第25話 『少年のメランコリー』
一方、レナが訪ねてくる少し前――小屋から飛び出してきたティアンは、荒くなった息を整えながら後ろを振り返る。
そこには半分開かれた状態の扉が風に当たって動いているだけで、誰も立ってはいなかった。
「やっぱ、ついてくるわけない……か」
悔しい思いと、未練がましい自分への苛立ちがごっちゃ混ぜになってティアンを苦しめる。
とにかく叫びたい衝動を何とか抑えてティアンは考えた。
「やっぱり戻って、謝らなきゃ……でも、どうすれば」
そう言いながらラルフの家へ一歩踏み出しては、また足を止めて悩み始めるティアンは、やがてその場にへたり込んだ。
「うあっ!? そうだった……昨日、雨だったっけ」
尻に伝わるぬめっとした感触に、ティアンは慌てて立ち上がる。地面は昨日の雨でぬかるんでいて、当然そこに座りかけたティアンの服にも泥がべっとりついていた。
「本当、ついてないな……っ」
服の汚れを落としていると理由もなく苛立ってきて、ティアンの手つきも段々と荒っぽくなっていく。
「はああぁぁぁ~~…………」
深く長い溜め息を吐き出して空を見上げる。
どこまでも青く高い空をゆったりと流れる綿雲をしばらく眺めて、ティアンはやっと決心したように呟いた。
「謝って、もう一度頼んでみよ……!」
そう言って勇み足で歩き出して三歩も行かないうちに、ティアンはまた足を止めて頭を抱えた。
「ああ~でも、なんて言えばいいんだよ……!?」
そうやってラルフの家から少し離れた場所を行ったり来たりしていたティアンの目に偶然入ってきたのは、ラルフの家の隣にいる物置き小屋だった。
「……まずは、あそこで考えよ」
そろそろ足も疲れてきたし、何よりこうやって悩んでいるのを誰かに……特に家から出てきたラルフとばっぱり出会ってしまったら気まずいと思ったティアンは、そそくさその物置小屋へと入った。
引き戸を開けると、昨日の雨で雨水が漏れてきたのか、少しかび臭い匂いがしてきた。
中の小さい嵌め殺しの窓から差してくる日光に、細かい埃の粒が小屋の中を漂っているのが見える。
「汚いなぁ……」
ティアンは少し顔をしかめて中へと進んだ。
辺りを見渡すと、もう使われなくなって放置された農具や棚、食器などがあっちこっちに乱雑に置かれていた。
「…………うん? あれは――」
そしてティアンの視線が部屋の一番奥にある棚、その上に置かれた袋の前で止まる。
少し開いている袋からその中身を見て、ティアンは早足で袋を置いた棚に近づく。
「やっぱり! これ……鎧だ」
繋ぎ目は壊れ、色んな箇所がへこみ、もう使い物にはならない状態だったが、ティアンは目を輝かせてその鎧を袋から取り出した。
「うおっ!? け、結構重いな、これ……」
その重さに驚きながら、何とか隣の棚の上に鎧を置いたティアンは食い入るようにそれを見つめる。
「すげぇぇ…………ッ」
所々乾いた血と泥で汚れた半壊の鎧にすぎなかったが、ティアンには逆にそれが格好よく思えた。
「これ……ラルフの鎧だよな」
そう言いながら色んな角度から鎧を眺めていたティアンは、それを持ち上げようとして途中で止めた。
「さすがに、俺が着るのは無理か……」
重さもさることながら、そもそもサイズが合わないのは明らかだった。
やがてティアンは鎧を着てみたいという欲求を諦めて、それを棚の上に戻した。そして横の壁に掛けてあった、とある物を発見する。
「えっ、まさか……これって!?」
そのティアンの目に入ってきたのは他でもなく、ラルフの剣だった。それが少し埃を被って無操作に壁に掛けられていた。
「何でこれが、こんなところに……」
ティアンは何かに引かれるように剣の前に立ち、それを手に取った。すると、ずしりとした重たい感触が腕に伝わってくる。
「そういや最近これ持ってたの、見てなかったな……」
ラルフが村に来て最初の頃は、いつも剣を身につけていたのを覚えている。それこそ畑でも、猟に出た時も肌身離さず持ち歩いていた。
……それがいつからか、突然見えなくなっていた。
「どうして……」
だがそれを疑問に思うのも束の間、ティアンはまじまじとラルフの剣を食い入るように見つめては、ごくりと喉を鳴らした。
「…………っッ」
ゆっくりと伸ばされる手。
片手で剣の柄を、もう片手で鞘を掴んで徐々に力を入れて剣を引き抜こうとしたティアンは、突然その手の動きを止めた。
「さすがに、これは駄目だ……勝手にこんなことしちゃ」
深い溜め息をついて、どこか沈んだ気分になったティアンはラルフの剣を元あった壁に掛け直した。
そして鎧を入れ戻そうと袋を広げたとき、その中に妙なものが光っているのを発見する。
「……? 何だこれ? 鎧の破片……じゃ、ないみたいだけど」
