第32話 近所っていうか、もはや庭感覚。
「はいはい、はいよ〜……とぉ?」
インターホンの音はなんでかテンションが上がるものである。というのも、家に誰かが遊びに来ることはほぼ皆無の俺にとって、インターホン=ネットで買ったものが届く合図なのだ。
で、土曜日の昼前。ヘッドホンをしていようものなら気付かずスルーした自分を責め、加えて再配達させてしまうことへの申し訳なさに苛まれるところだった。幸いにも、音量ミスって反射的にヘッドホンを外したというなんとも微妙な助かり方をしたわけで。
けどその幸いを打ち消すどころか余裕でマイナスにしていると言っていいほどの、ほぼ皆無に当たる可能性が玄関前にあった。いや、いた。
「やっほー彩也、暇だから遊びに来た」
徒歩一分圏内にお住まいのご近所さん、紫音が来た。
太ももをギリギリまで露出したデニム生地のズボンに、紐しか肩の部分がない、これまた露出したダボついたシャツ。こいつ、私服まで女装っぽくなってきてないか……?
「俺の期待を返せ。今日の夜は祭りになる予定だったのに」
「勝手に期待して勝手に失望しておいて返せとは酷いなぁ。泣いちゃうよ?」
「好きにしろ」
「あ、ほんと? じゃあお邪魔します」
「どこを曲解したら入っていいって意味になんだよ」
もう曲がってるどころかワープだろそれ。お前も宇宙人だったのか。
勝手知ったるなんとやら、さらりとお一人様がご来客しました。もう好きにしてくれ。
服が大きいせいで靴を脱ごうと前屈みになった一瞬、鎖骨とその奥の白い胸元が見えて若干エロさを感じてしまった。もちろん胸はない。逆にあったらビビるわ。
「どうかした?」
「人間って色々いて面白いよな」
「?」
まあ通じるわけない。
「茶持ってくから、部屋行っててくれ」
「ありがとー」
ぱたぱたと白い靴下が二階に消えていくのを見送り、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出す。と、奥にビールが隠れていた。姉貴よ、腐る前に取りに来るか捨てるぞ。
あとは食器棚から適当にグラスを引っ張り出して持っていく。
「部屋片付けたの?」
「久遠呼んだときにな」
ローテーブルにお茶とコップを置き、俺は作業用の机、紫音はベッドに座る。
「へぇ、なんか普通の男子高校生って感じ」
一応、普通に男子高校生なんだけどな。
初めて久遠を家に呼んだときに片付けて以来、最初は部屋が広くなった感じに落ち着かなかったけど、今となっては慣れてしまった。あと押し入れから出してくるのがめんどい。
「そういえば、西園さんと喧嘩してるんだって?」
「お前の情報網すごいな。どっから入ってくるんだよ」
「女子の裏情報を舐めちゃいけないよ。何から何まで筒抜けだよ」
お前女子じゃないだろ。まともな男だとも思わないけどよ。
「ま、風の噂でね。クラスの女子がひそひそと」
習志野が流したのか……? いや、あの人が自主的に流すとは思わないな。てことは雰囲気で感じ取ったやつがいるのか。すげぇな女子。敏感すぎだろ。
「で、それを俺に伝えてどうしたいんだ?」
「ほぼ確でカフェでのボクの発言が絡んできてるでしょ?」
……さすが紫音、聡いな。
「あたりってことで話を進めるけど、ボクも一応、悪かったとは思ってるんだよ。だから仲直りに手助けできることがあるならって今日来てみたんだ。あと暇だったから彩也を弄りにもね」
「素直な報告ありがとう。でも別に、手助けはいらねぇよ」
「そうなの? もう仲直りしたとか?」
「いや、そうじゃないけど……」
むしろ、その逆の意味でだ。
仲違いからの契約破棄。無視し続ければ自然消滅。
なにもされないことこそ、すべて解決するに必要なことなんだよ。
「ねぇ彩也、これは?」
「んあ? ああ、久遠の忘れ物」
相川さんに取らせにくるとか言っときながら、結局、放置されたままだったな。
「へー、ちょっと拝見」
「おい、女子の荷物だぞ」
紫音は聞いてなかった。もしくは聞く気がなかった。もしくは聞いた上で開けた。そういやよく見る宇宙人の顔、どこに聴覚器官があるんだろうか。
「まさか、付き合って早々に家に連れ込んで、夜な夜なあんなことやこんなことをするような人になっていたなんて……成長したね彩也。お母さん涙出てきちゃった」
「ただアニメ見てただけだけどな。てか親なら泣いてないで止めろよ」
いや俺の親ならまじでそう言いかねないけど。
遠慮なく久遠のパジャマらしき服を抜き出しては、下手な棒読みを披露してくる。
「そもそも、夜通しアニメ見せ続けて俺を染めたのはお前だろうが」
「最初のうちはね。途中から自主的に見に来るようになった気がするけど?」
「面白いもんを自粛する気はない。昔から俺はオタク精神に忠実なんだよ」
「それはそれは、いい心がけだね」
そりゃどうも。
「けど、その日は泊まって行かなかったけどな」
「なるほど、そこで喧嘩したってわけね。それで、どう仲直りする気?」
紫音、貴様も無限ループの使い手だったか……。
ああもう、めんどいったらありゃしない。
「正直言うぞ、俺と久遠の契約は終わったんだ。仲直りもなにもない」
救済を、変化を、望まなかった彼女に関わることはなにもない。
意味も義理も権利も善意も、何もかもなくして、遺されてないというのに。
「わかったら茶飲んで帰れ。お前の気遣いは的外れどころか、むしろ思い出したくないもん思い出させるだけだ。あいつと関わってロクなことがなかった……。……?」
ふと、紫音が荷物を物色しているわりには妙に静まり返っているのが気に留まった。意味もなく苛立ちまじりに打っていた電源を入れていないパソコンのエンターキーから顔を上げ、黙り込んだ紫音の方を見る。
ベッドから立ち上がっていた紫音が、じっと俺を見下ろしていた。
「……なんだよ」
いや、見下ろすというほどではない。百五十ない紫音の身長じゃ、座ってる状態でも視線を上げずに目を合わせられるくらいだ。
だから威圧的なのは、そのせいじゃない。いつだって口元に微笑みを浮かべている、表情のイマイチ読めない不思議ちゃんだったからこそ。
たしかな軽蔑が込められた視線には、圧を感じずにはいられない。
「君がそんなヘタレとは思ってなかったよ、彩也」
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