徳島の大甕

増田朋美

徳島の大甕

徳島の大甕

彼女はどういう訳なのか鳴門線に乗った。どこかへ目的を持っていこうとしているわけではない。ただ、家に居るのはものすごくつらくて、どうしようもないので、このローカル線に乗ったのである。

JR線は、池谷駅から鳴門駅を結ぶ、駅もたったの七駅しかない、本当に小さな電車だった。一応、徳島駅から、鳴門駅まで直通になっているが、終点の鳴門駅まで、40分もかからない、本当に短い旅である。乗っているお客さんも一両につき、一人か二人しかおらず、常に閑古鳥が鳴いている、がらんどうのような電車なのだった。彼女が乗った車両なんて、お客さんは一人もいなかった。

鳴門駅に着いたらどうするか、彼女は考えた。多分きっと、鳴門駅に着いたら、電車をすぐに降りなければならない。そうしたら、どっか大きなビルディングでも探さないと。そこから始めなきゃ。彼女はそう考えていた。

若しかしたら、家ではもう家族が、自分の事を探し回っているだろうか、とも考える。でも、こういうときだから、自分の事を探し求めてパニックしているかも知れない家族に対して、ざまあ見ろという感情しかわかなかった。あれだけ、自分の事を苦しめた家族に、こういう形で復讐できるという事は、ある意味うれしいとも思われた。

今日は、最後の電車のつもりでこの電車に乗ったのだ。切符はICカードがあるから買う必要もない。彼女はぼんやりと、窓の外の景色を眺めて見る。徳島駅を出ると、暫くは市街地が続いたが、鳴門線の起点駅である、池谷駅に差し掛かると、周りは市街地ではなくて、田んぼや畑が広がる、田舎風景に変わった。


電車は、池谷駅で停車した。あまり人が出入りしない駅ではあるけれど、駅のホームには人がいた。誰だろうと思ったら、二人の男性だった。一人は、車いすに乗っていて、もう一人は立っていた。二人とも着物を身に着けていて、何とも不思議な雰囲気であった。

池谷駅は、無人駅であった。当然の事ながら、駅員はいなかった。二人がホームで電車を待っているのに気が付いた運転手が、急いで乗務員室から顔を出し、電車のドアを開けて、スロープを出して、車いすの人を電車の中に乗せた。どうして、こんな人がこんな田舎電車に乗るんだろう、と、彼女はちょっといら立った。

「どちら迄いかれますか?」

と、運転手が聞くと、立って歩いていた人が、

「えーと、阿波大谷駅までお願いします。」

と言った。何だ、それでは直ぐに出てしまうのか。それでは、五分くらいの辛抱だ。大体この鳴門線で、途中駅から乗車する人も、非常に少ないのだし、終点の鳴門駅に着くまでは、また気楽に乗っていけるだろう、と彼女は思った。

ところが。

「よう、お前さんも、気ままな一人旅か。最近は、電車がすきな女の子も多いと聞くが、お前さんもそういう感じなのかな。」

と、車いすの男性が、そう声をかけてきて、彼女はぎょっとする。その言い方が、なんだかやくざの親分みたいな、言い方だったし、着物を着ている事から、余計にそう見えてしまうのであった。

「いや、私はちょっと用がありまして。」

と、彼女はそう答えた。

「ほんなら、お願い何だが、運転手さんに手伝ってもらうのも悪いので、阿波大谷駅に着いたら、下ろしてもらえないかな?」

と、彼がいうので、そうしなければならないなと思った。

「本当にすみません。よろしくお願いします。」

一緒に乗ってきた男性が、軽く頭を下げたので、もうそうしなければならないな、と彼女は考える。

「お前さんは、地元の人?それとも、僕たちみたいに、観光できたの?」

と、車いすの人が聞いた。彼女は、どういっていいか迷ってしまう。まさか、終わりにしたくて来たなんて、言えるはずがない。

「まあ、私は、徳島に住んでいるんですけど、一寸足を延ばしたくて、この電車に乗りました。まあ、観光のようなものかな。」

と、彼女はとりあえずそういうことを言う。

「そうなんだね。何を見に来たの?僕らは焼き物をみに来たんだけど。」

また彼が言った。何を見に来たって、そんな事いえるはずがない。この電車に乗ったのは、ただ、人の少ないこの電車に乗れば、見つかりにくいだろうと思っただけなんだから。

「いや、私は、その、、、。」

答えをどう言おうか迷っているうちに、

「まもなく、阿波大谷、阿波大谷に到着いたします。」

と、車内アナウンスが流れて、数秒後には、電車は阿波大谷駅についてしまった。

「おお、ついたぜ。じゃあ、手伝ってくれ。ちょっと下ろしてくれな。」

と、彼はそう言った。そうなってしまったら、もうそうしなければと思って、彼女も座席から立ち上がる。

運転手が、またスロープをドアのところに持ってくると、彼女は、すぐに彼の車いすを押して、電車の外にだした。何だかホームがもうボロボロで、でこぼこが多いので、彼女は心配になって、電車から降りてホームに出た。田舎電車ならよくある事であるが、車いすの人にとっては、行きにくいことが多い。

