第15話 『戦禍の爪痕』
「昔は、アレクスもよく手伝ってくれたのにね……」
「アレクス?」
ラルフが聞き返すと、少し硬い顔になったジョエルが気まずそうに答える。
「あ、ああ……アレクスは、私たちの息子だよ。もう、村を出て十五年も経つがな……」
確かに昨日と今日とで、彼ら夫婦のご子息を見た覚えはない。
ラルフはてっきり自警団という若い男達の中の一人ではないかと思っていたが、どうやらそれも違ったらしい。
「何の連絡も寄越さないで何をしているのやら……自分じゃ、へデルハイクに行って商売をするって言ってたがな」
「……そうか」
「まあ今となっては、どこかで無事に過ごしてくれていれば……それでいいと思ってるよ」
そう話したジョエルはまた苦笑いを浮かべた。
「……そうだな」
相槌を打ちながらラルフは考える。王都サリエンまで前線が下がる前、南リヒテ地域の対帝国前線の中心はへデルハイクであり、ラルフも当然そこに配属していた。
ただ……ラルフがへデルハイクで見たものといえば、押し寄せてきた避難民で溢れかえった町並みと、職を失い酒浸りになった酔っ払いや、乞食が路地を闊歩する光景だけだった。
「まあこの村ではよくあることだよ。若い人には、山奥でこうして過ごすのは退屈に感じるのかもしれないな……」
遠くの空を見上げてジョエルがそう呟く。それでアンナも愚痴るように話を足してきた。
「せめてデロンさんが居たら、村ももう少し活気があったかもしれないのにね……」
「おい、アンナ……!」
ジョエルが少しむっとした顔でアンナを咎める。そしてレナの方に視線を寄越した。
それでアンナもしまったという表情になって、レナに謝ってきた。
「あら……ごめんなさい、レナ。私が無神経だったわ……本当にごめんなさいね」
「ううん、いいの。私は全然、何ともないよ?」
アンナの謝罪の言葉がかえって居心地が悪いらしく、レナは手を振って苦笑いを浮かべた。
「誰だ、デロンって」
少しおかしくなった空気でラルフがそう質問すると、レナが答える。
「私の……お父さん」
どこか照れくさそうにして話すレナに代わって、ジョエルが言ってきた。
「……デロンは、丁度うちの息子が村を出たのとすれ違う形で外からきた男でな。当時は赤ん坊だったレナを抱えて、一人でこの村に来たんだよ」
「そうだったのか」
また適当に相槌を打って、ラルフは自分の皿を持ってスープを啜る。
……男一人で、赤ん坊を連れて山奥の村に来るといえば、如何にも訳ありに見える……が、長い戦争の中でそういう類の話を掃いて捨てるほど見聞きしてきたラルフに、それらの事情には何の興味も感慨も沸いてはこなかった。
「デロンは無口な男だったが、村の仕事を積極的に手伝ってくれてね……。まあこんな村だから、若い人の手はいくらあっても足りないだろ?」
懐かしむようにそう話したジョエルは、また井戸がある方向を指差して言ってきた。
「さっき話した井戸も、実作業は彼と私とでやってたんだよ。まあ、当時は私も若い方だったしな」
ジョエルが少し自慢げな声でそう話すと、アンナがすぐ茶々を入れてきた。
「あらやだ、あなたはデロンさんに誘われて嫌々やってたでしょ?」
「う、うぅ……そ、それはだなぁ……」
そんなアンナの突っ込みに、ジョエルが冷や汗を掻いて話題を逸らす。
「ま、まあそういう訳で、デロンはすぐ村に馴染んでたよ。麓の市にも率先して通っていたしな」
「へぇ……そうだったんだ」
その話をなぜか他人事のように聞いているレナの横で、ジョエルは少し声を落して話を続けた。
「だが十年前、外で戦争が起きてすぐ……デロンは村長にレナを預けて、義勇軍に入るとか言って村を出て行った。そしてそれきっり、まだ帰ってきてない」
最後は沈鬱な顔でそう話したジョエルは、今度は隣でパンを齧っているラルフに聞いてきた。
「ラルフ君も軍にいたんだろ? もしかして、デロン・グロスって名前に心当たりはないか? 背はちょうどラルフ君くらいの、青い髪をした男なんだ」
