第4話 俺曰く、オタクに対する毛嫌いは往々にして偏見である
というわけで五分後。
確かに正直、オタクでもなんでもない人が初見でこれはキツいだろうなとは俺も薄々思ってはいた。それでなぜ片付けなかったのかといえば、面倒だったからだ。
とりあえずタペストリーはクローゼットの中に保管することにして、フィギュアの置いてある本棚にはカーテンを掛けて隠しておいた。
なんてことでしょう、あれだけ頭ピンク一色だった部屋が、普通の男子高校生の部屋へと様変わりしました。……なんか、一瞬で寂しくなったなぁ。
「とりあえず、これで我慢してくれ。じゃなきゃ家呼んだ意味がない」
「妥協点ね。部屋自体は綺麗にしているみたいだし、我慢してあげるわ」
このお嬢様め、つくづく上から目線なこった。
けどまあ、今日は俺の寛大な心で許そうではないか。なんたって、これから本番、色々お楽しみなのだから。
久遠をベッドに座らせ、俺は一階のキッチンからお茶を取って戻る。
「それで彩也くん、こんな場所に呼んで一体何をするつも、り……」
扉を閉めると、久遠の表情がさっと青ざめた。
「ん? どうした久遠」
「い……いえ。それで、なぜ部屋の鍵を閉めたのかしら?」
「そりゃもちろん、必要だからさ」
こんな休日の朝早くから呼び出して、時間はたっぷりある。
「いい加減説明しなさい。約束だからといって、教える義務はあるのよ」
食料は昨日のうちに買っておいたし、久遠には着替えも持ってきてもらっている。
「何黙っているのかしら。これ以上無視するのなら本当に帰るわよ」
そして、この部屋。はっ、完璧過ぎてつい笑みが漏れてしまう。
「彩也くん? ほんとに、何を……」
さてと、まずは手始めに——
「えっ、ちょっ、なぜいきなり寄って来るのっ!?」
「いや、テレビのリモコン。枕元に置いてあるだろ」
「……………………はえっ?」
なに、今の間の抜けた声? 意外過ぎてドキッとしちゃったじゃねぇか。
というか、久遠のやつは何を勘違いしてるんだ?
ともかくテレビオン。そしてテレビ台の引き出しを漁る。
「……あの、彩也くん。約束のこともう一度確認していいかしら?」
「なんだよ今更。俺はお前の恋人役して、その間俺はお前を好きにしていいんだろ?」
「ええ、その通りなのだけど。本当に何をするつもりなのよ」
よし。これで準備完了。で、なんだって? 何をするか?
「久遠、ここまで見てきて分からないのか?」
「当たり前じゃない。むしろ何処をどう見れば察せるというの?」
愚問もいいところだ。お嬢様は勉強はできても、頭は回らないらしい。
「いいか久遠、オタクが誰かを好きにしていい権利を手に入れたのならば、することなど一つに限る……」
そう、それ即ち——
「好きなアニメ布教して! オタク仲間増やすに決まってるだろッッ!」
だろっ……ろっ……ぉっ…………
とまあ、エコーは演出上のフィクションであり、実際はかかっていないのだけど。
アニメはもちろん、漫画でもラノベでもいい。笑えたり悶えたり感動したりした作品に出会ったら、この感情を誰かと共感したいと思うものだろう? けど、誰彼構わず布教できるわけじゃない。むしろそこらの一般人にアニメ勧めようものなら変態のレッテルを貼られて社会的に終わる未来しか見えない。
そこで久遠の約束だ。
好きにしていいって? もう布教することしか思い浮かばなかったさ!
「俺がお前にすることはただ一つ、アニメを見て、オタクに染まってもらうことだ!」
それも泊まり込みで。着替えはそのために用意してもらった。
「あぁ……」
さすがに大声で言い過ぎたらしい、久遠は無言で呆気に取られていた。
しばし硬直した後、はぁと深く息を吐き出すと一緒に力の入った肩を下ろし、
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
物凄いため息つかれた。地味に思ったけど肺活量すげぇな。うん、どうでもいいな。
「いえ、分かっていたわ。最初から分かっていたわよ。貴方にそんなことする度胸はないって、思っていた通りだっただけよ」
久遠は安心しているみたいだけど、俺がバカにされているのは気のせいですかね?