「有難うございました。わざわざ、降りてもらって、手つだっていただいて、本当にすみません。」

と、立っていた男性が、彼女にそういう事を言うので、

「いえ、謝らなくても結構です。せっかくの、観光旅行、楽しんでください。」

と、彼女は言って、電車に戻ろうとしたが、

「後でお礼をご自宅に送りますから、ご住所とお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。日本では、誰かに助けてもらうことが、当たり前ではないので、お礼をしたいんです。」

と、その男性が言って、その人は黒革の手帳迄取り出したので、彼女はさらに面食らってしまった。なに!うちにお礼に何か送る?そんなことしたら、私が、ここにきていたことがばれてしまうではないか!

「ちょっと、それはちょっと避けていただきたいんですが、、、。」

と、彼女は狼狽した。

「それでは、ここでお礼を差し上げますから、一寸お待ちください。」

男性は鞄を開けて、財布を取り出した。お金何か貰っても、しょうがないと思うんだけどなあと、彼女はそう突発的に思ったのであるが、

「じゃあ、之、差し上げますから、どうぞ持って行ってください。」

と、一万円札を渡されて、さらに困った顔をした。

「あの、御金なんか、、、。」

彼女は、思わずそういうと、後で発車メロディーが鳴って、電車のドアが閉まる音。そして、がったん!と音がして、電車は走って行ってしまった。もう発車時刻を過ぎてしまったのだ。次の電車に乗ればいいかというものではない。東京のように一時間に何本も走っているような地域ではないので、次の電車に乗るには、一時間以上待たなければならないのだった。

「御金なんか要らないんなら、駅の向こう側に茶店があるから、そこでお茶でも飲んでいってもらうか。」

と、車いすの彼が言った。お茶何てしなくてもいいのになあと、彼女は思ったが、足の悪い人というのは、お礼をしっかりしなくちゃと思っているようで、直ぐに改札口へ行って、茶店への行き方を聞いたりしている。それでは、その通りにしなければだめかと思って、彼女は二人についていくことにした。三人は、えきからちょっと離れた茶店に入って、店長にいわれた通りに、奥の席に座った。

「ちなみに、僕の名前は影山杉三だ。誰でも杉ちゃんというから、そう言ってくれ。こっちは、綽名をジョチさんという、、、。」

と、車いすの人はそう名乗った。立っていた男性が、自分のことを曾我正輝と名乗って、にこやかに笑った。

「私は、、、。」

こうなったら、名乗るしかないか、、、と思い、彼女は自分の名を名乗る。

「百合子。鯖江百合子です。」

「はあ、そうなのね。鯖江百合子、どっかで聞いたことのある名前だな。僕、テレビを見ていないけど、何となく聞いたことある。」

「確か、徳島出身の、女優さんでしたね。」

杉ちゃんがそういうと、ジョチさんはそういうことを言った。もう、知られてしまったのか!それほど、私は、いろんなところから知られた存在になってしまっているらしい。

「そうなのよ。」

と、百合子は言った。

「テレビに出ているという訳じゃないですけど、小劇団のすきなひとには、私のことを知っているのかも知れませんね。」

とだけ言っておく。

「で、その女優さんがどうしてここに来たんだい?劇団の出張公演でもあったか?」

と、杉ちゃんがそう言った。ああ、言われたくないセリフを聞かれてしまったか、と百合子はがっかりと落ち込んだ。

「いえ、そういう訳ではなくて、一寸、故郷の香りをかぎたくて。」

と、百合子はそれだけ言っておく。

「はあ、そうか。帰省する季節でもないのに、変な奴。」

杉ちゃんは、コーヒーをずるっとすすった。

「まあ、何か事情があるんでしょうね。」

とジョチさんが言ったのでとりあえず、百合子はほっとして、とりあえずため息をついた。

「其れよりも、お二人はどうしてこんな辺鄙なところに来たんですか?」

と、百合子はそういうことを、好奇心から聞いてみる。

「ああ、僕たちはね、陶器の瓶を買いに来たんだよね。」

杉ちゃんが、そういうことを言う。

「陶器?」

この徳島の辺鄙な街に、そんなものがあったのだろうか。百合子は、そんなものがあった何て、こどものころから、考えてもいなかった。

「知らんのか。人間の体よりさらにでっかい、大きな甕を作ることで有名じゃないか。あれ、なんであんなに大きいんだろうな。昔の防火水槽でもしたのかな?」

「ああ、大谷焼の事ですね。」

やっと、百合子はそれだけ思い出す。名前だけは聞いたことあるけれど、そんな大きな甕を作るなんて、聞いたこともなかった。

「正確には、防火水槽ではなく、藍染めをするときに、染める布を入れるときに使うんですよ。今は、藍染めなんてなかなかやらないから、需要も減って、大甕は作らなくなりましたけどね。」

