第16話 『猟師と少年』

 翌日未明――ラルフは言われた通り、猟師のスベンが住む小屋に向かっていた。

 まだ早い時間だからか、外を出歩く人は誰もいない。道の端々に見える家にも明かりはなく、日の昇ってない山村はその全てを薄暗い青色に染めて静まり返っていた。

 

 ザクザクっと足元の土や小石を踏むラルフの歩く音と、時折森の方から聞こえてくる鳥のさえずる声以外、何の物音一つ存在しない世界――それはラルフに、まるで人がいなくなった世界をたった一人で歩いているかのような錯覚すら抱かせる。


 そして村の東端に、他の家と離れてぽつんと立っている小屋の前に到着すると、そこには小さな人影がラルフを待ち構えていた。


「へへ、待ってだぜ」


 小屋の手前にある大きな岩の上で、ティアンが人差し指で鼻の下を擦りながらそう言ってくる。

 ラルフは首を傾げて少年を見上げた。


「そこで何をしている?」

「それは……よっ!」


 そう言って、ティアンが岩の上から飛び降りてラルフの前に立つ。そして胸を張って言い放った。


「今日はベンのおやじの所に行くんだろ? 俺も一緒について行ってやろうと思ってな!」


 そこまで話して、ティアンが大きく口を開けては欠伸をする。

 ……どうやらこの少年はラルフより早く起きて、ここで彼が来るのをずっと待ち伏せていたようだった。


「まあとにかく、こっちだ!」


 ラルフの返事も聞かず、ティアンは先を歩き出して小屋の方に走って行く。

 ラルフもその後を追って家の前に着くと、その小屋からは他の所と違って窓から微かに明かりが漏れていた。


「ベンのおやじ、手伝いに来たぜ!」


 何の断りもなく小屋の扉を開け放って、勇み足のティアンが中へと入る。


「何だ、またクソガキか……。帰れ帰れ、ここは子供の遊び場じゃないんだ」


 その小屋の中には、暖炉の前に置かれた椅子に初老の男が一人座っていた。

 何かの道具の手入れをしていたその男は、ティアンを見ると掠れた声でそう言ってくる。

 そして後ろに立っているラルフにも視線を向けてきた。


「なんだ、お前さん……見ない顔だな」

「おやじ、知らないの? この前レナが連れてきた王都の兵士、ラルフだよ!」


 なぜか自慢げに話すティアンをしかめっ面で睨んで、その男は再びラルフの方へ視線を向ける。


「ほうー、お前さんが……。んで、外から来た御仁が、何でまたワシのところに?」

「ジョエルから、こっちに一度顔を出すよう言われて来た。何か手伝えることはあるか?」


 ラルフが事情を話すと、その男は軽く舌打ちをする。


「ちっ、ジョエルめ……余計なことを」


 そう言って何か考えるそぶりを見せた男は、やがて手に持っていた長い棒のような道具をラルフに投げ渡してきた。


「……ラルフと言ったか? ワシはスベンだ。村の奴らは勝手にベンと呼ぶがな」


 ラルフは渡されたその棒のようなものに視線を落した。

 正直に言って、ただの木の棒にしか見えないそれが何に使うものなのかは見当もつかなかった。


「まあ、兵士をやってたんなら多少は使えるだろ。とにかくそれを持っておけ、そしてこれもな」


 首を傾げるラルフに、スベンは更に同じような木の棒を数個追加で渡してきた。


「俺も手伝うぜ、おやじ! 俺にも何かくれよー」


 ティアンがそう言って両手を前に差し出すが、スベンは迷惑そうな顔でしっしっと手を振った。


「だからお前ぇは帰れって言ってるだろが。ガキは邪魔なだけだ」

「何でだよ、ちゃんと俺も手伝えるさ! だから俺も連れてってくれよ~」


 そう言って駄々を捏ねるティアンに対し、スベンは深い溜め息を吐いて話した。


「だからもっと大きくなったら連れてってやると言ってるだろうが、クソガキが。……それより、あの三馬鹿は? いつ来るとか言ってたか?」

「けっ、何だよ…………あいつらが来るわけないじゃん。どうせ昨日も酒飲んで、今頃イビキかいて寝てるんじゃね?」

「たっく、相変わらず使えん奴らだ……」


 スベンがまた溜め息を出して乱暴に頭を掻く。その二人のやり取りを見て、ラルフが質問した。


「今のは誰のことを言っているんだ?」

「ああ……例の三人組。前に一人、ラルフも見ただろ? 自警団やってる奴らだよ」


 ティアンがそう答えると、スベンがハッと笑い飛ばして嫌味を言ってきた。


「何が自警団だ、怠け者たちが。こんな山くんだりに自警団なんて必要あるか!」


 神経質にそう言い放ったスベンは、壁にかけてあった弓矢を引っつかみ肩に掛けた。


「そろそろ後進も育てにゃいけねってのに、たっくよ……」

「だ~か~ら、俺に教えてくれればいいじゃん! な、ラルフ? ラルフからも何とか言ってくれよー」


 スベンに縋りつき助けを求めてくるティアン。ラルフはそんな二人を交互に見て話した。


「……事情は知らないが、一度連れていけば気が済むんじゃないか?」


 そんなラルフの言葉に、スベンがもう一度ティアンの方に視線を向ける。

 頬を膨らませて梃子でも動かないとスベンの服を掴んでいるティアンに、スベンは今日で一番大きい溜め息を吐き出した。


「わかったわかったわかった……。ただし、絶対勝手な真似はするなよ? ワシの指示通りに動け」

「お、おおおおーーっ!? わかったよ、俺に任せておけって!」


 そう答えて大はしゃぎするティアンを不安げに見ながら、スベンが今度はラルフ方に言ってきた。


「あんたが言い出しっぺだ。ガキが勝手せんようにちゃんと見張れよ、いいな?」

「……善処する」

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