第4話
夢を見ていると、気付いた。いつか誰かが言っていたが、夢だと自覚すると、見たい夢を見られるらしい。そのときはそうなのかと頷いてしまったが、眉唾だと知って後悔したものだ。
だが、見たいものを想像すれば見られるというのは理解できた。まぁ、レオにとっては見てしまう、なのだが。
今のも、それだった。雪が降っている。薄暗い空の下、視界が歪んで抱き寄せるそれが悪魔のように揺らめいていた。
必死に、必死に何かを叫ぶ。届かない何かを叫ぶ。
「私は*******」
言葉が、聞き取れなかった。覚えている。独りぼっちなの、だ。だけど聞き取れないのは、聞きたくないとレオが耳を塞いでいるからだ。
その言葉に一体どれだけの苦悩が詰め込まれていたのだろう。レオには分からない。ただ、不信感が、恐れが、侮蔑が背後から突き刺さって、必死に口を作ろうと何も無い顔を掻き毟っているだけだった。
罪悪感。後悔。しかし一番に心を占めているのはそんなものではなくて、誰も彼もにそれを知られているように感じてしまう。
「お前のせい****」
お前のせいじゃない。そんな声が聞こえた。恨みだけが込められた皮肉が、正面から届いた。
必死に、口を作って。
「ごめん」
ようやく出てきたのは、そんな言と血だった。叫びたかった言葉は、伝えなければいけない言葉はそんなものではなかった筈なのに、それが出た。白い何かが口から出て行き、伝えるべき人はいつの間にか消えていた。
言い訳ばかりが、傍に居た。
*
瞼を持ち上げる。のそりと上半身だけを起こして、伸びをした。それからカレンダーを睨みつける。
今日は、嫌な日だ。日付を囲む丸と三角がそれを示している。憂鬱な気分に溜め息を吐こうとすると、その前に欠伸が出た。
「飯……」
声を出す。義務的な生活を思い、しかしどうでもいいかと寝転がる。どうせ、彼らが来るのだから、と。
窓の外をちらりと見遣る。瞼を閉ざしても、仄暗い空から降りてくる雪が砂嵐雑じりの暗闇に残っていた。
想像する。自分の口がなくなるのを。口がなくなったら、きっとレオは息を吐ける。嘘が喉に突き刺さることもなく、ただ曖昧に笑うだけで過ごせるのだろう。もしそうなれたら、どれ程いいだろうか。口がない。そんな言い訳を笑って言えたら、どれ程。
時間ばかりが過ぎていく。外の生活音も話し声も幽かに聞こえるだけで、静寂を殺すには足りなかった。冬への怒りとか怯えとか、そういう付き纏う異物感ごと脳が凍ってしまったようにぼんやりとしている。
しかし、安寧というものは矢張り空しいもので、すぐに瓦解を知らせるドアベルの音が響いた。優しく刺すような、音。それを聞いてしまったから、レオは立ち上がる他なかった。
様々なものを踏みつけて、扉へと向かっていく。妙に体がゆったりと動く。まるで体の中の粒のような何かが離れ離れになりかけているようだ、と感じ、そこでようやく、ああ、腹が減っているのかと知った。
腹、と言うよりは腕。長く、よく使う腕が燃料の不足を如実に教えてくれる。だからレオは腹が減っただとか、そんな言葉の端々にすら異物感を抱く。だからと言って何かを食べたいと思わないのも、また。
扉を開く。雪の降る中、其処には恰幅のいい黒髪の男が一人と、その少し後ろに金髪の女性がいた。どちらも壮年を少し過ぎた辺りだろうか、どことなく落ち着いている。そして、足元には激しく叫ぶ黒い狼。今にも飛び掛ってきそうなその狼はしかし、飛び掛ってくることはない。何度も何度も叫ぶだけだ。それでも恐ろしいものは恐ろしいのだが。
「お久しぶりです、レオ」
「久しぶり、ロール、エブリンさん」
「ええ、お久しぶり。元気にしていたかしら?」
「まぁ、ぼちぼち」
何をもってして元気とするのか、レオはそれを知らないが、返事はこれでいいだろう。中へ入るよう促すと、二人は礼を言い潜り込む。狼もまたそれに追随した。噛まれないだろうかと心配を抱き、どうでもいいかと思い直した。
彼らを部屋に上げた途端、エブリンが呆れた声を出す。
「またこんなに散らかして」
彼女が溜め息混じりにそう言うのは、いつものことだった。二人は器用に空いた隙間を跳ねて移動している。狼はお構いなしに物を踏ん付けて。
「……あら、薪も切れてるじゃない」
「私もあまり人のことは言えませんが、ここまで酷くはないですよ」
「……生活はできてるので」
「「当たり前です」」
声を揃えて責める二人に肩を竦めながら、仲がいいななんて考える。ソファの上に転がっていた衣服を放り投げると、また二人がぴったり溜め息を吐く。
「ちょっと薪を取ってきますね。他にも、色々と」
「ええ、お願いします」
「ありがとうございます」
エブリンは仕方が無いといった様子で、廊下へと身を翻して出て行った。狼もそれに従ってくれればいいものを、しかし冷えた暖炉の前に座り込んで見向きもしない。
ロールと共にソファに座り込む。数秒の沈黙の後、ロールから口を開いた。
「仕事は大変ですか?」
「いいや、別に。見てるだけだからな。それと、敬語」
「ああ、ごめん。つい、ね。しかし見てるだけじゃあないだろう、魔物が現れるんだろう?」
「……数も少ないし、あってないようなものだ」
「流石、英雄なだけある」
ぎゅっと、心臓を掴まれたような気がした。皮肉。込められた侮蔑が、見え透いてしまう。
「止めてくれ、そういうの」
「おや、いいじゃないか」
「痛々しいだろ、なんか」
「まさか! そう言われる程の偉業を為したんだよ、レオは」
「……殺しただけだろ」
英雄なんて空々しい肩書きの裏側にあるのは、大量の殺害だった。だから、それを聞く度にレオはどうしようもなく恐ろしくなる。お前が殺したと指を指され、賞賛したその指で首を絞められるような感覚が、心臓を刳られるような感覚が、付き纏う。
苦しくなって、ソファから立ち上がった。暖炉の前に行き、黒い狼を持ち上げる。驚いたのか狼は体を一度撥ねさせ、何度も何度も叫んだ。酷く、恐ろしい。
「俺はきっと、狼に殺されるんだ」
ぽつりと溢した本音。ロールは、そう言ったレオに優しい眼を向けて、その眼と同じ声色で慰めを口にした。
「まさか。レオは強いし、それに、レオが倒したのは魔物なんだ。生き物なんかじゃない。気に病む必要はないんだよ。……それと、クロードは犬だ」
そう、魔物。魔物は生き物ではないのだから、殺したとは言わない。倒した。倒すべき相手。
そう心に浮かべて思い込もうとして、しかし透明な水になっていく狼の姿が思い出されてしまった。
違うんだよ。魔物だって、生きてるんだ。そんなことが、言いたくて。
「どっちも一緒だよ」
口を衝いて出たのはやはり、そんな言。
狼がまだ、叫んでいる。
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