第21話 名づけられた葉なのだから…
カフェを出てふと足を歩道に踏み出して、そうして踏ん張りそうになる自分がいる。コンベアーで移動していた名残は私の中にしっかりと生きている。一年が経ってもふとした拍子にその習慣は私に変化を突きつける。私はその亡霊を振り切って、足を交互に踏み出す。歩く。これが前に進むと言うことなのだ。
「ノケモノ会議」が終結してから、なぜコンベアーが停止したのか。ニュースで聞いたところ、電気で動いていたコンベアーシステムがあの日から完全に壊れてしまったのだという。復旧の目処は立たず、結果として近未来の移動手段は消滅した。しかし、我々は歩くことができる。両足の運動機関は一年の長いブランクを同様の年月をかけてゆっくりと取り戻し始めている。街を挙げての旧式生活への回帰、すなわちリハビリテーションは「学校」が主導した。体育の授業のように老若男女が広い校庭の外周を走るその様はとても異様だ。小中高大一貫として成立していることが功を奏したのは、年齢別にその運動を区分けすることができたからである。「学校」は学ぶためだけの場所と認識していた私たちはその柔軟な解放に驚いた。大人たちは大学の広大な校庭で生徒らとは別に外周を走る。大人たちが居なくなれば大学の生徒らが走る。高校、中学校、小学校ではそれぞれの生徒たちが体育授業のカリキュラムをそのまま遂行するだけで良かった。大学の変化に比べるとなんとも味気ないと思った。
私は今十九歳。それでも高校三年生だ。「バケモノ」の多数出現、都市インフラの停止という非常事態は全学校の業務を一年停止させるほどの凄まじいものだった。空白の一年間を越えて、私とハナエは「学校」に登校しようとしていた。
「レオくんは図書館に行くのかい」
「はい」
ハナエが聞くと、レオくんは首を縦に振ってそう答える。レオくんは騒動が終結してから市役所隣の図書館に篭りっきりであった。司書のシリウスさんがそばに居るから、何の問題もないのだが、あの中で一体何を学んでいるのか。気にならないはずはない。しかし、南天レオはこの社会に適合しないライオン尻尾を持った超生命体だ。一年が経っても外見には何の変化も見られない。ハナエは学校教育を受けさせた方が良いかと質問した私に、首を振って答えた。
「彼は彼の望むように生きる権利がある。彼がそれを望むのならば、我々はそれを与えるまでだよ。押し付けるものではない」
私はおぼろげな答えは持っていた。「学校」に連れて行き授業を受ける彼の姿を想像するに、何だか籠の中の鳥のような窮屈さを感じたのだ。いや、檻の中のライオンか。その情景があまりにも悲しげに映ったので、私はハナエに事の是非を打診しなくてはならなかった。私たちは彼をヒーローであるというだけで利用し、危うく殺しかけた。彼をこちらの常識に無理に嵌め込もうとするのは、その繰り返しではないか。私はレオくんに「学校」に行くか、図書館に行くかという選択肢を投げた。レオくんは図書館を選択した。私はそれに従う。この世の原理で測れないものを、定規で無理に測っても、意味などないのだ。
「ヒーローには考える時間が必要よ。レオくんの好きに生きられる何かを、見つけてほしいの。」
図書館への分かれ道で、私はレオくんにそう告げる。
「僕の好きに生きること、ですか」
レオくんはその背に小さなリュックサックを背負っている。その中には今日期限切れする貸し出し本が四冊入っている。どれも星座と童話の本だった。背負う姿は重そうなのに、日光に照らされる笑顔は希望に満ちている。
彼の向かうところに、優しいノケモノがいますように。
星と星がつながって、新しい星座が生まれますように。
新しい星座には物語が語られますように。
ライオンの子は、図書館へと通じる坂道を駆け登ってゆく。
「どうかこのままでありますように」
私はそっと呟く。もし彼が大人になっても、この社会の中で有用に使われてなどならない。彼がこの世界で有用になることなど、あってはならないことなのかもしれない。有用になれば私たちはまた彼を利用するだろう。そして幾度も繰り返すのだ。イヤホンから聞こえた叫びはまだ私の心を掻き回している。私はせめて私が生きているうちは、この苦しみを私だけで背負っていなくてはいけない。
誰も、レオくんを私欲で利用しないために。私の咎は私一人で背負うのだ。
「私たちは、私たちにできることをやろう」
レオくんに背を向けて、歩き出す。ハナエはその言葉に深く頷き、歩き出した。「学校」への坂道には強い風が吹き、私とハナエの髪を無遠慮に揺らす。
私たちの一日が始まる。
「あっ、そうだ」
背後から、そんな声がする。レオくんの声だ。坂を登っていたはずなのに、大急ぎで駆け下りてくる。バタバタと足音がする。
振り返ると、ライオンの尻尾を出した男の子が、リュックサックを背負って、両手を後ろに組んで、何だか踏ん切りのつかないご様子なのだ。
お姉ちゃんである私は、そんな弟の様子が気になる。関心を向けなければ、もうどうしようもないのだ。ハナエをチラリを見る。「学校」の始業時間を気にしているからだ。ハナエは首を縦に振った。どうやら時間の余裕を持っていいらしい。
「どうしたの」
私は彼の目線にしゃがみ込む。実の弟に、こうやれていたのはいつまでだったろう。同じ目線に立って、同じ世界を見てやることを、いったい、いつからやめてしまったのだろう。ぞんざいに呼ばれるようになるのも納得がいく、と私はレオくんの茶色の目を見つめる。今度家に帰ったら、昔のように接してやろう。ちょっとは進展があるかもしれない。
しゃがみ込んだ拍子に前髪が一筋、視界に垂れてくる。私はそれを指で摘んで、整えてやる。元の前髪の中に戻して、整えるのだ。
朝にきちんと整えても、ひょんな事で乱れてしまうから、ヘアスタイルも気にしてみようか、と考えた。
レオくんはいきなり、顔を近づけると、私に擦り付け、そうして元の姿勢を取り直す。
「大好きですよ」
何を当然のことを言うのだろう。私だって命を懸けて君を助けたのだ。大好きでなかったらいったいなんだと言うのか。私は不意におかしくなって笑ってしまう。レオくんはそれに安心したのか、くるりと背を向けてまた坂道に駆け出して行った。
「何だったんだろう」
ハナエは口笛を吹き始める。古いアニメソングであることは私にも分かった。分かったが、分からなければよかったかもしれないと、私はその直後に思うのだった。だってあまりにキャッチーなその旋律は、私に事実を突きつけたのだから。火照った顔をハナエに向けると、彼女は怒るなよ、と笑ってみせた。
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