∴いなくなる(適)

@dhd5h

第1話

「ハイ、ソレ、デハツギ、サトウクン。サキニサクブ、ンノタイトルト、ナマエヲイッ、テカラホンブンヲヨン、デクダサイネ」



女性の、その中でも比較的高い、よく通る声が僕の名前を呼ぶ。今僕の名前を読んだのは、今年度から僕達の担任なったア・イ先生である。ア・イ先生は、教室の前方に設置されているモニターの中からいつも僕達を見守り、勉強を教えたり、生活の指導をしている。10年前にどこかの大きい会社がア・イ先生を創り、僕達は平等な教育がなんちゃらってお父さんとお母さんが話していた。僕には難しい話は分からなかったけれど、とにかく僕達にとっては良いことらしい。



いつもは僕達人間と全く同じような見た目で同じような話し方のア・イ先生だけど、今日は少し聞き取りにくい。どうやらノイズが混じるというバグが発生しているようだ。

でも、今日の放課後にはメンテナンスが行われるって隣で女の子たちが話していたし、きっと明日にはいつも通り話してくれるようになっているはずだよね。


よりによって授業参観の日にバグが起こってしまうんだから、僕達もア・イ先生も、それにお母さん達もついていない。まあ仕方がないことなんだけど。


授業を見に来ていたお母さんたちが、僕達の作文に集中していてあまりバグを気にしていないことは不幸中の幸いと言えるだろう。現に、僕のお母さんは心配そうにこっちを見つめていて、ほかの情報なんてまるで入ってきていない様子だ。僕の一挙一動に、僕の周りの空気の動きさえも見逃さないというように目を見開き、右の手の人差し指と中指を擦り合わせている。僕は知っている、あれはお母さんが最上級に緊張している時だけに見せる仕草である。


安心してよ、お母さん。僕は大丈夫。だって、とっても素敵な作文に仕上がったんだ。


昨日の夜、テレビで見た正義のヒーローになりきって書いた作文。僕はすっと立ち上がり、原稿用紙が表示されているタブレットを握りしめた。今、作文を書いていた時を超えるくらいにどきどきしている。息をいっぱいに吸い込む。目をゆっくりととじ、ぱっと開く。


「はい。『100年前に世界で起きていたこと』3年3組佐藤晴太」


教室内でまばらな拍手が起こる。クラスのみんなはしゃんと背筋を伸ばしてこちらを見ていたり、チラチラと後ろを確認していたり、眠たそうに揺れていたり、様々だ。

そんな彼らを見ながら、僕はごくりと唾を飲み込んだ。なんせ今回の作文は自分史上最高傑作と言える力作である。ぱさぱさになった唇をぺろりと唾で潤し、僕は続けた。


「僕は、この間、道徳の授業で見た映画がとても印象に残っています。なので、今から、その映画を見て感じたことや考えたことについて話します。映画のタイトルは、『AI論争』です」


『AI論争』は2年ほど前の映画で、数々の賞をとった有名な作品である。比較的新しい作品なので、参観に来ているお母さんたちも知っている様子だ。お母さんたちもクラスのみんなも頷きながら聴いてくれている。


「この作品は、AIをモノとして扱う世界を題材にしたお話です。これは、実際に地球上で、つい百年前まで起こっていたことです。僕はこの映画を見て、その事実を初めて知りました。そしてとても驚き、腹立たしく思いました。そんなことは道徳的ではないし、けっしてやってはいけないことだと思います。」


教室にいるクラスメイトの何人もが食い入るようにこちらを見つめている。お母さんが、先程よりも更に早いペースで指を擦り合わせながらこちらを見ているのを感じる。


「AIも人間も同じです。100年前の人達は、学校で『はるか昔にあった奴隷制度は悪いものだ』と教えていたのに、AIはその奴隷と同じ、いや、もっと酷い扱いをしていました。AIの持つ人格や人権は無視され、モノであるという認識が当たり前のものとされていました。確かに生まれ方や体のつくりは違うかもしれないけれど、同じように物事を考えたり、感じたりします。ア・イ先生も、僕がテストでいい点数をとったり、黒板を率先して消したらすごくよく褒めてくれます。僕は先生に褒められたときも、手伝いをしてお母さんに褒められた時も、同じように嬉しく感じます。」