ティアンはそれを手に取り、日光に照らせて観察した。
それぞれ違う形をした四つの剣が彫られた何かのエンブレム。
……決して豪華絢爛には見えないが、とこか格調高い感じがするそのペンダントを、ティアンは何かに魅入られたかのように見つめていた。
「……ティアン? そんなところで何してるの?」
急に物置の外から聞こえた声に動転して、ティアンは咄嗟に持っていたペンダントを後ろ手に隠して慌てて振り返る。
「れ、レナ……ッ!?」
物置の外には、レナが怪訝そうな顔でティアンを見ていた。
「そんなところで、何してるのよ」
もう一度聞いてくるレナに、ティアンは慌てて聞き返した。
「そ、そんなレナこそ……な、何でこんなところにいるんだよ……ッ!?」
「私はラルフおじさんに用事があって、その帰りだけど……ティアンは?」
「そ、それ……は」
何て言えばいいか言葉が見つからなくてティアンが口ごもると、レナは不思議そうな顔をしで首を傾げる。そして思い出したように言ってきた。
「それより、明日はリックたちが麓の市に行く日なの覚えてる? 何か頼みたいことがあるんなら、今のうちに言っておいたら?」
「えっ、そ、そうだったかな……ッ」
ティアンは冷や汗をかきながらそう答えた。
正直今はそれどころではなく、激しく跳ねてる心臓のせいで息苦しいさを感じるほどだった。
「今なら、うちで村長と買出しの相談とかしているはずたから……」
「それじゃ俺、行ってくるっ!」
そう話しているレナの言葉を遮って、ティアンは走り出した。
「ちょ、ちょっと!?」
レナの横を通り抜いて坂道を走る。後ろからレナの声が聞こえたが、あえて聞こえないふりをしてティアンは全速力で走り続けた。
「はあはあはあ…………ッ」
息が苦しくなって速度を落とし後ろの方を見ると、幸いレナが追いかけてくる気配はなかった。
それでティアンはやっと大きく息を吐き出して、走ってる間に手が汗ばむほど握りしめていたそのペンダントを見下ろした。
「……これ、どうしよ」
咄嗟に持ち出してしまったけど、返すにも今すぐあの小屋に戻るのは何となく憚れた。
だからって、自分のものじゃないのをずっと持っているのも罪悪感が込み上げてきて気が引ける。
「どうすれば…………うあっ!?」
ペンダントを見ながら歩いていたせいか、周りへの注意が疎かになっていたティアンは、前から出てきた誰かとぶつかってしまう。
「あっ、いたぁぁあぁ……ッ」
頭から突っ込んでしまい鼻を打ったティアンは、痛む鼻を押さえて顔を見上げた。
「お、悪い……って、何だクソガキじゃねぇか」
どうやら知らずのうちに村長の家に向かっていたらしく、ちょうど村長の家から出てきた自警団のダニエルとぶつかってしまったようだった。
「くッ……気をつけろよな!」
鼻を擦りながら文句を言うティアンに、ダニエルはへらへらと笑いながら言い返す。
「それを言ったら扉の前でうろついてた、お前ぇの方がもっと悪いだろうが」
「何だと~~ッ!?」
せせら笑うようなダニエルの物言いに、少しカッとなったティアンが口調を荒げる。
そして開いた扉から他の自警団のメンバー、リックとロビンが外に出てきた。
「なに子供相手に喧嘩してるんだよ……」
リックが溜め息混じりにそれを宥めると、ダニエルも決まりの悪い顔をして軽く肩を竦めた。
「俺は子供なんかじゃない!」
「はいはい、それは悪かったな……うん?」
悔しそうに言い返すティアンに生返事を返していたリックが、ティアンの足元の方を見て言ってきた。
「何か落ちてるぞ。…………何だ、これ?」
リックが腰を落してそれを拾い上げる。
その彼の手には、さっきまでティアンが持っていたラルフのペンダントが握られていた。
「あっ!? か、返せっ! 早く返せよ!!」
ティアンが慌ててリックの懐に飛び込み、手を伸ばしてそのペンダントを奪い取る。
それでリックは少し面食らった顔になって苦笑いを浮かべた。
「お、おいおい、何をそんな慌てて……それよりも、それは何だ?」
「……お前には、関係ないだろッ」
リックの問いに、ティアンは一度リックを睨みつけてそう言い返すと、その場から走り去った。
「何だよ、あいつ……何ムキになってるんだ?」
後ろからリック達の声が聞こえたが、それもやがて遠くなっていく。
それから村の外れまで走ってきたティアンは、手に持ったペンダントの無事を確認してやっと溜めていた息を全部吐き出した。
「と、とにかく……早く元の場所に戻さないと」
さりげなく周りを見回して誰も見てないことを確かめたティアンは、なぜか出てくる安堵の息を漏らしてゆっくり物置小屋の方へと歩き出した。
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