「……いや、すまないが」
ラルフはゆっくり首を横に振った。
……そもそも戦争初期からして義勇軍の数は大小合わせれば数え切れないほど存在していたし、仮にラルフとそのデロンという男が同じ戦場に立ったことがあったとしても、一々味方兵士の顔や身の上話を覚えているはずもなかった。
「まあ、そうだような……」
だからか、ジョエルは別段失望するわけでもなく、ただ深い溜め息を吐いて視線を落とす。
そして話が途切れると、アンナがレナを見てもう一度謝ってきた。
「ごめんなさいね、レナ」
「ううん、本当にいいの。それに……」
行方不明の……多分もう死んだはずの父の話をうっかり持ち出したのが申し訳ないのか、しきりに謝るアンナをレナが困った顔で宥める。
「それに私……お父さんのことはあまり覚えてないから、そう言われてもよくわからないよ」
レナがぎこちない笑みを浮かべてそう言ってくる。
だが無理もない、話からして当時はまだ5~6歳くらいの子供だったレナにとって、十年が過ぎた今……父の顔なんておぼろげになって当然ともいえた。
「それにさ、今は村長もいるし、ジョエルさんやアンナおばさん……村の人たちがいるから、全然寂しくないよ?」
「レナ……」
レナの言葉に、感極まった顔で口を揃えるジョエル夫妻。二人の目尻には少し涙まで溜まっていた。
「……えっ、なんで俺の名前は入ってないんだよ!?」
黙々と食事をしていたティアンが、急に顔を上げてそう抗議する。それでレナは悪戯っ子の顔になってティアンを見下ろした。
「ふーん、入れて欲しいの?」
「……ちっ、いいよもう」
そんなレナの言葉に、ティアンは彼女から顔を背けて拗ねた顔になる。
「はいはい、そう怒らないの。これあげるから」
そう言ってレナは、カゴから何かを包んだ紙包みを取り出してそれを解く。その包みの中にはまだ熱を含んだ燻製肉が入っていた。
「ラルフさんも沢山食べてね」
そう言って、レナはそれを新しい皿に分けてラルフの前に置く。ラルフはそれをまじまじと見てジョエルに聞いた。
「……肉はどこから取り寄せてるんだ? まさか、直接猟に行ったりしているのか?」
村長の家でもそうだったし、割とよく肉の類が食事に出てくる。
だがそれにしては、村の人達のほとんどは畑に出て仕事をしているようにラルフには見えた。
「ああ、私達が直接行くわけじゃないよ。……村と東の森の境にある小屋に、スベンっていう男が住んでてな。あいつの家が代々この村で猟師をしていて、取ってきたものを村で分けてるんだよ。そしてこっちで育てた作物を彼に分ける」
「そうだったか」
「ああ……何度も言うけど、ここは小さな村だからね。お互い助け合わないとな」
そう言ってジョエルが純朴な笑みを作る。そして何か思いついたようにラルフに話を振ってきた。
「そういえばラルフ君も軍にいたなら、弓とか得意なんじゃないか? 動物を取ったりとか」
「弓はあまり得意じゃないが……まあ、食料の調達に動物を狩ったことはある」
肉を頬張りながらラルフがそう答えると、ジョエルが軽く肩を叩いて言ってきた。
「それなら一度スベンの奴のところにも顔を出してみると良い。実は私と彼は同じ歳の幼馴染でね……少し気難しい男ではあるが、良い奴だよ」
ラルフはジョエルに肩を叩かれるままに、口を動かしながらも首を傾げる。
「畑の方はいいのか?」
「ははっ、心配するんじゃない、元々私たちだけでもやってこれたんだ。……まあ気が向いたときに、たまに手伝ってくれるだけで十分さ。その方がレナたちも喜ぶだろうしな」
ジョエルは三人で和気藹々に話しながら食事をしているレナとティアン、そしてアンナを見てそう話す。
そんなジョエルの視線に釣られ、ラルフも感情の読めない目でその三人を見つめた。
「……わかった。明日にでも行ってみよ」
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