何やらぶつぶつと独り言を漏らすことでひと段落ついたのか、少し乱れ気味になっていた髪を払い、悠然とベッドに座り直す。
「安心したけど、高校生としての貴方の感性を疑うわね……」
何言ってるんだ……あ、そういうことか。
「お前、箱入りお嬢様に見えて意外とむっつりなんだな」
「なっ! 部屋に連れ込まれて鍵まで閉められれば誰でもそう思うわよ!」
「まあまあ安心しろ。ゲームにしろ同人誌にしろ、十八禁指定は守る男だ。リアルでも手を出す気はないし、あとお嬢様キャラはあんま好みじゃないんで。ごめんなさい」
「なぜ私がフラれたみたいになっているのよ。私の方こそ貴方のようなオタクは嫌よ」
わーってるよ。別に俺だって、お前に好かれたいだなんて思ってねぇよ。
あと、鍵閉めたのは万が一親が帰ってきたときのためだ。あの自由人二人組の行動は未知数だからな。いつ何されるか分かったものじゃない。
「んじゃまあ、とりあえず見ようぜ」
「約束だし、布教とやらをして貴方が自己満足するのはいいけど、私、アニメは日頃見ないし、貴方と同じオタクになる気もないわよ」
円盤を取り出して読み込ませていると、背中にやけに冷たい声がかけられた。
見る前からの全否定。けど、甘い。その言葉も予想済みだ。
「久遠、例えばの話だ」
「? 何よいきなり」
「まあ聞け。高校の数学の授業で二次関数を習うとする。んで、その初回の授業からできるわけないとか豪語しているやつ、久遠はどう思う?」
「どうも何も、習ってないうちからできるわけないでしょ。やってみてもいなくせに出来ないだなんて、傲慢だし偏見も甚だしい。弱音を吐くことさえ烏滸がましいわ。脳味噌から作り直したほうがいいわよ」
おおう、予想以上の悪口だ。でも、それでいい。むしろ好都合。
「んじゃあ、アニメを一度も見たことない人が、オタクを見ただけで気持ち悪いって毛嫌いしているとする。俺からすれば、何見てもないくせに偏見だけで判断しているんだ、って思うんだけど?」
「それ、は……」
途端、久遠は言葉を詰まらせる。特大ブーメラン、見事にクリーンヒット。
「そういうことだ。今のお前は数学で文句言っている奴と根本的には同じってわけ」
「ぐっ……!」
うっわ、めっちゃ悔しそう。ついもっと言いたくなってしまう。
そしてなぜ俺を睨む。理不尽だ僕何も悪くない!
「ともかく、先入観は捨ててくれって話だ」
「……分かったわよ。早く始めなさい」
「はいはい、お嬢様」
今から見るアニメも、オタク界隈だけじゃなく世間一般で人気になったミーハー作品だ。初心者入門にはうってつけだろう。もちろん俺も感動した名作である。
「んじゃ、再生と……ん?」
久遠がベッドを占領しているので、俺は直接テーブル横に座る。いつもベッド座っているからいいけど、こういう時クッションないと痛いな。いや、クッション部屋にはあるけどあれは別物だし……まあ、我慢しよう。
と、そこでふと、違和感を覚えた。
「どうかしたの?」
いや、このアニメ何度も見返してるんだけど、制作会社ってここだったっけ?
よく思い出せないまま違法アップロード云々、著作権云々の前置きが終わり、アニメ本編が始まったところで、自分の不注意を後悔した。
テレビ画面には初っ端から服ボロボロで下着を曝け出した女子が登場。と思えば敵と思わしき輩に下着さえ斬り裂かれて、謎の光さん大活躍。もう散々である。
恐る恐ると久遠の方を見ると、顔を真っ赤にしてプルプル震えていた。
「怒る前に聞いてくれ。これは別に故意とかじゃなくて、前に見た時にケース間違えてしまってたみたいでだな。お前を辱めようとか思ってないし、なんなら俺も気まずいというか……だから、無言で置き時計構えるのやめてくれません?」
「早く消しなさい。この変態」
「……はい」
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