第9話 『失った道標』

 山は日が暮れるのが早い。ラルフ達が村に戻った頃には、もう辺りは真っ赤なオレンジ色に染まっていた。

 そして村長の家で簡単な夕食を食べた後には、もうすっかり夜になっていた。


 ――パチパチ……ポッキ、パッチパチ……。


 後ろの暖炉から薪が燃え、時折それが割れる音がしてくる。

 ラルフは一人窓辺に立って村の全景を見渡していた。他の家から微かに漏れる淡い光で辛うじて人里であることが分かる以外、周辺は完全な暗闇に覆い隠されていた。むしろ空に浮かぶ星々と三つの月の方が遥かに明るく見える。


「……平和すぎる、ここは」


 ラルフがそう独り語を呟く。

 夕食の後、ラルフは村長のエルマンに頼んで空いた家の一軒を借りることにした。そして村長宅の斜め後ろにある家、ほとんど物置として使っていた小屋で寝泊りすることを決めた。


 その家を借りたの理由は二つ。

 一つは元々村長の家が村長とレナの二人暮らしで、部屋も二つだけだったこと。そしてもう一つは……ラルフにとってはこっちの方が重要で、この小屋が村のある坂の一番高台にあることが理由だった。

 これで村全体を見渡せるし、万が一の場合にも対応することができる。


「ふぅ…………」


 自然と漏れてくる溜め息を飲み込んで、ラルフは窓際から離れ上着を脱いだ。すると、左肩から胸と腹部までを巻いた包帯の姿が見えてきた。それをラルフは何ともなさげに解いていく。

 床に包帯が落ちてくる音が薪の燃える音に混ざる。そして包帯を全て解いたラルフの体は、傷はおろか傷跡すらほとんど残ってはいなかった。


「……予想より早かったな」


 自分の体の調子を確かめて、ラルフはそんな感想を口にする。

 再び上着を着たラルフは、厨房から水を入れた水桶と布切れを持ってきて寝台の前に置く。

 そして壁に掛けておいた自分の剣を取って寝台に座った。


 ――ギギギギッキキ……ッ


 鞘から剣を抜こうとすると、何かが詰まって擦れる耳障りな音がする。そして暖炉の火に照らされた剣身は赤黒くこびり付いた血で汚れていた。

 それをラルフは水で濡らした布で丁寧に拭いていく。布が汚れたらそれを水で洗い流し、また剣身を拭いて布を洗う。

 その作業を淡々とこなしていくと、汚れていた剣身が徐々に鋭く透明な輝きを取り戻していく。


 ……そうやって黙々と作業を続けていたラルフの手が一瞬止まる。そして彼の視線が剣から離れ、天井の方を見上げた。

 天井に積もった埃と染みは、年月と共に一つの模様のような形の成していた。それが薪火でゆらりと蠢くようにラルフの目に映る。


「俺は…………どうすれば」


 物心つく前に戦争が起き、物心がついてからは戦場の中で生きてきた。

 だがもう祖国は滅び、戦争も終わった。帰る場所も、家族もとうの昔になくなって消えている。


「俺は……っ」


 これから何を以って、何の為に生きるのか。先の事がまったく見えてこない暗澹な気持ちの中で、ラルフは再び自分の剣に視線を落す。そしてまた剣を磨き始めた。

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