と、ジョチさんが言った。

「そうか、其れで、徳利とか、お茶碗とか、ラーメンの器を作るようになったんだね。」

杉ちゃんは、そういうことを言った。そんなものを作っていたとは、百合子は何も知らなかった。全く、県外の人に、そんな事を言われたなんて、一寸情けないような気がする。

「あいにくですが、大谷焼の窯は、みんな潰れてしまいました。残っている窯は、あと、数軒しかありません。」

と、茶店のマスターがそういうことを言った。

「ああ、一寸遠くでも構わないよ。瓶さえ買う事ができれば。」

と、杉ちゃんがそう言った。

「じゃあ、ここへ行ってみてよ。ちょっと遠いが、親切な人のはずだよ。」

と、マスターが一枚の地図を渡した。ジョチさんが、その場所を急いで確認する。

「じゃあ、一寸歩いて行ってみましょうか。この地図だとちょっと遠いですが、まあ少し歩けば、いい運動になりますよ。」

三人は、マスターにお金を払って、茶店を出た。よし、地図通りに行ってみましょうか、とジョチさんを先頭にして、道路を歩き始める。


とにかく、この地域は、鳴門市の中でも閑散区間だった。民家は少ないし、あの茶店以外、商店のようなものはない。買い物をするのであれば、みんな、鳴門の町まで車で出てしまうのだろう。田舎だから、一家に一台車という訳ではなく、個人に一台である。

「えーと、この角を右折するんですね。」

ジョチさんが、信号機のない交差点を右折した。すると、まるで昔の遺跡のように、大きな甕がたくさんふせておいてある原っぱのような場所に来た。それらの甕は、まだ釉が付いていないものもあるし、ついているものもある。近くには、半分折れたえんとつのようなものもあった。つる植物でおおわれているが、「菅野」という表札も垣間見れる。

「はあ、ここで昔は、大甕を作っていたのか。それが廃業しちまって、こういうありさまか。」

と、杉三はちょっとがっかりした様子で言った。確かに、ここは大谷焼の窯だったのだろう。でも、売れなかったとか何とかで、廃墟になってしまったのだ。

「それにしても、人間の背丈くらいあるというのは、本当なんだな。」

と、杉ちゃんは、甕の一つを眺めながらそういうことを言った。

「之、風呂桶にでもしたら、いいだろうな。」

と、杉ちゃんがまた言う。

「確かに、人間が一人くらい入れそうなくらいですね。」

と、ジョチさんが、そういうほど甕は大きかった。百合子は、ただ、その大きさに目をみはるばかりであった。こんな大きな甕、確かに防火水槽として使うにも、大量に水が入りそうな大きさだ。

「何かに使えたらいいのに。作るのも大変ですし、このままでは持ったいないわ。」

百合子は、何だかそんな事を考えてしまうほど、その甕は威厳があるような気がした。

「さあ、もうちょっと先ですよ。さっきのマスターが教えてくれた、窯元は。」

ジョチさんに言われて、三人は廃墟を後にする。暫く歩くと、また閑散区間になり、空き家ばかり並んでいる道路を歩いて行った。


「あ、向こうに煙突が見えますよ。あの辺り何じゃないですか。」

三人は、その煙突がある方へ歩いてみた。確かに小さな煙突が、窯の上から一本ニュウと出ているのが見えた。よし、行ってみましょう、と三人は、地図を頼りに、道をたどっていった。

「ここですね。」

ジョチさんは、「雨宮陶器」と書いてある表札の前で止まる。とりあえず、インターフォンを探して、それを急いで押した。

「はい、どなたでしょうか。」

小さな老人の声である。

「あの、すみません。僕たちね、大谷焼の瓶を二つ買いたいと思って、静岡から来させてもらったんですけどね。」

と、杉ちゃんが言った。

「瓶がなければ、ラーメンどんぶりとか、そういうモノでもいいや。とにかく、大谷焼を一つ欲しいんだよ。よろしくお願いします。」

「わかりました、お入りください。」

と、玄関のドアがガラガラっと開いて、一人の老人が現れた。見事に年を取っているが、でもどこかしっかりと威厳があって、上品なところがある、おじいさんという感じだった。

