めて歩き出した。茂みを掻き分ける音と二人の足音、そして鳥の鳴き声だけがたまに聞こえてくる。

 そうやって歩き続けてしばらく、スベンが思い出したように話を振ってきた。


「そういや、お前さんも大分慣れてきた感じがしてきたな」

「……そうか?」


 ラルフが首を傾げて聞き返すと、スベンは笑いながら言ってきた。


「もう解体も加工も一人で出来るようになったしな、飲み込みが早いぜ。この分だと、そのうち猟の方もお前に任せられるようになるんじゃないか?」

「……それはどうだろうな。正直、一人だとすぐ道に迷いそうだが」


 ラルフは首を横に振ってそう答える。

 ラルフ自身も村周辺のある程度の距離までなら場所がわかるようになってきた。だがスベンが猟場にしている深い森まで来ると、未だ自分がいる位置を掴めるのは難しかった。


「ハハハッ、それは仕方がないわな。そればかりはどうしても時間が必要だ。まあ村の連中でもここまで来ると、全部迷子になりそうだがな」


 カッカと愉快そうに笑ったスベンの顔が、今度は苦々しいものへと変わる。


「しかし、今夜は徹夜確定だなぁ……一度でこんなに壊れたのは始めてた」


 スベンはそう言って背中の荷物を軽く持ち上げて見せる。

 その中にはさっきまで回収した壊れた罠や猟の道具がびっしり入っていた。


「俺も手伝おう」


 ラルフがそう申し出ると、スベンはやたらと手を横に振りながら話す。


「いやいや、お前さんは構うな。もう時間も遅いし、早く帰って飯でも食え」


 そうやって話しているうちに二人は森を抜ける。

 村に到着すると案の定、辺りはすっかり暗くなり、完全な夜になっていた。


「お前さんが遅くなると、あの穣ちゃんがうるさいからな……それは勘弁だ」


 ラルフが夕食の時間に遅くれると、レナが直接スベンの所に来てラルフを連れていったことが何度かある。

 その際にレナから言われる小言が、スベンは相当嫌なようだった。


「それはそうと、最近あのガキはとんと見かけないな。この前までしつこく絡んできたのに、どういう風の吹き回しだ?」

「……さあな」


 スベンの疑問に、ラルフは曖昧にそう答える。

 事実、ラルフ自身も詳しいことは分からなかった。あの剣術を教えてくれと頼んてきたのを断って以来、ティアンはラルフを避けるようになっていた。

 食事の時に村長の家で顔を合わせることはあっても、お互い言葉を交わすことはなくなっいて、そもそもティアンが村長の家に来る頻度も減ってきて益々顔を合わせる機会は少なくなっていた。


「……まあワシとしては、うるさいガキが来なくなって清々するがな」


 そう言葉で憎まれ口を叩くが、眉間に皺を寄せたスベンの顔は少し心配げにも見えた。

 そしてスベンと別れ、ラルフが村の坂道を歩いていた時だった。坂の上から慌てた感じのレナが駆け下りてきて、ラルフの前で立ち止まる。


「おじさん! 大変、大変だよ!」


 静かな夜の村に響くレナの声。血相を変えて息を切らし、荒い呼吸を繰り返すレナの顔を見てラルフが聞く。


「少し落ち着け。……何があった?」

「ティアンが……ティアンが畑を荒らす動物を退治するとか言って、物置からラルフおじさんの剣まで持ち出して森に入ったの!」

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