第11話 『畑と老夫婦』

「畑と言ったな、案内してくれ」

「あ、うん……」


 そして二人は小屋を出て、昨日の山道から西の方に外れた斜面を進む。

 そして森の中に入ったと思いきや、すぐさま開けた場所へと出てきた。


「ここが畑か」


 山の斜面を階段式に整理して作った畑が周辺一帯に広がっていた。そして段差のあちこちで村人達が仕事に勤しんでいるのが目に入ってくる。


「私達は……あっちね」


 周りを見渡していたラルフの袖をレナが軽く引っ張る。そんな彼女に引かれるまま歩きながら、ラルフは首を傾げて言った。


「だが、何の道具もなしに何をする?」


 ラルフの言う通り、前を歩くレナは農具の類を何も持ってはいなかった。


「大丈夫、もう持ってきたはずだから」

「……? 何を」


 ラルフが更に首を傾げて聞き返したとき、段差の上の方から声が聞こえてきた。


「お~! レナじゃないか、看病の方はもう大丈夫かい?」


 ラルフが視線をそっちに向けると、少し白髪が混ざった中年の男がレナに手を振っていた。

 そして男の隣には彼と同じ歳ぐらいの女の人が一人立っていて、レナの方を見て人の良さそうな顔で微笑んでいた。


「ジョエルさん、アンナおばさん!」


 レナも手を振って笑顔で答える。そしてラルフの方を見て言ってきた。


「今日はあの二人のお手伝い。おばさんたちが必要なものはもう持ってきてるはずだから」

「……そのようだな」


 レナとラルフがその二人がいる畑に近づくと、中年の男の方がラルフを見て聞いてきた。


「レナ、そっちの人が例の?」

「うん。この人が森で倒れていた王都の兵士さん」

「おお、そうかそうか! 始めまして、私はジョエルといいます。こっちは家内のアンナです、どうぞよろしく」


 屈託のない笑顔で手を差し出すジョエルに、ラルフもその手を握り返して答える。


「ラルフだ。よろしく頼む」


 そんなラルフの返答に、レナからアンナおばさんと呼ばれた中年の女性も軽く頭を下げて微笑む。そしてラルフに話しかけてきた。


「レナから酷い怪我だって聞きましたけど、もう体の方は大丈夫なんですか?」

「それがね? もう全部治ったって」


 ラルフが何か言う前に、レナが肩を竦めてそう答える。

 その彼女の表情から見て、未だにラルフの言葉を半信半疑していることは明らかだった。


「ああ、怪我はもう問題ない。それで、何か手伝えることはないか? 何でも言ってくれ」

「お~っ、それは助かるけど……病み上がりだろ? 大丈夫かね?」


 ジョエルが少し心配げにそう聞くと、またラルフの代わりにレナが答えた。


「いいよ、ジョエルさん。何かやらせてみれば?」


 その刺々しくも聞こえるレナの言葉が意外だったのか、ジョエルは少し面食らった顔をしてラルフに言ってきた。


「まあ……そうだな。でも病みあがりの体に、あまり負担が掛かるといけないからな。きついようなら言ってくれよ?」

「ああ、わかった」


 ラルフの無愛想な返事に、本当にやらせていいのか判断がつきかねていたジョエルだったが、やがてくわを一つラルフに手渡した。


「それじゃ……これを持ってくれ」

「ああ。それで、俺はこれで何をしたらいい?」


 鍬を受け取ってそう聞くラルフに、ジョエルが恐る恐る尋ねる。


「えぇと……ラルフ君、と言ったかな? 君、畑の仕事をしたことはあるのかい?」

「いや、一度もやったことはない」


 堂々とそう言い切るラルフに、ジョエルは軽く苦笑を浮かべては丁寧に説明し始めた。


「もうすぐ春だからな。種蒔きに備えて畑を耕して土を柔らかくするんだ。こっちの畑は去年は使ってないから、土を整えないと作物が育たないからな」


 そう言ったジョエルは、ラルフに渡した鍬とは別のものを持ってきて肩の上に持ち上げた。

 そしてそれを振り下ろして地面を掘り、引きずるようにして土をひっくり返す。


「ほら、こうやって土を柔らかくしていくんだ」

「……なるほど」


 頷くラルフを見て軽く微笑んだジョエルは、今度は自分が掘り返した土を指さして説明する。


「それと、こうやって掘り返してみると土の中に石とか雑草の根とかが結構いるだろ? あれをできるだけ一緒に取り分けるのがコツさ」

「なるほど……奥が深いな」


 ジョエルの説明に何度か頷くラルフを見て、妻のアンナが口元を押さえて笑う。


「あの人ったら、はしゃいちゃって……。ごめんなさいね?」


 そうラルフに言ってくるアンナの言葉に、ジョエルも照れくさそうに頭を掻きながら笑う。


「そ、そうか……? 何かすまんな、ラルフ君」

「いや、問題ない」


 それに対し、ラルフは相変わらず感情の読み取りづらい顔で短くそう答える。


「それでジョエルさん、私達はどっちから始めるかな?」


 レナがそう聞くと、ジョエルは少し考えて一つ上の段差にある畑を指差して話した。


「そう……だな。それなら、この上の列を頼めるか? ラルフ君が土を掘り返して、レナが雑草と小石の取り分けていけば少しは楽だろ?」

「ああ、了解した」


 それでラルフは上の段の畑に入り、さっきジョエルがやったように鍬を持ち上げ、土を掘り返す。

 そんなラルフの動きを見ていたジョエルが笑いながら言ってきた。


「おおー、やはり若い人は違うな! その調子で頼むよ」

「……ああ」


 ジョエルに一度視線を向けてから、ラルフは再び目の前の土に視線を戻す。その隣をすれ違いながらレナが小声で言ってきた。


「よかったね、駄目出しされてなくって。……ジョエルさん、私には鍬とか持たせてくれないんだよ?」

「そうなのか?」

「うん、なんか深くまで掘り返せてないからって」

「……そうか」


 それから二人共に黙々と作業に取り掛かる。時折ジョエルがラルフを気遣い何か言ってきた程度で、静かな時が流れる。

 土を掘り返すのは思ったよりも中労働で、自然とラルフの額にも汗が流れた。

 ……だが今のラルフにとっては、何も考えず体を動かしている方が、じっとしているより心休まる感じがした。


「…………」


 腰を伸ばして流れる汗を手の甲で拭う。すると森を抜けてきた涼しい風が体を冷やしてくれた。

 その風から微かな樹液と土の匂いを感じて、ラルフは目前に広がる畑一帯を見渡す。


 静かに自分の仕事をしている人達の動きから、忙しさはあまり感じられない。

 その長閑な風景に何となく目を奪われ眺めていると、前の方からレナが話しかけてきた。


「どうしたの? やっぱ疲れた?」

「……いや、問題ない」


 少し心配そうに自分を見上げる彼女にそう答え、ラルフはまた鍬を持ち上げた。


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