第2話
レオが災厄と呼ばれる存在を知ったのは、いつだったか、曖昧な程小さな頃だった。終わらない冬と獰猛な魔物を生み出す、不老不死の化け物。そう聞かされて、レオはよく分からないと答えた筈だった。
レオは冬以外を知らない。花咲う春も、熱篭もる夏も、木の葉舞う秋も、見たことがない。雪積もる冬でずっと生きてきたのだから、実感がないのも当たり前で、それでもその"災厄"を恨む大人たちが不思議で仕方がなかった。
「昨日、さ」
魔物に関しても同じだった。恐ろしいものと言われても、やはり見たことがない。奇っ怪な姿の魔物も、動物に似た魔物も、聞いただけではふーん、としか思えず、脅威という認識はなかった。
ただ、魔物に関しては、兵士になってから出会い、その脅威を知った。
だがそれでも、災厄に対してはよく分かっていなかった。
魔物と災厄がどう繋がるのか。それが分からなくて、ぼぅっと魔物を倒していたことを覚えている。
「マフラーを貰った」
「……ミラさん?」
「あぁ」
そして、災厄を初めて見たのは、一年も経たない、極々最近のことだ。
化け物だ、化け物だ、と騒がれていたから、さぞ恐ろしい姿をしているのだろうと想像していたのに、恐怖の象徴とされていた壁の中の檻に居たのは、寒そうな少女が一人。
獣の耳も尻尾も、歪な筈なのに違和感を感じさせない、化け物と言うよりも物語の中に出てくる亜人(物語によっては亜人も化け物とされるが、そうではない方の)と言ったほうが納得できる。
窮屈なマフラーを、くいと引っ張った。
「……暖かそうね」
「……まぁ。エラにはまたどやされたけど」
「……ふっ」
やはり、化け物には思えない。動かない体も、表情も、平坦な声も、人間離れしていると言われたらそうと答えるしかないが、だから? と返してしまう。
レオにとっては、寒そうな少女だ。"災厄"でも"化け物"でもない、ただの少女。だから、見兼ねてこう言った。
「なぁ、ハウ」
「……何?」
「要るか? 白は好みじゃないんだ」
「…………」
多分、それは失言だった。少し寒さが増えて、雪の玉が現れる。
レオは立ち上がって剣を抜いた。彼女は、ハウは何も言わない。
雪の玉がまた犬を形作って産声を上げる。その数は6匹。十分多いというのに、レオは緊張することもなく、何が悪かったのかと考える。
たまにあるのだ。何かを言ってしまって、彼女が黙ってしまうことが。
そのときは魔物さえ倒しきれば、話は続いていくから、レオはそのうちに自らの台詞を見直す。
……あぁ、そうか。そういうことか?
白。彼女の色だ。彼女からしてみれば、自分の色を否定されたように思えるだろう。
レオにそんな意図はなかった。レオ自身が纏う色として好みでないだけで、色単体としてみれば白が一番好みだ。
透明な血が飛び散った。魔物は溶けてまた雪になる。雪から生まれて雪になる。その光景が何故か目に付いた。白い息を吐き出して、剣を仕舞う。そしてまた、息を吐く。
檻の方に戻って、座り込む。ハウは黙っていたが、少しすれば口を開いた。
「要らないわ」
「……そうか」
いつの間にか、太陽は隠れて雪が振り始めた。暗い中、地面に積もる雪が光っているようで、妙に幻想的だった。体に雪がかかって冷たい。鎧も冷えている。
「俺に白、似合わないだろ」
「……そう?」
「あぁ。お前の方が似合う」
そう言うと、ハウはまた押し黙った。けれど、それは苦しさからではない筈だ。
少しすると、また平坦な声が響いた。そこには優しい呆れのようなものが含まれていて、レオの顔に微笑が浮かぶ。
「要らないわ。貴方の物だから」
「そうか」
レオは気付かなかったが、ハウも少しだけ、笑っていた。
それから、ぽつぽつとよもやまの話をした。基本はレオが話を振って、それにハウが何かを答える。ハウから話をすることはあまりない。魔物は時々現れて、そのときは会話を中断した。
何時間も経ったか、永遠のような世界が溶ける音がした。重厚な扉が開く音。それを聞いてレオは立ち上がる。
「……また」
「……さようなら」
この会話もいつものことだった。そして、魔物が現れることも。たった一匹が現れて、レオは歩きながらそれを殺した。
