第5話 『目覚め』
ゆったりした鼻歌と、何かの布が擦れる音で男は目を覚ました。
最初ぼやけていた視界が段々と鮮明になっていく。そして目を刺す日の光に眉間に皺を寄せた。
「…………ここは、いったい」
周りに視線を走らせる。木造の部屋独特の匂い。窓辺からの陽射しが男が寝ていた寝台まで延びていた。そしてわずかに開かれた部屋の扉……音はその外から聞こえていた。
「くっッ!?」
男が身を起こそうとすると、体の至るところに痛みが走る。
その呻き声に、部屋の外から聞こえていた鼻歌がピタリと止まる。そして扉が開かれ、手に布切れと針を持った一人の少女が入ってきた。
「あ、起きたんだ?」
それは利発そうに見える茶髪の女の子だった。
好奇の目でこっちを見てくるその少女に対し、男は乾いた声で聞き返した。
「……誰だ、お前」
警戒するような男の声にも関わらず、少女は平然と笑いながら答える。
「私はレナ。この家に住んでるよ? んで、あなたは二日前に森の中で倒れていたのを、私が発見したってわけ」
少女から視線を外さずその一挙手一投足を見ていた男は、彼女の話を聞いて何かを考えるそぶりを見せた。
「それで、あなたの名前は? どこから来たの? どうやってここまで?」
その少女、レナの質問に男は再び顔を上げて彼女の方を見る。
自分が名乗ったからそっちも素性を明かずのが当然……とかの理屈は関係なく、ただただ純粋な好奇心に満ちた顔がそこにあった。
「……ラルフだ」
そんな少女の雰囲気に毒気を抜かれたか、男は溜め息混じりに名前だけを告げた。
「ラルフ……さんね、わかった! あ、そうだ、ちょっと待っててね、すぐ人を呼んでくるから!」
そう言い残して彼女が部屋を飛び出る。慌しい足音が木の床に響く。そしてすぐ二人の足音に増えて戻ってきた。
「おぉ、目が覚めましたか」
レナと一緒に入ってきたのは、杖を持った一人の老人だった。
歳のせいか腰が曲がり、顔にも深い皺を刻んでいるその老人は、温和な笑みを浮かべてそう話した。
「あんたは? それに……ここは何処なんだ」
その老人とレナを交互に見て、ラルフはそう質問した。
「そうですな……ここは王都から北東の、ケレント山脈の中腹にある村です。まあ地図にも乗ってない、小さな村ではありますが……。そして私はこの村の村長をしている者です、兵士殿」
王都サリエンの北面を覆い尽くす王家の谷は、ケレント山脈から分岐する尾根に繋がっている。
自分の現在位置を把握したラルフは、しかし村長の最後の言葉に自然と眉を吊り上げた。
「傷の手当をした時に、鎧と服を見ましてな。鎧にある紋様……あれは王都守備隊のものと記憶しています」
ラルフの問い詰めるような視線に、村長はその温和な表情を崩さないままそう話した。
だがその後、少し固まった表情になって次の言葉を投げかける。
「それで王都は……どう、なりましたか?」
そんな村長の問いに、ラルフは少し間を空けては吐き捨てるように事実を述べた。
「王都は陥落した、帝国によってな」
「やはり、そうでしたか……」
目を閉じて唸るようにそう呟く村長に、ラルフが怪訝な顔で聞き返す。
「なぜ、王都が陥落したこを知っている? もうここまで噂が回っているのか?」
レナという少女は、ラルフが二日間眠っていたと言った。だったらラルフが王族の谷を伝って王都から脱出したのが三日前ってことになる。そしてここは、さっき言った村長の言葉が確かなら相当の山奥に位地する。
そもそもケレント山脈は険しいことで有名で、麓ならともかく中腹に人が住んでいること自体、ラルフには初耳の話だった。
そんな人里離れた場所まで王都が落ちたことが知れ渡っているのか……それもだった三日の間に?
「いや、そうじゃなくって。三日前の夜、裏山の向こうが白く染まったんだよ、一晩中ずっと」
そんなラルフの疑問に、村長に代わってレナが答える。それを村長が補足した。
「この村の裏山を越えた先が王族の谷でしてな。更にその先には王都が……そして夜を通して王都で火の手が上がり、傷を負った兵士殿まで現れたとなると……」
「……そうか」
最後は言葉を濁す村長に、ラルフは短くそう答えた。そして寝台から体を起こす。
「えっ、何? どうしたの?」
急に起き上がるラルフを見て、レナが目を丸くして聞いてくる。
それに構わずラルフは辺りを見回して、部屋の隅に置いてある自分の荷物……剣と鎧を発見すると、それを回収した。
「世話になった、礼を言う」
二人に軽く目礼するラルフ。それを見てレナが慌てて言ってきた。
「えっ、まさか出て行くの? まだ傷も治ってないよ?」
「動けないほどじゃない」
そう言ったラルフは腰に剣を差した。そして自分の鎧を見て、その手の動きが止まる。
「……一応汚れは落したんだけど、ほとんど壊れてて」
レナが申し訳なさそうにそう話す。
確かに酷く凹み、繋ぎ目も壊れていて、もう鎧としての機能は失われていると言ってもいい状態だった。
「それより、まだ傷も塞がってないのに出て行くのは無理だよ。ここから麓の村まで行くのも丸二日はかかるんだよ?」
そんなレナの言葉に続き、村長もラルフに聞いてきた。
「それとも、どこか行く当てでもありますかな……?」
村長のその言葉に、荷物を纏めていたラルフの動きが一瞬止まる。
確かに……ただ王都から離れることだけを考えてここまで来たが、ここからどこに向かうかの当てなど、ラルフには存在しなかった。
今やリヒテ王国全土が帝国の手中だ。それなら、自分はどこに行けば良い……?
「まずは傷が癒えるまで、この村でゆっくり療養なさると良い。その間、これからどうするかを決めればよろしいのでは?」
「……しばらく世話になる」
少し考えて、ラルフはそう返事を返した。
まだ体が万全の状態とは程遠い。それに……今の王国がどういう状態かなど、状況把握すらできていない現状で迂闊に動き回るのは得策ではないと思えた。
「ふふ、それじゃ食事の用意するね? 二日も何も食べてないから、お腹空いたでしょ?」
笑顔でそう言ってくるレナに、ラルフは軽く首を横に振って答える。
「いや、悪いが……まずは外の様子が見たい。構わないか?」
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