第19話 『春の前触れ』
ラルフが村に来て一ヶ月が過ぎた。
その間いつしか空気は暖かさを含み、草木は緑色を増していく。もう春が目と鼻の先まで近づいてきたのを肌で感じるようになっていた。
そして今日もラルフは村の高台にある一際大きいユーカリの木の下に座って、その名もなき村の全景を眺めていた。
「やっぱり、ここに居たんだ」
横から聞こえた声に、ラルフは少しだけ顔を上げてその相手を確認する。
「……お前か」
そこには片手にカゴを持ったレナが立っていた。ラルフは再び視線を坂下に見える村の方に戻した。
「この場所、好きみだいね。最近は毎日ここに来てるし」
「……どうかな。ただ……」
そこまで話して、ラルフは一度口を閉じた。
「ただ?」
その珍しく歯切れの悪い返事にレナが聞き返すと、ラルフは村を眺める目を少し細めて続きを話した。
「ただ……確かに、心が落ち着く感じだ」
それを聞いたレナはしばらく間を空けてから、ぷっと吹き出して笑う。
「なんか今のラルフさん、日向ぼこしてるお爺さんみたい」
それでラルフがレナの方を見上げると、彼女は少し悪戯っぽい表情になって話す。
「だって、そうじゃない? こんな陽射しの暖かい場所でぼーっと村を眺めて、それで心が落ち着くとか、完全にお爺さん発言でしょー」
くすくすと笑みを漏らしながら話すレナを見て、ラルフは少し首を傾げる。そしてまた村の方に視線を向けた。
「よーし、それじゃこれからラルフさんのことは『おじさん』って呼ぶことにしよ」
「…………俺はまだ、おじさんって歳じゃないんだが」
実際の年齢で考えて、ラルフはこの村の大人達より断然レナの方と歳が近い。
だがそんなラルフの抗議に、レナは人差し指を突き出してちっちっちと左右に振った。
「い・い・や。いつもしてる言葉遣いとか仕草とか、何となくお爺さんっぽいよ? それに、髪もちょうど白髪だしね」
「なら何でお爺さんじゃなく、おじさんなんだ……」
ラルフが面倒くさそうに一人そう呟く。
甚だ不本意ではあるが、理屈としてお爺さんならともなく、何でおじさんになるのかラルフには理解できなかった。
「それは実際の歳はまだ若いから、その間を取って『おじさん』。……どう?」
「…………好きにしろ」
何か言い返そうとしたラルフだったが、急に疲れを感じて口を閉じる。
正直自分がこの少女に何て呼ばれようが、それはさほど重要ではなかった。
「へへ。よろしくね、ラルフおじさん」
明るい笑顔でそう話したレナは、ラルフの隣に並んで座り、彼と同じように村の風景を眺める。
だがすぐ持ってきたカゴを開けては、中のものを取り出し始めた。
「何だ、それは?」
「今日は山菜取り場の方に行ってたの。そしたら花がたくさん咲いてて、家に飾ろうと思って取ってきたんだ。すごく綺麗でしょ?」
そう言って、レナが取ってきた色んな花をラルフに見せる。
カゴの中を埋め尽くすその花々は、まるで色とりどりの花束のようにも見えた。
「……俺には、よくわからない」
しばらくそれを見ていたラルフは、軽く首を横に振ってカゴから視線を外した。
「ぶぶーっ、何よそれ」
頬を膨らませてそう言ったレナは、やがてそれらの花々を指先で弄りながら遊び始めた。
ラルフもまた村の方を眺めて、そこに静かな時間が流れてゆく。
「…………できた!」
どれくらい時間が経ったのか、突然レナが歓声を上げてきた。
「どうした?」
そう言って横を向くラルフに、レナが自分の両手を突き出してくる。その手には花冠が一つこさえられていた。
「……何だ、それは」
「花冠。知らないの、おじさん?」
ラルフの言葉に首を傾げて聞き返すレナ。
当然、ラルフも花冠のことを知らないわけではない。ただ何でそれを作ったのか、そしてなぜ自分に突き出しているのか、その脈絡の無さを怪訝に思っての言葉だった。
「……うん、結構似合うね」
レナがその花冠をラルフの頭の上に被せる。そして満足そうに頷くと、ラルフに言ってきた。
「それ、おじさんにあげるから。大事にするんだよ?」
ラルフが視線を上に向けて、自分の頭に乗ったそれを見る。そしてレナの方に視線を戻すと、彼女は地面に置いたカゴを持って立ち上がった。
「それじゃ、私は昼ごはんの用意しに行くからね。遅れず来るように、わかった?」
「……ああ、了解した」
そして坂道を下るレナの後ろ姿を少しの間見ていたラルフだったが、やがて自分の頭の上に乗せてあった花冠を手に取る。
「………………」
素朴で、どこか結びが拙いその花冠をしばらく見つめていたラルフは、再び村の方に視線を戻す。
昼時に差し掛かった時間帯にも関わらず、村の風景は相変わらずゆったりとしたものだった。たまに家の前に人の姿が現れることはあれど、その動きは緩やかで……まるで一つの風景画を見ているような心地をラルフに与えていた。
そうやってもうしばらく村の方を眺めていたラルフは、花冠を手にその場から立ち上がり、村長の家に足を向けた。
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