心傷の檻の中

妖精のコート

第1話

 その日は珍しく、雪が降っていなかった。陰鬱さを纏っていた雪達も太陽の眩しさにきらきらと目を輝かせている。

 レオはそんな雪と対象的に、不機嫌な顔で朝日が多く入り込まないようにと目を細めていた。


 辺りはまだ朝早いというのに、大人も子供も関係なく外に出て久々の日光にはしゃいでいる。不機嫌そうな人物は、通りを早足で歩くレオ一人だけだった。

 雪が降らなくても気温は低く、街ゆく人々は厚着をしている。レオもまたそうだったが、方向性が違った。

 重そうな鉄の鎧に身を包んで、腰には大きな片手剣を下げている。他には白いマフラーを巻いているだけで、黒い髪も露出している。

 兵士であることが一目見ればすぐに分かる格好をしていて、笑わない強面な顔と相まって、他の人々を威圧しているようだった。事実、(それが理由かはさておき)誰も近づいていない。


 誰とも話さないまま、レオはヴァイスの街を覆う石の壁に行き着く。

 其処に立つ門番に怯えた目を向けられながら、悠々と街の外へ出た。街から出てしまえば、視界いっぱいの雪が何処までも広がっている。青空の先には雲が現れていて、また雪が降ることをレオは知った。


 息を吐く。白い。吸い込めば冷たくて明瞭な空気が肺に届いて、また息を吐く。

 その白が水分であるということを知っているが、昔から何か大切なもの(所謂、魂だとか、そんなところ)のように思えていて、レオは昔は息を吐き出すのを躊躇ったものだった。

 今は、違う。かと言って、その迷信を信じなくなったわけではない。


 太陽が沈む方向へ足を進めていると、目の前の人工物が嫌でも目につく。

 ヴァイスの街を守る灰色の石壁より少し色が濃く、大きく円を描いている壁。

 それがヴァイスの街から近いとも遠いとも言えないところに離れて立っていて、其処がレオの仕事場だった。

 少し歩けば、門番の同情や怯え混じりの目線が分かるようになる程近付く。


「お疲れさん」

「……」


 レオが隣を通る頃には、門番は俯いて地面の雪を見ていた。

 声をかけても、返事はない。レオはそのまま門の中へと、壁の中へと歩み続けた。寂しいものだ、と内心笑う。勿論それをおくびにも出さずに、粛々と通り過ぎた。

 まぁ、本当に寂しいと思ったかと問われれば、否、と答えるだろう。ただ、悲しいことだとは思った。それは他人からレオ自身が嫌われていることに対してではなく、他人がこの冬を嫌っていることが、だ。冬と殆ど関わりのないレオですら怯えられてしまう程、冬は、或いは災厄は一人ぼっちだ。

 それが、いやに苦しかった。だからレオは晴れの日が、いつもよりはっきりとそれが見えてしまう明るい日が嫌いだった。


 だが、この石壁に関しては、あまり嫌ってはいない。恐れを表したような厚さも、それによって生まれた冷たさも、レオは何となく好んでいた。

 壁の中を歩んでいると、壁とトンネルはどう定義されるのか、などと考えてしまう。壁と言うには厚すぎて、トンネルと言うには薄すぎて。この壁、或いはトンネルがどちらに分類されるかという疑問に、結論はまだ出ない。まぁ、今は壁でいいだろう。


 その壁を、抜ける。中途半端に広い真白の円の上には、真ん中にたった一つ、目星一m四方の小さな檻があってそれ以外は何もない。

 入り口、または出口の近くには一人の男が居たが、レオの姿を見ると耐えきれないといった様子で走り去って行った。

 どうやら左手に怪我をしているらしい。鎧が歪み割れて犬のような咬傷が赤色に見えている。それを見てレオはどうするでもなく、ただ去るのを見送った。


 檻に近付く。檻の中には、一人の少女が居た。小さな檻の中で赤い眼を雪に向けて、小さく蹲っている。

 一番に眼を惹くのは、何よりその長くて白いその髪だろう。

 雪の中に紛れてしまわない白い髪が、きっとぴしりと立った少女の身長よりも長く伸びて、檻の床に多く垂れていた。ただその髪は整理されていないからか、ぼさぼさで傷んでいるのが目に見える。

