次の夏に

にこ

第1話

今回の夏もどうやら忘れられそうだ。


 2020年9月半ば、世間は年に1度の夏休みの真っ只中である。今回の夏は長くそして暑い夏になるだろうとニュースキャスターが真面目な声で言っていた。同じような事を去年も言っていた気がするが僕の生活には夏の長さや暑さなど関係ない。暑ければクーラーをつけ寒ければ暖房をつけどちらでもなければどちらもつけない。大学生の一人暮らしなんてそんなものだ。何も面白いことなんて起きない。あたりまえ。


 大学が次の冬(おそらく今回は10月頃だと言っていた)まで夏休みになった。何度経験してもこの蒸し暑い夏の退屈な日々は慣れない。夏と冬は交互に何の前触れもなく切り替わる。まるで神様がスイッチを気まぐれで押しているみたいに、ON、OFF、ON、OFF。夏と冬はどっちがONでどっちがOFFなの?とユキなら聞いてくるだろうなと思った。眠くなってきた。クーラーの温度を28度にする。ピッ、ピッ、部屋の電気を消す。OFF、、、


 テゥルルル、テゥルルル、頭の上にあるスマートフォンを取る。画面をスワイプ。

「もしもし」

「ごめん、起こしちゃった?」ユキが言った。

「いや、大丈夫。どうしたんだい?」

「今から私のうちに車で迎えに来てくれない?」

「今からは厳しいな。僕は今、君を迎えに行けるような状態じゃないよ。1時間後でいいかな?」

「うん、朝からごめんね。いつもの所で待ってる」

 朝はどうも苦手だ。脳が溶けた鉄のよう重い。スマホの画面を見ると時間は6時34分、早起きだなと思った。


 まずテレビをつける。物少ない小さな部屋を音が満たしていく。見たことのない番組が流れてた。白い綺麗な机の上に4人並んで洗練された笑顔を保ったまま話している。彼らも早起きだ。溶けていた脳がようやく形を取り戻してきた。そうだユキの家に行くんだった。時間は6時50分になっていた。鍋で湯を沸かして紅茶を入れる。湯を沸かしている間に顔を洗い、髭を剃る。いつもならパンやらご飯を食べるのだが今日は時間が無い。紅茶を飲み干しマグカップを洗う。歯を磨き、服を着替える。ハンガーにかかっている紺色のジャケットを着る。僕はいつもこれを着ていないか?確か2年前に「夏も冬もこれ一つでビシッと決まる!」みたいな謳い文句で売っていたのを買った気がする。時間は7時13分。約束の時間に遅れそうだな。


 僕らはいつもユキのアパートの向かい側にある花壇の前で待ち合わせをしている。花壇には紫色の少し背の高い花が咲いている。この花は季節や気温に左右されることなく花を咲かせると以前ユキが言っていた。花の名前は何って言っていただろうか、思い出せない。


  少し待っているとユキが来た。

「10時の約束だったのにごめんね」と助手席に乗りながらユキが言った。

「海へ行くのかい?」

「私はあなたと今日海へ行きたいわ」ユキが僕の鼻あたりを見て言った。

「海はまた次の夏に行こう。あいにくの天気だし、例のごとく夏はまたすぐに来る。水族館なんでどうだろう?」

「そうね」とユキが僕の口あたりを見て言った。


 ラジオでは日本の季節が夏と冬しか無くなってから5年がたった事を話と話の間の接着剤のように使っていた。

「四季が無くなったことで何か困った事とかあった?」とユキが聞いた。特に無いなと僕は言った。5年前は地球滅亡の予兆だなどと騒がれていたが今では僕を含めほとんどの人の生活に影響を与えていない。みんなそれがあたりまえのように暮らしている。変わったこといえば桜、桜と連呼する春の曲たちが消えたぐらいだ。


 ラジオでは夏の定番曲だった物が流れ出した。夏が来る度にあっちこっちでかけられていればさすがに人々も飽きたのだろう。最近では全く聞かなくなっていた。

「私この曲昔から嫌いなのよね。何が言いたいのか全く分からないんだもの」とユキが言った。全くその通りだと僕は返事をした。


 水族館は混んでいた。僕らは人の波に流されるように館内をまわった。館内では中国語と英語と日本語が同じぐらいの割合で聞こえてきて、人々は瞬きをするように写真を撮っていた。


 僕らは押し出されるように水族館から出た。空は曇っていたがとても明るく感じられた。隣を見るとユキも同じように思っていたらしく空を見て大きく息を吸っていた。なんだか申し訳ないことをしたなと僕は思った。


「どこかで昼食をとらない?僕は朝から何も食べてないんだ」

ユキはこの後用事があると言った。僕はユキを家まで送った。

「またね」とユキが言う。

「次の夏には海に行こう」と僕が言うと、ユキは頷いて家の扉を閉じた。ガチャ。


 翌日テレビをつけると夏が終わってた。

「今回は厳しい冬になりそうです。体調管理を徹底してください。では次のニュースです」

神様がスイッチを押したんだな。また冬が来るのか。あたりまえ。


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