第13話 『とある冬の夜に』

 春が近いとはいえ、冬場の山の夜は冷え込む。

 夕食を済ませたラルフは自分の小屋に戻り、暖炉に火をつけていた。窓を叩く風の音と薪が燃えて崩れる音だけが静かな部屋の中に響く。


 メラメラと揺れ動く薪火を見ながら、ラルフは王都陥落の日の事を思い出す。

 見渡す限りが火の海で、剣戟の音に混じって聞こえる人の呻き声。手足をもがれ、地べたを這い蹲り、それでも生きようと足掻く人々の姿が薪火の中で蠢く。


「うぅッ……っ!?」


 急に襲ってきた吐き気に、ラルフは口元を押さえ薪火から後ずさった。

 そしてタンパク質が燃える独特の臭い……人が焼かれるときする生臭くも嫌な臭いがラルフの鼻をつく。


「はあはあはあはぁ……っ……」


 心臓の鼓動が急激に跳ね上がり、ラルフは自然と胸元を掴んだ。発汗する頭から汗が頬を伝って流れ落ちる。


「くっ……!」


 なんて無様な――ラルフは心の中で自分にそう悪態をつく。

 こんなことは八年前、初めて敵兵を……人を殺したとき以来だった。だが久しぶりに訪れたその症状は時が経てば経つほど収まるどころか、その動悸を増していくばかりだった。


 ――タン。タン。タン。


 突然の扉を叩く音にラルフは跳ねるように振り返る。そして扉の外から声が聞こえてきた。


「ラルフさん、居る? ……入るよ?」


 それはレナの声だった。それを聞いて、極限まで強まった緊張感が一気に飛散していく。

 ラルフはふらつく足取りで扉の方に歩いていった。


「あ~寒い寒い。今日は本当冷えるねー」


 勝手に扉を開けて中に入ってきたレナがそう話す。そんな彼女は両手いっぱいに荷物を抱えていた。


「……なんだ、それは」

「昨日持ってきたのだけじゃ足りないと思って、色々持ってきたの。予備の布団と、着替えの服も」 


 持ってきた荷物を広げて見せたレナは、ラルフの顔を見て首を傾げた。


「……どうしたの? どこか具合でも悪い? すごい顔してるよ……?」


 蒼白なラルフの顔を見て心配そうに聞くレナに、ラルフはふと気づいたことを口にした。


「頭に何かついてるぞ」


 ラルフがレナの頭についているものを軽く叩いて落す。そして自分の手に伝わる冷たい感触に驚く。


「えっ……ああ~今、外は雪降ってるから! それで、頭についたんじゃないかな……?」


 頭を撫でるようなラルフの手の動きにびくっとしながらレナが飛び引く。そして赤らんだ顔で自分の髪を整えながらそう話した。


「……雪」


 ラルフはゆっくりと視線を窓の外に向けた。窓を叩く風と共に、外では結構大粒の雪が宙を舞っていた。


「そうなの。だから今晩は冷えるだろうから、色々持ってきたんだ」

「そうか。……ありがとう」

「ううんー。そ、それじゃ布団とかベットに敷くから、奥に入るね?」


 ラルフが軽く目礼して礼を述べると、レナは少し気恥ずかしそうな表情でそそくさ部屋の奥に入る。


「服は……この棚に入れとくね」

「ああ」


 それからレナは持ってきた服を丁寧に畳み棚に収めて、ベットにシートを重ねてはその上に新しく持ってきた厚い布団を敷く。

 そうやって彼女が作業する姿を、ラルフは少し後ろの方で眺めていた。


「……ね」

「なんだ?」


 無言でしばらく手を動かしていたレナが、突然ラルフに聞いてきた。


「体の方は、もう本当に治ったの?」

「ああ」


 ラルフが短くそう答えると、しばらく間を空けてレナが再び口を開ける。


「それじゃ、どこか行っちゃうの……?」


 また少しの静寂。彼女の後姿から、その表情は伺えなかった。


「……急にどうした?」

「私も、よくわからない。……ただ晩ご飯のとき、なんか変だったから……かな」


 レナの話しにラルフは思わず苦笑する。知らずのうちに感情が顔に出ていたらしい――少し考えて、ラルフは首を横に振って答えた。


「いや、今のところは。……厄介をかけるが、君たちさえ良ければここに居させてもらおうと思っている」


 確かに体はほとんど治りかけている。傷口はもう塞がっているし、落ちた体力もじきに完全な状態まで戻せるだろ。

 ……だが事実として国が滅びた今、ラルフに戻る場所も行く当ても存在しなかった。


「うん、うん……っ! 私は全然ッ!? だから、ラルフさんの気が済むまで居たらいいよ!」


 振り返って顔いっぱいの笑顔を見せるレナに、ラルフはむしろ首を傾げて聞き返した。


「……なぜ、俺にそう親切にするんだ?」


 それはラルフがこの村で目を覚まして、最初から感じていた疑問だった。

 ……言ってみればラルフはこの村の部外者だ。そして閉鎖的であればあるほど、大抵の場合よそ者を嫌う。しかも戦争で疲弊した国なら尚更のことだった。

 善人か悪人かもわからない部外者を受け入れ、あまつさえこんな親身になってくれるのは……少なくともラルフの経験上初めてのことだった。


「うん……そうかな? ほら、この村って歳の近い人ってあんまり居ないし」


 同じく首を傾げて、自分なりに理由を探してレナがそう答える。


「それに、何となくだけど……その」


 そしてレナは何度かラルフの顔をちらっと見上げては目を細める。


「……なんだ?」

「あ、いや、何でもないよ!? ……そ、それじゃ、お休みなさい!」


 ラルフが見つめ返すと、レナは恥ずかしそうに俯いて、そそくさラルフの横を通り抜いて部屋を出る。

 そして扉が閉まる音がしたと思うと、再び扉が開かれレナの声が聞こえてきた。


「ちゃんと暖かくして寝るんだよ、わかった?」

「ああ……了解した」


 ラルフが振り返ってそう答えると、レナはにっこりと笑って扉を閉める。

 やがて静かさを取り戻した部屋で、ラルフはもう寝ようとベットの布団を巻き上げてからハッとなる。


 ――いつの間にか、胸の動悸はもう治まっていた。

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