 少女の体を覆うのはぼろきれ一枚だけで、頼りない。少女より少し大きいようで、蹲ることで弛み、また穴も空いており、ちらちらと体が覗いている。その体はひどくやせ細っていて華奢だ。

 そして少女には、獣の耳と尻尾が生えていた。髪から流れるように自然にぽんと二つ、大きく立った、先が毛によって尖った犬の(狼のようにも見える)耳と、入り口の反対側に寄った少女の後側から、檻の外に出すわけでもなく窮屈そうに少女の左側から前方へと回されている、やはり毛が豊満で鋭い白い尻尾。それは彼女が、人ではないことを示していた。


 レオは、異形の少女に臆すこともなく、檻に近づく。変化は数歩で現れた。

 ―――何処からか、白く淡い粒子が生まれる。雪に紛れて見えにくいそれは、雪をさらさらと吸い取って、あるものを形作る。

 中心に球体が現れる。それはだんだん大きくなって、横長になっていく。

 荒々しい体毛、ふさふさの尻尾、折れ曲がった後ろ足、円らな瞳、鋭い犬歯、尖った耳、獰猛な唸り声――。


 雪でできた犬。それが計三体、円の中に生まれた。もしかしたらそれは狼なのかも知れない。だがレオは狼と犬の違いを知らず、犬だと認識している。だからそれは、レオの中では犬だった。


 彼らは全員がレオをじっと睨んでいて、敵意が隠されていなかった。

 それでも、レオは足を進める。

 レオの左側に居た一匹が、レオに仕掛けた。後ろ足で雪を蹴り、爆発かと見紛う程雪を巻き上げながら、飛びかかる。その先にはレオの頭があって、噛み付かれたらレオは呆気なく死んでしまうだろう。

 しかし、そうはならなかった。レオは一歩下がってそれを避けると同時に抜刀し、右側からかかってきた狼に向けて振り下ろす。ぐちゃりと雪とは思えない、瑞々しい果実の潰れる音が響き、透明な水が飛び散った。

 前後からかかってきた二匹を避けながら、一匹の開いた口に剣を突っ込み、噛み千切られる前に振るい、地面へ叩きつける。叩きつけられた犬は口から下が裂けて絶命。

 最後の一匹は、レオからかかった。着地した瞬間にくるりと器用に回った犬を渾身の力で蹴り飛ばす。小さな檻にがしゃんと当たった犬は悲鳴を上げたが、中の少女はぴくりとも動かなかった。その犬に即座に近付き、立て直す暇も与えず、叩き潰した。

 透明な血が少女にかかっても、やはり少女は反応しない。


 レオは息を吐き出すと剣を仕舞い、少女を見た。少女は何も言わない、動かない。

 がしゃり、と座り込む。檻に背を預けて、壁の上から覗いてくる太陽に目を細めた。

 先程の争いが本当にあったのかと疑問に思ってしまう程、静寂が円の中を満たしていた。まるでこの円の中で世界が完結しているような感覚。たった二人しか居ないこの世界は、外よりも妙に寒かった。


 息を吐く。白い何かが掻き消えていく。

 黙っていたレオが、ぽつりと独り言のように呟いた。背後の少女に向けたものだというのに、そうとは思えない程淡白に。

 けれど、それは確かに少女に向けてのもので、いつも投げかける言葉だった。


「寒いな」


 そう言って、また息を吐く。少女の言葉を待つ。

 少女はじっと、じっと動かずにいて、けれど耐えきれなくなったのか、レオが来てからようやく体を動かした。とは言っても、口だけだ。他の部分は動かさず、平坦な声を独り言のように投げかけた。


「えぇ、寒い」


 その言葉は、会話が始まる合図だ。

 一人ぼっちの二人は、寒さを紛らわすために言葉を紡ぐ。その姿は、"英雄"と"災厄"という肩書きだけならアンチテーゼであっても不可思議ではないというのに、どこか似通っていた。

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