第12話 『近くて届かない情景』

 昼を挟んで夕方まで畑仕事を手伝ったラルフ達は、夕飯に村長宅で集まっていた。その食卓を村長とレナとティアン、そしてラルフが囲う。


「ティアン、今まで何してたの? たまには畑の仕事も手伝ってよ?」


 蒸したジャガイモと干し肉が入った皿をテーブルに置きながら、レナがそう言ってきた。


「だって、昨日の夜……この前買った本を読んでたら、止まらなくってよ」


 ティアンは自分の野菜スープに固いパンを浸し、それを口に入れて咀嚼しながら答える。


「またあの本? 本当好きよね、それ」

「へへッ、そりゃぁな? レナも読んでみれば絶対わかるって!」


 体を乗り出してそう話すティアンの口元からスープが零れた。それをレナがハンカチを取り出して拭いてやる。


「もう……まずは口の中のもの、全部食べてから話しなさい」

「あ、悪い……って、子供扱いすんなって!」


 隣で食事をしているラルフをちらっと見て、ティアンがレナの手を荒っぽく退かせる。

 それでレナはハンカチをポケットに戻しながら話した。


「はいはい、それはまず食べ物を零さないようになってから言いましょうね?」

「ったっく、いつまで子供扱いするんだよ……」


 ぶつぶつと独り語を言って口の中のものを飲み込むティアン。そして今まで黙って食事をしていたラルフが口を開いた。


「……本?」

「あ……うん。なんかね、ティアンってば冒険談とか好きみたいで」


 レナがそう答えると、ティアンが待っていたと言わんばかりに服の中から一冊の本を取り出してラルフに見せる。


「これだよ、これ! ヨハネス冒険物語!」


 見てみろと本を突き出すティアンからそれを受け取り、ラルフはその表紙に目を落した。

 それは有名といえば有名な、リヒテ王国を建国した剣聖ヨハネス・リヒテの伝記を脚色した、子供向けの物語だった。


「憧れるよな……! いつか俺も、ヨハネス王みたいに世界を旅してみたいぜ! そんで帝国のやつらを全部やっつけてやる!」


 握り拳を作ってそう語るティアンに、レナが溜め息をついて言ってきた。


「この前、それ買ってもらってから何度も読み返しているみたい。多分、ラルフさんが来たから刺激を受けてまた読んでたんだよ、きっと」

「……しかし、こういう山奥の村でも本が手に入るのか?」


 本をティアン返して、ラルフが村長にそう質問する。

 本とは、言ってみれば嗜好品だ。しかも長く戦禍に侵されてきたこの国で、本なんかそうそう手には入らない。


「ええ、確かにそう簡単ではないですが……」


 そう答える村長の言葉を遮り、ティアンが言ってきた。


「昨日言っただろ? 月に一度、麓の村で市があるって。そこで買ってもらったんだよ」

「……村で育てた作物の余った分と、狩猟で得た肉や皮を麓の市で売り、村に必要なものを色々買っていましてな。たまにそこで本なんかも出回っているのです」


 そんな村長の話に、ラルフは頷きながらも疑問に思った。

 活字技術の遅れたリヒテ王国では、都市部でないとそもそも本自体が珍しい物品だ。

 それが麓とはいえ、こんな辺鄙なところまで出回っているとは思えなかった。


「まあ自警団の人たちから聞いた話だと、たまに近くの町からも商人さんが来たりするんだって」


 レナがパンをナイフで切り分けて皿に移しながらそう話す。


「自警団?」


 ちょくちょく話題に出てくるその名称にラルフが聞き返すと、村長が答える。


「ええ、この村じゃ年寄りがほとんどですからな。荷物を持って山道を二日も行き来するのは難しいので、市に関しては自警団の若人たちに任せています」

「……そういえば、畑の方もそうだったな」


 昨日と今日とで、村と畑の方ですれ違ったりした村人のほとんどが老人か壮年の人達だったのをラルフは思い出す。


「この村で若い人は、今やここにいるレナとティアン、そして自警団の男たち3人くらいしかおりません……」


 村長がしみじみとそう語る。その少し沈みかけた雰囲気に、ティアンが不満げに言い漏らした。


「でもあいつら、自警団だなんだ言って畑仕事はサボるし、倉庫から色々持ち出して小屋で酒ばっか飲んでるじゃん。本当使えないよなー、あいつら」


 そう言ってティアンはジャガイモを取って丸ごと口に入れる。だが湯気の立つジャガイモの暑さに驚いて自分の皿にそれを吐き出した。


「あ、あちぃぃぃッ!?」

「もう、何してるの……」


 レナが苦笑を浮かべてティアンの口元を拭き、零したものを片付ける。

 また文句を言うティアンと、それを宥めて注意するレナ、そんなやり取りを微笑みを携えて見守る村長――そんな夕食の情景を、ラルフはどこか冷めた目で眺めていた。


「………………」


 目の前に映るものが自分には遠い、あまりにも遠すぎる……ラルフにはそう思えてならなかった。

 血と鉄の臭いがかえって落ち着くラルフにとって、それはあまりにも現実味のない、儚く脆いもののように映っていた。

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