「そんなんじゃない」

「好きよ、お付き合いしましょう」


「……あ?」


「返事は「イエス」か「はい」か「私も好きよ今すぐ抱いて」のどれかでお願い」


「死ね」


 ある日の昼休憩中。いつものように食堂の隅に二人分の席を確保していた私に声をかけてきた女は何を血迷ったか告白めいた言葉を押し付けてきた。意識的に目を眇め、威圧を込めて睨みつけたが、女は気にした風でもなくするりと私の隣に座ってきた。


 物言いがイカれている割に、その容貌は調和が取れて美しい女だった。可愛いというよりは美しい、端的に言ってそういうタイプで、かっこいいと評されることの多い私とも違ったタイプの美人だ。


 目は化粧分を差し引いてもぱっちりと大きめで、まつげが長く艶がある。日本人にしてはやたらに高い鼻と色素に乏しい肌色は同じ日本人の血筋か疑わしいが、瞳の色は真っ黒だ。背中まで伸ばした髪はゆなと違ってきれいな金髪で、鼻から下だけならヨーロッパの血筋を謳っても誰も疑わないだろう。


 改めて近くで見るととんでもねぇ美女だな、と私は鼻を鳴らした。


 そう、わざわざその造形を確かめるまでもなく、私はこの美女を知っている。直接の面識はないが、遠目には何度か目撃していたし噂もよく耳にした。


浅葱あさぎ一夏いつかよ」


「知ってる」


「嬉しいわ、風戸沙弥華さん」


「……あんたは何で私を知ってんのよ」


「好きな人の名前くらい、知っていて当然じゃない」


「ウケる」


 じとっと睨みながら言うとくすくすと楽しげに笑われた。

 浅葱一夏。同学年別学科の女たらし。私の同類で、だからなるべく関わりたくない手合だった。


「それで、返事は?」


「聞こえなかった? 死ねって言ったんだけど」


「ノーじゃないからイエスね」


「どんな二択だ」


「いいじゃない、風戸さん、好きでもない女の子と付き合うの得意でしょ」


「……っ、あんたに言われたくない」


 反射的に否定の言葉が口から漏れかけて、慌てて飲み込んだ。違う、と言う権利は私にはない。だからせめて、お前も同類だと言うのが精一杯で、それがこの女にとって何の打撃にもならないこともよくわかっていた。


 確かに私と彼女の振る舞いは同類だ。だけど彼女は外から見る限り、望んで何人もの女と関係を持ち、望んで別れているように見える。私は逆だ。望まない相手と関係を持ち、別れたいからではなくわずらわしいからという消極的な理由で関係を消滅させる。


 彼女にとって「同類だ」という指摘は「それが何か?」と軽く首をひねる程度のものでしかなく、反対に私にとっては「お前は最低だ」と斬りつける鋭さを持っている。私は自分の言葉で自分を切り刻んで、勝手に苛立っている。


 恋愛から遠ざかって、でも友達だけじゃ我慢できなくて、身体の関係を求めて安易に手近な相手に手を付けて、飽きたら別れて、そんな自分を少しずつ嫌いになっていく。


 私の恋愛遍歴は、ただの自傷行為の記録だ。


「ふーん、そんな顔もするのね。とても私好みだわ」


「……好みじゃない子なんていないんでしょ」


「そうかも。だからどんな風戸さんも好きよ」


 苦し紛れに返した皮肉もあっさりと受け入れて、私が欲しがる言葉を簡単に吐き出す。

 私は自分が嫌いだから、自分の代わりの誰かに私を好きでいて欲しい。誰かに好かれている自分なら、せめてこの世界の物陰でひっそりと息継ぎをすることくらい許されると思えるから。


 だから私は、好かれることにひどく過敏で、いつだって臆病になる。


「そうやってわかった風の口を利く奴が、一番嫌いなの」


「それじゃどうしたら好きになってくれるか、一緒に探ってみましょうよ」


「……っ、いい加減に――」


 これ以上聞きたくない、私の心の溝を、こんな女に埋められたくない。そんな怒りとも恐怖ともつかない衝動にかられて思わず声を荒げた時、目の前の鬱陶しい女の肩越しに別の人間と目が合った。


