第26話 『しこり』

「母なる女神シロディアよ、今日の恵みに感謝を」


 解体した肉を詰め込んだ袋の前で聖印を引いて、スベンはその袋を肩に担いで立ち上がった。


「今日の収穫は悪くないな。……そろそろ日も沈みそうだし、帰るか」


 木々の隙間から注がれる日差しをちらっと見上げてスベンはそう話した。

 彼の言う通り、日はまだ高いが地面に差した影の方は随分と長く延びてきていた。そして空には薄らと三つの月が浮かび上がっていて、もうすぐ夜が訪れることを示していた。


「しかし、あんたがシロディアの信者とはな」


 村に賊が入ってきた事件から一週間が経つ。今日も今日とて、ラルフはスベンと二人で猟に出ていた。


「意外か? ……だがな、村の連中は知らないだろうが、元々うちはシロディア教と関係のある家だったんだ」


 シロディア教とは、リヒテ王国だけじゃなくアジール大陸全体で広く信仰されていて、それ故『正教』とも呼ばれている信仰だった。


「そうなのか?」


 だが教会がある人の多い町や都市ならともかく、こんな田舎の村ではむしろ地方の神々への信仰の方が根強い。

 その点、スベンがシロディアを信仰するのは意外ともいえた。


「ああ、今でも家の地下倉庫にゃ、経典やら聖具やら色々置かれてるまんまだ。……多分、この村に入る前のご先祖様がシロディア教の神父か何かじゃないかってワシは思っとる」

「それで信者になったのか」


 家で代々信仰していたなら、自然とそうなるのは別段不思議なことではない。ラルフは納得したように頷く。


「まあ、今じゃただの似非信者にすぎんがな」


 カッカと笑いながらそう言った後、スベンは少し真面目な顔になって何かを思い出すように語り始めた。


「ただまあ……こんなところじゃ、本なんて滅多に出回らないからな。だからワシが子供だった頃、親は読み書きを教えるつもりで経典なんかを与えたんだろうな……」


 ある意味当たり前ではあるが、この村で読み書きができる人はそう多くない。

 ラルフが知る限り、それができるのは村長とティアン、そして自警団のリックくらいで、レナも一応村長に教わってやっと基本的な読み書きはできる程度だった。


「でもワシはシロディアの教理を気に入ってる。なんせ、調和を司る女神様だからな。こんな何もないところで生きていくには、ワシらは自然から色んなもんを分けても貰わなければならねぇ。人間も、動物も、植物も関係ねぇ、要は調和が大事ってことだ」


 ラルフ自身は別にシロディアを信仰してはいないが、教養として知っているシロディアの教理と比べると、スベンはそれを随分と強引に解釈しているように見えた。

 そんな微妙なラルフの顔を察知してか、スベンがまたカッカと笑って話す。


「まあこんなこと、本職のやつらに言ったら罰当たりだと言うだろうがな!」


 それから別段会話を交わすことなく歩き続けて村の近くまで来た頃、スベンがふいに思い出したように言ってきた。


「そういや今日、麓から若い連中が帰ってくる日じゃなかったか?」

「……ああ。確か朝に帰ってきていたな」


 今日スベンの家に行く前、村の広場辺りで自警団の男達が麓の市から持ち帰ってきた物品を村の人達に配っていたのを思い出して、ラルフはそう答えた。


「なら、明日来るときに頼んでおいた矢じりと枷を持ってこい。村長のところに行けば預かっているはずだ」


 さらっと明日も手伝いに来いと言っているようにも聞こえる話をした後、スベンは軽く溜め息をついた。


「お前さんも知ってるだろうが、この村には鍛冶屋がないからな。痛んだ程度なら手入れで何とかなるが、そもそも壊れてしまったもんはどうしようもねぇ。特に矢じりや枷みたいなのは特にな」

「……了解した」


 それからスベンの家で荷を降ろした後、ラルフはまず頼まれたものを取りに村長の家に向かった。

 そして坂上にある村長の家が見えてくると、家の前で話し声が聞こえてきた。


「…………間違いない……たら、この村は………、…………村長!」

「……れば、…………誰も……ところまで……、……安心するんじゃ」


 聞こえてくる話し声からして人数は二人。

 その中の一人は村長の声だった。まだ距離があるせいで聞こえづらいが、何やら片方の男が興奮して何かを言っていて、村長がそれを宥めているような形に見えた。


「なに、心配するでない。だから余計なことにまで気を回すな……良いな?」


 ラルフが近づくにつれ、それらの声も段々はっきりと聞こえてくる。

 そして村長と話している相手は自警団の男、リックだった。


「取り込み中か」


 坂を上がってきてそう尋ねるラルフの声に、村長とリック二人が同時に振り返る。


「ラルフ殿、戻ってきましたか」


 温和な笑みを浮かべて応対する村長とは反対に、リックはラルフを見るなり驚いて手に握っていた紙切れをポケットの中に仕舞った。


「何かあったのか?」

「あ……いや、な、何でもない。それじゃ村長、僕はこれで……」


 ラルフがそう聞くと、リックは引きずった顔でそう話して、ラルフの側を横歩きで通って立ち去る。

 自警団の屯所の方に行くのだろ、遠くなっていくリックの後ろ姿を目に留めて村長が長い溜め息をつく。


「何かあったか」


 ラルフが再びそう尋ねると、村長は遠い目をして言ってきた。


「なに……いつの世も、若者は落ち着きがなく血の気が多い……だた、そう思っただけです」

「……何のことだ?」


 ラルフが首を傾げて聞き返すと、村長は乾いた笑みを浮かべてゆっくりと首を横に振った。


「いえ、ただの老いぼれの戯言です。……それより、どうされました?」

「……ああ。猟師のスベンから、猟に使うものを預かっていると聞いて取りにきた」


 ラルフが事情を説明すると、得心がいったか村長が頷きながら答える。


「そうでしたか。ちょうどさっき自警団から預かったばかりです。さあ、中へ」


 どうやら今さっきリックが村長に会いに来た理由には、その物品の配達もあったようだった。

 中へ入るよう勧めてくる村長に従い、ラルフも家の中へ歩を進める。

 だがラルフは心の何処かに、何とも言えない……小さくも不吉なしこりのような存在を確かに感じていた。

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