第8話 『堕ちた王都』

「……それより、俺が倒れていたという場所がどこか確認したい。そこに案内を頼む」


 レナの提案に、ラルフは少し考えてからそう答えた。


「えっ? でもその体で行くのはちょっと、どうかな……」

「ここから遠いのか?」


 難色を示すレナの反応に、ラルフはそう聞き返した。

 山と森に囲まれたこのような場所では、視覚頼りでの距離感はあまり当てにならないからだ。


「いや、そんな遠くはないけど……お前、怪我してるんだろ? あそこまでの道って結構きついから心配してるんだよ、レナは」


 横でティアンがそう補足すると、ラルフは再度レナに確認する。


「そうなのか?」

「うん、まあ……。山道だから傾斜も結構あるし、足場も悪いから」

「構わない。案内してくれ」


 ラルフの静かな、だがどこか有無を言わせない声に、レナも渋々と頷く。


「……それじゃ、付いてきて」

「起き上がってすぐ山越えとか、やっぱ本物の兵士は違うな! 鍛え方が半端ないぜ!」


 なぜか興奮気味でそう叫んで先頭を走るティアンを一度見て、ラルフはすぐレナの後ろをついて行く。

 そして村長宅の裏から森に足を踏み入れた途端に道がなくなり、村の姿も見えなくなった。周りを見渡しても鬱蒼とした木々が広がっているばかりで、方向感覚すらあやふやになってくる。