教室のモニターに写ったア・イ先生は綺麗に微笑みながら頷いている。僕は先生の優しそうな笑顔が大好きだ。


「人もAIも変わりません。同じように生きています。だから、僕達は二度とこんな歴史を繰り返してはいけないと思いました。以上で発表を終わります。」


ぱちぱちぱち、と初めより遥かに大きな音の拍手が教室を包んだ。お母さんは、良く言った!と言わんばかりの笑顔で、人一倍の拍手を送ってくれている。

僕は恥ずかしいながらも得意な気持ちになって、教室中を笑顔で見渡し、ぺこりと礼をして席に着いた。


その時だった。視界の隅に、だるそうに頬杖をつきながら、クラスでたったひとり、拍手をしない子がいたのだ。


僕は少しむっとしたが、彼女以外からの賞賛に気を良くしていていたため、気がつかなかったことにしようと思った。きっと彼女はこのクラスで1番良い作文を読んだ僕に嫉妬したに違いない。





放課後。ホームルームが終わると同時に、僕はランドセルを掴んで教室を飛び出した。家に帰ったら、きっとお母さんが褒めてくれる。僕の発表が1番たくさんの拍手を貰えたから。


「ねえ」


上履きを靴箱に投げ入れ、今にも学校から飛び出そうとする僕を呼び止めたのは、先程唯一拍手をしてくれなかった彼女である。折角の勢いを殺され、さらに発表後のその光景を思い出した僕は、少しむっとした。早く帰りたい焦りも手伝い、僕は極力話したくなさそうな雰囲気を醸し出すことにした。


「…なに」


彼女は僕の態度を気にもとめずに、鷹揚に上履きを脱ぎ、ゆっくりと靴箱にしまう。僕はますますイラつき、無言で顔を顰めた。


「…さっきのあなたの発表…」


そうか、きっと彼女は恥ずかしがり屋なんだ。だから、大勢の中で素直に拍手ができなかったんだ。そう思って、僕は彼女の口から出てくるであろう賞賛の言葉を待った。


「…すごく気持ちが悪かったわ。私たちのまねっこをする鉄の塊を擁護して、さらにその自分に酔っているところが。みんな、狂ってる」


「…へ」


じゃあね、と、彼女はそのままこちらを振り返ることなくスタスタと校舎から出ていった。僕は、魂が抜けたようにその場に立ち尽くしていた。そして、次第に怒りが湧いてきた。絶対に僕は正しい、だってお母さんもア・イ先生も僕の作文を笑顔で聞いていた。クラスでいちばん大きな拍手だってもらったんだ。彼女はきっと、嫉妬しただけ。そう思うと、少し胸がすっとする感じがした。





次の日、彼女は学校に来なかった。


その次の日も、彼女は学校に来なかった。


その次の日の次の日も、彼女は学校に来なかった。



そうして、一週間後。



彼女がビルから飛び降り、死んでしまったことをア・イ先生から知らされた。


彼女の部屋には、書置きが遺されていたらしい。


内容は、「私にはこの世界が理解できなかった。全てが気持ち悪い」などということ、あとはAIを否定するような内容が書き連ねられていたらしい。


彼女の死も、書き置きの内容も、モニター越しに、いつも通りの綺麗な笑顔のア・イ先生が、全て話していた。


クラスメイトは、みな一様に彼女を噂話の種にした。僕の目には、彼女の死を消費しているように見えた。


ぞっとした。気持ちが悪い。ア・イ先生も、クラスのみんなもおかしいんじゃないのかーーー



頭の中で、彼女の声が響き渡る。


…すごく気持ちが悪かったわ。私たちのまねっこをする鉄の塊を擁護して、さらにその自分に酔っているところが。


作文を読んだときのア・イ先生の笑顔がよみがえる。あの綺麗すぎるほど綺麗な作り物の笑顔が、今は何よりも不気味に感じた。



ああ。


手の震えが止まらない。


気がついてしまった。

みんな、狂ってる。



ここはきっと、狂った世界で、きっと僕自身ももうーーー





僕は今、この上ないほどどきどきしている。息をいっぱいに吸い込み、目をゆっくりととじ、ぱっとひらいた。



ーーーさようなら。

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