「見てもいいよ」

 その女、棲脇すみわき鮎奈あゆなと出会ったのは去年のこと。大学も一年目を終えて、手抜きの方法も板につき始めた頃だった。


「……っん」


「ぁ、さや」


「……声、抑えなよ」


 言いながら私がぺろりと首筋を軽く舐めると腕の中の女が「やっ」と声を上げた。甘ったるい喘ぎ方が少し私を苛つかせて、けれど半分以上は演技の混じったその鼻にかかった声に安堵している自分もいた。


 第二視聴覚ルームの薄暗がりで私の腕の中にすっぽりと収まっている女とは付き合い始めて二週間程度だ。肌を重ねたことはまだなかったが、まぁそれも時間の問題だと思っていた。お互い、求めてるのはそういうものだった。


 付き合おう、と誘ったのは私からだ。でも、別に特別この女が気に入ったわけじゃなかった。


 同じ学年の別の学科に学内でも悪名高い女たらしがいて、そいつ自身も女だった。そっちのケが少しでもありそうな女と見るや手当たり次第手を出して、けれど誰一人一ヶ月以上続いた試しがない、そんな女だ。


 いま腕の中にいる、ふわふわのフェミニンなワンピースがよく似合う(それ故に私の好みじゃない)女に声をかけたのは、件の女たらしと二人でいるのを何度か見かけたことがあったからだ。女と付き合っていた女で、女たらしとも付き合えて、円満にその関係を解消しており、その後周囲ともトラブっている気配はない。彼女本人というよりは、そんな周囲の様子を見て、私は声をかけたのだ。


 真剣に付き合うのに疲れた、なんて言うとありきたりだろうか。でもそんなようなものだ。相手がいなくても欲求は溜まるし、でもこんな片田舎で敷地だけは大きい大学にだらだら通っているだけじゃあ出会える人間の数は限られてる。全くの見ず知らずの人間と肌を重ねるのには抵抗があって、ならせめて同じ大学の学生というくらいの素性は知っておきたい。


 そして都合のいいことに、女をつまみ食いするのが好きな女がいたから、おこぼれにあずかっていたと、まぁそんな訳だ。


 同じような感じで付き合った子は他にも何人かいたけど、長続きはしなかった。最長で三ヶ月。まぁそんなものだと思う。私は性欲が強い方じゃないから、時々衝動的に押し寄せる欲求をぶちまけてしまった後は相手への興味が薄れてしまう。私が誰でも良かったように、相手も大概誰でもいいものだから連絡先は消さずに「またそのうちね」って別れてそれきりになる。欲求の解消だけなら携帯に残っている連絡先を辿ればよかったのだろうけど、なんとなく、私の無精が理由で別れた人間を体よく呼び出すのには抵抗があって、建前上彼女と呼べる人間をまた作るようにしていた。


 あの女たらしと私は同類だな、と軽い自嘲を込めて笑うと「どうかした?」と彼女に声をかけられる。なんでもない、と首を振って、耳に噛み付くと「やん」とまた甘ったるい声が上がった。うぜぇ。自分で出させた声に苛立って、それでも感情とは別に彼女の匂いに興奮する衝動もあって、私は思考と欲求を切り離して、身体の主導権を欲求の側に引き渡す。


 肩といわず、手といわず。腰といわず、脚といわず。強いていうなれば彼女の輪郭をゆっくりと歪ませるように撫で付けて、そのたびに漏れる「あっ」という声に頭の片隅では苛立ちを覚えながら私の身体は熱くなっていく。


 結局誰でもいいんだろうな、と思うたびに、なぜか酷く傷つけられたような心持ちになる。そういう心の隅に巣食った澱みを欲望に任せて吐き出すのが、私のセックスだ。


「沙弥華、ここ、がっこ、だよ?」


「……私は気にしないけど」


 なんでもいいからさっさとヤらせろ。人として最低な思考が漏れ出そうになるのをギリギリ押し留めて、好きでもない恋人の顔をじっと見つめる。自慢じゃないけれど顔はいい方なので、相手が赤くなって目をそらせば私の勝ちだった。


 以前の恋人たちにそうしたように視線に熱を込めれば「さ、沙弥華が、いいなら……」と目をそらしながらもごもごと言われる。ありがと、と別に嬉しくもないのに微笑んで、身長の割に大きな胸に触れた。

 甲高い喘ぎが耳障りで、仕方ないので唇を塞ぐ。舌を差し込んでやれば嬉しそうに絡めてくる。んふ、んふ、と互いに鼻から荒い息を漏らしていると、どちらが欲情しているのかよくわからなくなる。


 映画館みたいな可動式の席に彼女を押し込んで上から覆いかぶさるようにして首筋に顔を埋める。立ち上る女の匂いに興奮を掻き立てられるのは、誰でもそうなのか、それとも私が彼女に多少なりとも魅力を感じているのかどちらだろうかと考えていると「あ」と彼女の口から行為に関係なさそうな声が漏れた。


「どうかした?」


「や、いま、誰か……」


 入り口の扉に向けられた視線で、最後まで聞かずとも察した。私としては別に誰に見られようと知ったことじゃないのだけど、教員だったら流石に面倒だ。待ってて、と声をかけた私は視聴覚ルームの重たい扉に歩み寄ると、ゆっくりと押し開いた。


「……あ、のー……」


 とっくに逃げてるだろうな、と思った目撃者は、なぜかまだそこにいた。


 肩口に届くか届かないかの長さの髪の先端だけが金色の変な髪をした女だった。どんぐりみたいな茶色くて小さな瞳がせわしなく動いて、私と、私が出てきた扉と、何もない中空を移動し続けている。私も女にしては上背のある方だったが目の前の女は私より目線が高く、身長は170近いと思われる。ただ、ガリガリという程ではないにせよどちらかというと細身で、目の前に立っていてもさほど威圧感は感じない。高校の体育でぶん投げていた槍投げの槍を思い出した。


「見てもいいよ」


「え?」


「見たいなら、見てもいいけど。でも、内緒ね」


 しーっ、と人差し指を口元に当てる。こういう時は恥ずかしがったり取り繕うより、居直った方が丸く収まる。こちらが堂々としていれば、大抵は相手の方が萎縮して、ごめんなさいって慌てて去っていくのが常だった。


 だからこの時も、私は内心この細長い女を追い返すつもりで「見てもいい」と言ったのであって、まさかそれに「いいんですか!」なんて興奮ぎみの返事があるとは思いもしなかった。


「邪魔はしませんので!」


「……あんた、よく人から変って言われない?」


「言われます!」


 なんで元気いっぱいだよ。

 先程自分で考えていたことではないが、こうも堂々とされるとこちらとしても追い返そうなんて気がなくなってしまう。私は呆れと脱力の混合物としてため息を一つ吐くと「ご自由に」と告げて中に戻った。


「だ、大丈夫だった、かな?」


 不安げな彼女に微笑んで、


「ああ、一年生だって。第一視聴覚と間違ってきたみたい。一応口止めはしておいたから多分へーきでしょ」


 私はあっさりと嘘をついた。外の変な女を気遣ったわけではなく、折角観客がいるならそのまま楽しんでみたいという好奇心が、行為を中断することを望まなかった。


 私は座ったままの彼女に歩み寄りながら、ちらりと肩越しに扉を振り返る。そうと知っていなければわからない程度にほっそりと、扉の隙間から廊下の明かりが、仄暗い視聴覚室に割り込んでいた。

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