「窯元の、雨宮と申します。残念ながら、名刺を作っている余裕がなかったので、口頭だけでの自己紹介になりますが、すみません。」

「僕は、影山杉三で、杉ちゃんと呼んでください。こっちは、僕の友達で、ジョチさんと言う。」

雨宮さんがそういうと、杉三もにこやかに笑った。

「で、早速のお願い何ですが、陶器の瓶を二つ、譲っていただきたいんですよ。お茶を飲むときに使いたいんです。お願いできますか。」

「そうですか、、、。」

雨宮さんは悲しそうな顔をして、三人の顔を見た。

「実はもう、新規のお客さまは、お願いしていないんですよ。」

「何で?」

杉ちゃんはすぐ単刀直入に言う。

「ええ、もう大谷焼は、需要がなく、後継者になりそうな若いものもいないので、どんどん廃業してしまう窯が後を絶たないのですよ。」

雨宮さんはがっかりした顔をした。其れは本当に、そうなってしまうという表情であった。その表情は、本当にそうなってしまうという事を示していた。

「まあ確かに、藍染めとか、防火水槽の大甕は需要はないと思われるが、風呂桶として使えば、また使えるんじゃないの?」

と杉ちゃんは、単純素朴な答えを言った。

「なんだか、さっき、廃墟になった窯を見せてもらったんだけどさあ、せっかくの大甕が、申し訳なさそうに、置いてあった。それでは、良くないと思うな。なんだかもったいないよ。おじいちゃん、お願いですから、ラーメンの器でも、何でもいいから作ってください。お願いします。」

「そうですが、もう、轆轤を操作する人もいなくなってしまいましたしね。いくら持ったいないといわれても、やる人がもういないんですよ。大谷焼は、年寄りが作る、陶器であるだけ。それでは、いけないといわれても、もうやる人がいないという事ですよ。」

「そうかあ。」

杉ちゃんは大きなため息をついた。

「じゃあ、水穂さんにラーメンを食わせようという計画も、失敗ですねえ。手ぶらで帰るという事になっちゃうのねエ。折角の事だから、買っていこうと思ったんだけどねえ。」

「水穂さん?」

なぜか、その名前に聞き覚えがあった。百合子は、自分が有名人であるからかどうかわからないが、人の名前を聞くと、すぐに有名人の名前を連想してしまう癖があった。

「誰の事か知っているの?」

杉ちゃんが聞くと、

「若しかして、水穂さんと言えば、右城水穂さんですか?」

と、百合子は答えた。

「今は、現姓は、磯野だけどな。まさしくそうだよ。僕たちは、その看病人さ。」

杉ちゃんはそう言うと、百合子の表情は変わる。

「そうなんですか!あの、ゴドフスキーで有名な方ですよね。あたし、一回だけ演奏を聞いたことがありました。あの、荒々しい演奏には、すごい感動したんです。でも、突然、音楽業界から、姿を消したように、コンサートがプツンと切れてしまって、、、。がっかりしました。」

「まあ、そうなんだけどねえ。水穂さんには水穂さんの事情がありましてねエ。直ぐに引退してしまったんだけどね。」

「でも私。」

と、百合子は、にこやかに笑った。

「あたしは、右城さんにまた戻って来てもらいたいです。確かに、荒々しい演奏ではありましたが、素晴らしい演奏だったという事は、間違いありません。」

「なあ。元気になってもらいたくて、ラーメンの器か、陶器の瓶を買ってあげようかと思っていたが、これじゃあな。あきらめるしかないか。」

杉三は、笑ってため息をついた。

「待って。」

と、百合子は、そう声を上げた。

「雨宮さん、この人たちに作ってあげてください。」

「いやあ、無理なものは無理なので、、、。」

とジョチさんが言うと、

「なら、あたしが、こちらの窯でラーメンのどんぶりや、陶器の瓶が作れるようにしてみます。私、こう見えても、名は知られていますから、きっとできると思います。」

確かに、著名な女優である彼女の名を使って、寄付金を集めるなどはできるかも知れないが、でも具体的に何をするか、はまだつかめていなかった。

「私、杉ちゃんが言う通り、こんな素晴らしいものがなくなっていくのはもったいない気がしますから。」

先ほど、なんで鳴門線に乗っていたのか、を、百合子はすっかり忘れていた。百合子の、誰でもない、鯖江百合子が輝き始めた。









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徳島の大甕 増田朋美 @masubuchi4996

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