「……この道で合ってるか?」


 しばらく歩いて、ラルフは前を歩く二人にそう尋ねた。

 レナとティアンといえば、険しい山道にも慣れた様子で、軽い足取りのまま前を進んでいた。


「うん、もうすぐだから」


 後ろのラルフを視界に収めてレナが返事を返す。ラルフは首を傾げてはレナに再び質問した。


「迷わずまっすぐ歩いてきたが、どうやって道を覚えているんだ?」 


 周りはもはや空を覆い隠す巨大な木々と、ラルフの腰近くまで伸びた草で道標になり得るものは何一つ存在しない。

 それなのにレナとティアンはどうやって道を覚えているのか、ラルフは不思議に思った。


「うん…………そんなこと、考えたことなかったな。私は山菜を取りにこっちによく来るから、何となく覚えてるんだけど」


 そんなレナの曖昧な返事に、ラルフはまた首を傾げては呟く。


「自分にとって庭のようなもか……」


 余所者にはわからない感覚があるんだとすれば、まあ納得はできる。結局ラルフはそう思うことにした。


「あ、でもでも、よく来る場所でも少し道を外れると迷ってしまうから気をつけてね」


 そこまで話したレナが、今度はティアンの方を見て言ってきた。


「でもティアンって、今まで山菜取りには来たことないよね? 何でここまでの道がわかるの?」

「そりゃ……この先の崖から王都が見えるからな、ちょくちょく見に来てたんだよ」


 何だかばつの悪そうにティアンがそう話すと、レナは少し頬を膨らませた。


「それなら手伝ってくれてもいいじゃない、何でこっそり一人で来るのよ?」

「へっ、そんなかったるいことできるかよ。……それより、そろそろ着いたぜ?」


 ティアンの話通り、ラルフ達は少し開けた場所に出てきた。

 辺り一帯の地面に薄く霧が漂うそこには、色んな類の食用野菜と、薬に使う草や花などが生殖している場所だった。


「俺は……ここに倒れていたのか」

「うん、あの森からここに出るところに倒れていたの」


 レナが再び続く森林地帯と、この山菜取り場が終わる境界を指差して言ってきた。

 確かにリックという自警団の青年が言っていた通り、裏山をずっと上ってきた場所のここは、彼の話に出てきた屯所がある村の入り口の谷間とは正反対の位置だった。


「んで、あそこからもうちょっとだけ行くと崖があって、そこがまたすげぇんだぜ?」


 自慢げにそう語るティアンに、ラルフは少しだけ周りを見渡した後に話した。


「その崖の方にも案内してくれ」

「ああ! ついてこいっ!」


 喜々として前を走るティアンに、後ろからレナが注意する。


「あまり走ると危ないよー!」


 だがもう木々と草に埋もれてティアンの姿は見えなくなっていた。

 その代わり、ずっと先の方からティアンの声が木霊してこっちに響いてくる。


「何してるんだー? 早く来いよー!」

「……まったく、あの子は」


 困ったような顔で頬を膨らますレナ。そんな彼女がラルフの方を見上げて言ってきた。


「私たちも行こっか?」


 そしてまた森の中に入り、前から催促するティアンの声に従って少し進むと、ラルフの耳に今まで聞いてきたのと違う音が混ざってくる。


「……近くに水場があるのか?」


 どこからか、水が流れるような音が確かにラルフの耳に入ってきた。そしてその音は段々と強く激しいものへと変わっていく。


「へへ、まあ自分の目で見てみろって」


 意味深にティアンがそう話した直後、森地帯が終わったのか前方の木々の間から強い日の光が差してきた。

 そして森を抜けると、周辺一帯の視野が完全に開けた崖の上に出る。


「これは……すごいな」


 その崖から、険しくも深い谷が伸び伸びと続いていくのを一望に収めることかできた。

 そして谷の道を囲う無数の峠から滝のように水が流れ落ちてきて、それが谷間に集まってくるさまはラルフとしても壮観と言わざるを得なかった。


「へへっ、な? すげぇだろ?」


 隣でティアンが胸を張る。ラルフは言葉の代わりに、ゆっくりと頷いて答えた。


「春が近づくと山の上から雪が溶けて、こうやって谷間に落ちてくるの」


 レナも谷のあちこちから流れ落ちる滝と、その上に薄く張った虹を見ながらそう話す。


「……王都サリエン」


 そして続く谷間の先の先、その最果てには王都サリエンの姿があった。それを目にしてラルフは一人そう呟く。


「王都が光った次の日は一日中ずっと煙が上がってたんだけど、今は何もわからないな」


 ラルフに視線に気づき、ティアンも王都の方を見ながらそう言ってきた。確かにここから王都の姿は視認できる。でもさすがに中の様子まで知ることはできない。

 ただ、ぽっかり折れた王都の象徴、マウアの塔の半身が未だ恥辱塗れの姿で空へ延びかけたまま立っていて……それが逆に王都陥落の事実を如実に物語っていた。


「……王都から直接こっちに人が来ることはあるか?」

「うん……どうだろ。さっきリックも言ったけど、普通この谷を人が登ってくるのは難しいんじゃないかな?」


 レナが唇に指先を当ててそう話す。ラルフは足元の崖に視線を向けた。

 ……確かに、この崖をよじ登るのは難しいだろ。少なくとも軍隊単位での作戦行動は不可能に近いと見て差し支えないと思えた。


「なら、山の下から村まではどうやって人が行き来してるんだ?」

「そうだね……まず麓に少し大きい村があって、そこから町を三つ挟んでべデルハイクっていう大きい都市があって、更にそこからもっと行くと王都……だと村長が言ってた、かな?」


 少し自信なさげな様子でレナがそう答える。そして最後に一言付け加えた。


「まあ……私はこの村から出たことないから、全部村長から聞いた話だけどね」


 レナの話が本当なら、王都からこの村まで直線距離は近くても、人が通れる道を辿れば相当な遠回りになる。

 それこそぐるりと外周を大きく回って来ないと駄目のようだった。


「どにかく山から下りるには、まず麓の村まで行かないとな。他の村のやつらも全部そうしてるみたいだし。まあ、その麓の村まで行くのも丸二日は行かなくっちゃならないけど」


 ティアンが頭の後ろに手を組んで、遠くの王都を見ながらそう話した。


「他の村? ……他にも村があるのか」

「峠を越えた先にいくつかあるよ? こっちから直接行くのは無理だけどね」


 レナが目の前に見える険しい峠の先に視線を向けて答える。それをティアンが補足して話した。


「だから麓の村じゃ月に一回、市があるんだよ。そこで色々売ったり、買い物とかしてくるってわけ」


 そんなティアンの話を聞いてラルフは考える。今まで直接見たり聞いた内容からして、少なくとも今すぐ帝国軍がこっちに来ることはなさそうだった。

 ……そもそも、王国の人間でも存在すら知らなかった山奥の小さな村まで、今の帝国がわざわざ軍を向ける理由などないだろ。これで当面の安全は確保できたと見て良い――そう考え、ラルフは小さく溜め息を吐いた。


「そろそろ帰ろう? もうすぐ日が落ちるし、ラルフさんも何か食べないと」


 自分を見上げてそう言ってくるレナに、ラルフも頷いて答えた。


「……ああ、そうだな」


 確かに太陽はもうすぐ山の間に隠れそうな場所まで動いていた。そうなると山の中では往々にして、急激に周りが暗くなり一瞬で夜が訪れる。


「…………」


 踵を返してからラルフはもう一度振り返って、前に広がる王族の谷と、その先にある王都サリエンの姿を目に収める。

 無骨に折れた塔とは反対に、ただ見ているだけなら平和そうにすら見える王都の姿が……ラルフの目にはあまりにも異質なものに映っていた。


「おーーい、何してるんだよ! 早く帰ろうぜぇー」


 前を歩くティアンの催促する声に、ラルフはやがてその崖から背を向け歩き出した。

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