「…………ゆな」


「ご、ごめんね? や、邪魔するつもりはなかったんだけど、ほら、なんか険悪っぽかった、から……?」


 ゆなはいつものカレーの乗った盆を手に、気まずそうに笑う。


 どんな態度を取ればいいかわからなくて、私は呆気にとられた顔のまま動けない。……できれば、他の女といるところなんて見られたくなかった。それもよりによって浅葱一夏。学内一有名な同性愛者と、同じ嗜好の私が話し込んでいればゆなじゃなくたって勘ぐるだろう。


「え、っとぉ……私、席外したほうがいい、よね?」


「……別に、あんたが気を遣うことじゃ」


「いやいや気にするって! ほら、せっかくの百合だし、私が挟まるとか論外だし! でもその、あんまりギスってるのとか見たくないから、仲直りしてくれると……て、てゆーか! さーやちゃんも水臭いし! 彼女いるなら教えてくれても良かったじゃん、それも美人で有名な浅葱さんでしょ、もー自慢してくれたらいくらでも惚気聞いてあげたのにさー」


「ち、違う! 私は別にこいつと付き合ってなんか」


「や、いやいやいや、そういうのいいってば。あ、あー、もしかしてアレ? あたしに彼氏できないの気にしてたりする? いいっていいって、百合に勝る優先事項とか無いから、もうたっぷり惚気てくれちゃって大丈夫なんで!」


 いつもの早口。こいつは基本穏やかで視野も広いくせに、百合のことになると盲目で、まるで人の話が聞こえなくなる。悪癖だ、と常々からかっていたが、いざ対峙するとそこには絶望的な隔たりがあることを実感させられる。


 結局、ゆなにとって私は身近な百合要員なのだ。


 恋愛対象にはならない。友人として近くにいるのも、百合に抵抗がない人種だから。ソレ以上でも以下でもない、同じ条件なら、中身の人格が私である必要もない。画面越しのフィクションとそう違わない。私の価値は、彼女にとって好ましいファンタジーが身近に起こりうるかもしれないという可能性だけ。


 それなら、私が必死になったところで一体何になる? 虚しいだけで、自己嫌悪が深まるだけで、何の意味もないじゃないか。


 それなら、もういっそのこと――。


「……一夏」


「なにかしら」


 私とゆなのやり取りを黙したまま見守っていた女を敢えて名前で呼ぶ。ぴくっとゆなが反応した。そうよね、あんたが望むのは、コレなんでしょ。


「――――んっ」


 一夏のブラウスの胸元を引っ掴んで強引に引き寄せると、その唇にキスを落とした。こんな状況なのに、ふわりと香る女の匂いにくらくらする。

 たっぷり十数秒はそうしていた、と思う。息苦しくなって、突き飛ばすように一夏と距離をとった。


「乱暴。でも嬉しいわ」


 一方的で自分本位な私のキスに、一夏はにんまりと微笑む。私はそんな彼女を無視して、ゆなを振り返った。


「……満足?」


「ぇ」


「これが見たかったんでしょ。あの日みたいに」


「――っ、……っ」


 何かを言おうとして、言葉にならない。そんな風に口をぱくぱく動かした挙句、ゆなは手近なテーブルにカレーの乗った盆を放り出すと、泣きそうな顔で私を一瞥してから、足早に食堂を出ていった。


 その表情の意味はなんだろう。私に裏切られた悲しみ? それとも私への罪悪感? 答えを知りたがる私と、どうでもいいと投げやりな私が私の内側で共存する。


「カレー、勿体無いわね」


「……私が食べる」


 私のぶっきらぼうな返答に一夏は微笑む。


「なに笑ってんのさ」


「嬉しいの。私を選んでくれたってことでしょう?」


「……選ぶとか、そんなんじゃない」


「そうね。ノンケに惚れたって、そんなの選ぶ余地もないものね」


 図星をつかれて、私は返事を放棄した。ゆながカレーを放り出した席に移動して、もくもくとスプーンを口に運ぶ。

 いつも見ているばかりで初めて口にしたカレーは、こんな時だっていうのになかなか美味くて、やっぱりムカついた。

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