第5話
背後で、扉が開く音がした。
エブリンが帰ってきたのだろうと思い、狼を手放してソファに戻る。そして入ってきたのは、その手に薪を抱えたエブリンともう一人、エブリンと少し似た容姿の女性だった。黒い髪を長く伸ばし、釣り目がちな眼でレオを見ている。睨むような視線。ロールが話しかければ、彼と同じような笑顔を浮かべた。きつい印象は柔和に変わる。
「ありがとうございます、エブリン。それと、久しぶりですね、エラ」
「久しぶり、義兄さん」
「途中で会いまして。っと、レオ。マッチは何処かしら」
「あー……多分、ここら辺に」
エラ。ミラの姉である彼女は、首にマフラーを巻いていた。白い糸で紡がれた、温かそうなもの。少し不格好なそれは手作りであると分かる。レオはそれに見覚えがあった。理由は明白だ。それは玄関近くの棚に置いていた筈の、ミラから貰ったものだっだ。
「……おい、エラ」
「これは私のものだが」
「俺のだぞ?」
「うっさい黙れ」
エラは悪びれもせず、白を切る。空に何か浮かんでいるのだろうか、その眼は少し上に向けられていた。
「……お前なぁ」
「黙れゴミ」
「こら、エラ。それはレオの物なのでしょう? 返しなさい」
「嫌。これは私がミラから貰った物だ。愛情たっぷりの」
「愛情たっぷりの、レオに渡した物でしょう」
「私の」
「はは、三角関係、というやつだね」
酷く騒がしく、つい溜め息を吐く。賑やかなのはどうも苦手だった。折角の静かな生活も、彼らが来れば粉々に崩れてしまう。
エブリンがマッチを探し出し、暖炉に放り込む。先程まではなかった薪に火花が咲き、じりじりと焦がしていく。狼は一度嬉しそうに唸り、またゆっくりと眠りについた。
楽しげだ。家族のやりとりは心安まると以前ロールが言っていたが、レオにはどうも理解できなかった。息を吐く。それは透明で、この場に居る誰も気付いていないだろう。じっと見詰める。
「レオもそれ、気に入っているんだろう?」
「……まぁ、な」
少し返答が遅れたのは、耳に入るその言葉が何を指すのか、思い出していたからだ。白いマフラー。けれど贈り物であるから、レオは曖昧に頷く。
「こいつには勿体ない。釣り合わない」
「まったく、妹離れなさい」
「嫌」
「……はぁ、ミラに作ってもらえよ」
「もう頼んでいる」
「……そうか」
「それはそれとして、お前が貰うのは気に入らない」
「……そうか」
溜め息を吐く。それに追随する淡い苦笑が、二つ。口笛も付いていた。自身の行動に他人が付きまとうのは居心地が悪く、眼を窓の外に遣る。相も変わらず雪は降り、窓の向こう側では灰のような道を作っているのだろう。
「……はぁ、仕方ない。一旦譲ってやる」
「……どうも」
「レオ、怒るべきだよ、ここは」
適当な返事を投げて誤魔化す。怒るべきと言うが、果たして何に怒るべきなのだろう。エラがレオを嫌う理由も、ミラを大切に思う理由も知っている。それは順当な物であったから怒りなど抱けないし、怒りを浮かべるのは面倒だ。そんな思考を見透かしているのかいないのか、ロールは微笑を浮かべる。エブリンがくるくるとマフラーを剥ぎ取り、レオに投げ渡した。
「ほら、エラに取られないところに隠しておきなさい」
「……何処に?」
「そうね……寝室の棚の中とか?」
「埃まみれですが」
「……掃除なさい」
使わない場所をわざわざ掃除しようとは思わない。やはり、この家はレオに不相応過ぎる。無用の長物でありながら、しかし必要な物。酷く空虚で、徒労感ばかりを作り出す物。それがこの家に対するレオの印象だった。思わず、溜め息を吐き出した。
「どうした、疲れてるのか?」
「……別に」
早く帰ってくれないだろうか。せめて仕事の時間が来れば良い。真白の雪を窓の外に見る。息のような窓が、レオからそれを遮っていた。重苦しく和やかに、時間は過ぎていく。
「……いや、疲れてる、な。寝るわ」
「は? ……あぁ、お前会話戻し過ぎだ」
大して時間も経っていないだろうにと内心ぼやきながら、レオは瞼の裏の砂嵐を見詰める。エブリンが告げたソファで眠るなと言う旨のお小言も忘れ、見詰め続ける。いつしかレオは、見詰めることすら忘れていた。
心傷の檻の中 妖精のコート @haisai2
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