「いいのかよ」

「おつかれ」


 行為を終えて荒く息をつく彼女にキスをして、私はさっさと視聴覚室を出る。事後はサッパリした方だと自覚しているが、今回ばかりはそれだけが理由ではなかった。


「……ほんとにまだいた」


「だ、だって! 見てていいって言ったから」


「あーあー、別に責めてないから。静かにして」


 行為の余韻がぼんやり残った頭はまだ少し処理が緩慢で、きーきー猿みたいに喚かれるのは鬱陶しかった。それに、視聴覚ルームに残してきた彼女に気づかれるのもマズイ。


「場所、変えようか」


「え、あ、ハイ」


 じゃあねと別れてしまえばいいところを、私はごく自然なことのように目の前の変な女を誘って移動した。彼女が出てくる前にこの女をあの場から動かしておきたいというのが念頭にはあったのだが、やはりどこか呆けていたんだろう。


 二人揃って無言のまま学食に辿り着いた私達は、自販機でホットコーヒーを注いで、なんとなく隅の席に並んで座った。


「……どうだった?」


「へ?」


 誘ったのは私だからと私の方から口を開いてみたのだけど、質問の意図が伝わらなかったのか、きょとんと目を丸くする。


「さっきの、見てたんでしょ」


「あ、はい」


 こくんと頷いて、一口コーヒーを飲む。私も自分のコーヒーに口をつけた。


「っち」


「……猫舌ですか?」


「あ? あー、うん。似合わないでしょ」


 昔から言われてうんざりしていたことを先回りする。人に言われて苛立つくらいなら、自分で言った方がいくらかマシだ。


「そんなことないよ!」


「わっ」


 けれどぐっと拳を握って力説されてたじろぐ。


「大人っぽいクール系彼女とフェミニンで可愛い彼女、誰が見てもクール系がリードで実際えっちの主導権も握ってるのにふとした瞬間に熱いコーヒーに舌をやられていつもは甘えたがりのフェミニン彼女に「かわいー」って言われながらコーヒーをふーふーされて、ちょっぴりふくれっ面になりつつお世話されるのも悪くないなぁってこっそり柔らかく微笑むんだけどそれを彼女に指摘されて「別に、なんでもない」って言ったのをネタにしばらくいじられてちょっぴり空気の読めない彼女のいじりに反撃するつもりで押し倒してキスとかしちゃって「ちょっと、黙ってなよ」とかもうすごくいいと思う!」


 …………は?


「は!」


 呆気に取られた私の顔を見て正気に戻ったのか、目の前の変な女改め超変な女は「やばっ」とばかりに手のひらで口をふさいだ。


「ちちち違うんだよ、今のはその、別にからかってるとかじゃなくてね、悪気があったとかでもなくて、どっちかっていうとちょっとした邪気はあったかもしれないけどでもあの基本無害な妄想だからいや聞かせるつもりとかも別になかったんだけどただ私は似合うとか似合わないとか気にしなくても猫舌には猫舌のシチュエーションがあるからっていうかいやだからそれもほんと勝手な妄想なんだけども」


「や、落ち着けよ」


「あう」


 びしっと額にチョップをくれてやると一声呻いた後おとなしくなった。子供の頃実家で使ってたブラウン管テレビもチョップで直ったなぁとどうでもいいことを思い出す。


「あー、なに、あんたお仲間レズ?」


「や、あたしはヘテロですけど」


 ごく自然にヘテロと口にした女にしばし閉口する。レズとかホモとか、ビアンとかゲイとか、そういう言い回しはこのご時世、半端に一般層にも浸透している。ただそれらは世の中の最大多数を自負する連中が自分たちにとっての異物を選り分けたがるから浸透した言葉で、彼ら彼女ら自身を指す言葉というのは案外浸透していない。


 言葉としては知っていたとして、それがするっと口から出てくるヤツには初めて会った。


「なのにうちらのセックスが見たかったの? 興味本位?」


 別に責める意図はなく、それこそ興味本位での質問だったのだが、なぜかこの女はその質問こそ心外だとばかりにぶんぶん首を横に振った。


「違うの、あたしはその、ただちょっと、こう、ほんのちょっとばかし、人より百合好きなだけでして……」


「百合」


「百合です」


 です、はい、と繰り返し頷かれる。

 知らないという訳ではない。女が好きだと自覚したばかりの頃、そういう漫画や映画にいくつか手を出してみたこともある。ただ、そこに描かている恋愛は大概やたら甘かったり無駄に粘ついたりするようなものばかりで、もっと単純に生きれんものかと私に溜息をつかせただけだった。


 だから、別に嫌いでもないけど好きでもない。ただ、自分がソレと一緒にされるのはなんとなく気に食わない。百合、という単語に付きまとうイメージは、おおよそそんなところだった。


「言っとくけど、私とあの子は多分、あんたが期待してるような甘ったるい関係じゃないよ」


「それもまた百合なので」


「いいのかよ」


 なぜかキリッとキメ顔で言うのが面白くて軽く吹き出した。相手もまた気恥ずかしそうにへへへと笑う。


「女の子同士の関係って、全部百合だと思う……」


「幸せそうな顔で何言ってんの」


「いやぁ、今日もいい百合に出会えたことを天に感謝しておこうかと」


 百合という言葉と私自身の在り方を関連付けられるのは嫌いだったが、こいつが言うとまぁそれならそれでいいかという気持ちになる。それこそ当人言うところの、邪気はあっても悪気はないというヤツのせいかもしれない。こいつは妄想が邪なだけで、現実の私を見る目には悪意も憐憫もないから。


風戸かざと沙弥華よ」


「……っは! あ、えっと、棲脇鮎奈です」


 差し出した手を一拍遅れで握り返された。ほんのり熱のこもった熱い指が、妙にくすぐったかったのを覚えている。


 自慢できることじゃないけど、私は昔から友達が少なかった。男子といれば同級生から愛だの恋だのと騒ぎ立てられるし、女子といると悪戯にムラムラさせられるのでこっちの精神衛生上よくない。だから異性同性を問わず、私は友達を作るのに消極的だった。そんな私が目の前でへらーっと笑うこの妙な女に自分から手を差し出しているんだから、妙な話だ。


 それでも、私はどこかで感じ取っていたのだろう。この女とは相性がいい、という漠然とした、けれど確信に近いものを全身で理解していた。

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