もう一度、大きな音。そうしてこの閉じた世界に一人の怯えた男が入り込む。
その男と入れ違いでレオは外に出て、背後で扉が閉まる音を聞いた。
息を吐く。妙に冷たい。
門番に見送られながら、街へと戻る。街は灯りがついていて、円の中よりも明るい筈なのに、暗かった。
門をくぐって、街の中へ。誰も近付かないまま、家へと向かう。
だがその前に、一人の少女がレオを見て、肩まで伸ばした金の髪を揺らしながら駆け寄ってきた。
「レオさんっ! お疲れ様です」
「……あぁ。ミラ、ありがとう。暖かかった」
ミラという少女は、緑色の眼を嬉しそうに細めて、どういたしまして! と言った。
正直に言うと、レオはマフラーが好きではない。首に何かを巻くことが窮屈で嫌だった。けれど、人の好意を拒む程のことではなく、じりじりと首を絞められるような感覚を感じながら使っている。
何かを話していた気がする。だが、ミラが何と言ってレオが何と返したか、覚えていなかった。
ぼぅっとしていることに気がついたのか、ミラは心配そうな顔を作った。
「レオさん?」
「ん……あぁ、いや、何でもないよ」
「そうですか? ……レオさん。お仕事、やっぱり危ないですよ」
レオは顔をしかめないように気を付けた。
レオは他人が苦手だった。というのも、誰も彼もが"冬"を嫌っているからだ。
「レオさんなら、他のお仕事もいっぱいありますよ! なんたって、レオさんは英ゆ――」
「いいよ」
レオは異端だった。"冬"を嫌わない裏切り者。昔からそれがバレたらどうなるのかと考えて恐ろしくなって、嘘をついて合わせたものだった。
最近は人脈が非常に細くなって楽だったが、やはりミラのように話しかけてくる人物はいる。
「……そう、ですか」
「ありがとな」
そう言って、レオはミラの頭を撫でた。
たとえ考えが違っても、彼女はレオのことを思って言ってくれているから、嫌うわけにもいかない。レオは彼女が赤ん坊の頃から知っていて、妹のようにも思っている。
「も……もうっ、子供じゃないんですから止めてください!」
「はいはい」
ミラは顔を赤らめながら、わざとらしく頬を膨らませる。その顔に少しの不満のようなものが浮かんでいるのは、レオは気付かなかった。
すぐに、レオの家に着く。通りに面した少し大きめの一軒家。レオ一人では持て余す大きさだ。
「じゃあ、また」
「はい! また明日!」
ミラの笑顔に見送られながら、レオは扉の向こう側へと消える。そして、息を吐く。マフラーを丁寧にとって、玄関近くの棚の上に置いておく。少し進んで部屋の中へ入る。
その部屋にはキッチンが併設されていて、食器棚やら本棚やらクローゼットやら、家具も多い。色々なものがテーブルを飽和して部屋の中にまみれている。
レオはその中で鎧を脱ぐと、乱雑に放った。がしゃりと酷い音がするが、どうでもいい。ただ、剣だけは危ないから、テーブルの上に落ちないように置いた。
酷く、疲れた。落ちた毛布を踏んでソファに寝転がる。寝室もあるにはあるのだが、移動が面倒臭くてレオは基本、この一室と風呂とトイレだけで暮らしている。
寒い。耐え難くなって、レオはマッチを探した。暗い中では見えにくいが、レオが使い終わって放る場所は大体決まっている。その辺りを探せばすぐに、とはいかないが見つかる。実際、五分位でそれは見つかった。
マッチを擦る。レオはこの動作が苦手で、いつもは数本折ってしまうのだが、今日はあっさりと火がついた。それを暖炉に入れる。暖炉の前だけは、燃えないように物を退けていた。
「……寒い」
マッチから薪に火が移る。けれどまだ部屋は寒いままだ。暖炉の前で座って、その火を見る。
ゆらゆらと揺れるその火を見つめることに意味があるわけではなく、じっとしているうちに考えはあれやこれやと移っていった。
「……薪、買わなきゃな」
ぽつりと溢して、なくなった薪を見る。
行商が来るのは明日だったか、明後日だったか。風呂用の薪を使えば足りるだろうか。
火で指先まで温まった筈なのに、生活のことばかり考える脳は冷たいまま。透明な息を吐いて、レオはどうでもいいと瞼を閉じた。
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