第20話 アップデート
「ノケモノ会議」を終結させたあの日から、丸一年が経った。変わったことはいくつもあるが、細かいことを挙げると切りがない。確実なのは、この街はほとんど普通の街になりつつあるということだ。普通の街とは何か。街中コンクリートの道路で舗装され、両端の狭い道に歩行者は追いやられ、中央の広大な道を自動車が幅を利かせている。横断歩道として白線が横縞に引かれる。人々はその上を信号機が青のうちに渡っていく。普通ならば三年は掛かりそうな工事も、何故かこの街では数ヶ月でそれぞれ済んでしまった。最初は車を走らせるなんて物好きはこの街には居なかった。動かなくなったコンベアーを取り外しコンクリートの地面が顔を出しても、人々は不便に思いつつも歩行に徹していた。しかし、自転車からスクーター、バイク、自動車という順番に、人々はこの街の外で営まれる「一般的な生活」を手に入れ始めていた。関所もなくなった。街の外からはメディアや産業が大量に流れ込んでくる。この街は特別だった。でも、もう過去のものになりつつある。この街の外側はこの街以上に発展した街だらけだったのだ。私はそこからやってきたのに、その事実をすっかり忘れていた。この街に残った特別はあと三つ。この街の中心にある小中高大一貫の『学校』という不思議な組織。電車の通過する駅がないこと、街と街を繋ぐ道路のその下にある大穴だ。いつかその中に行こうとレオくんは言っていたけれど、底知れぬ穴の中に飛び込むのはかなりの勇気がいる。でも私ならいつかできるだろう、そんな予感がする。
「近未来だなんて所詮ハッタリだったのさ」
切れ長の目を細めて、サンドイッチにかじりつく。泡草ハナエはニヒルな笑みを浮かべている。
外の街からやってきた商業にはもちろん外食産業も含まれている。時間の止まったようなこの街でひっそりと営まれていた市役所隣のバーガーショップはその衝撃を逃れることはできなかった。バーガーショップはなくなり、今では小綺麗なカフェが開いている。
しかし店舗が変わっても、間取りは一緒なので、ここにもかつて長椅子とテーブルがあったなと、丸椅子に座りながら懐かしく回想することもできる。
現在の延長線上に未来が存在するのならば、近未来という理想に果たして存在意義はあるのだろうか。日替わりランチを三人分頼んで席についた私とレオくんにハナエはそんな話を持ちかけてきたのだ。
「近未来」
レオくんは近未来という概念を知らない。ライオンの尻尾を持ち、ヒーローとなる変身能力さえ秘めている彼は、実のところ現在しか見ていなかった。現在苦境にある人々をどう助けるのか、それだけが彼の人生における命題だったのだ。ライオン紋の王子様への変身と「バケモノ」との交戦。彼は当然のようにその仕事を引き受けて、分不相応なのに背負い込み、危うくその命を散らしかけた。彼には自分の好悪に従って生きることさえ、十分には教えられていなかった。近未来を自力で描けるほどの想像力と余裕が彼にあるとは思えない。それと、レオくんはライオンの尻尾をまたズボンの内に隠さなければならない。この街はもう無数の他人が行き交う世界の一部と化してしまったためである。彼の本性をより広い世界に知らしめることはあまりに危険だ。選ばれた人間に対する残酷さを人々が己がうちに背負わない限り、この街は彼の安住の地とはならない。ライオンの尻尾を隠していれば、金色のライオンバッチをつけたただの男の子である。
「近未来。もしもの世界と言うべきか、それとも、あるべき世界と言うべきか」
「あるべき世界なんて無いのよ。人々が選び取った結果が、世界に反映されるだけじゃないの」
「なかなか辛辣だね。カナコはリアリズムを求めるのかい」
「世界を変えるためには行動あるのみなのよ、誰かに頼るのではなく。『ノケモノ会議』だって眺めているだけでは終わらなかったかもしれない」
「ノケモノ会議」の会場はもうこの世界のどこにも残ってはいない。あの九人の亡霊が居なくなったことで、古くから維持されてきた議会も構造を保てなくなり自壊した。後継者がいればまた別の存在として残ったかもしれない。そういえば、あの隠されていた王座についてレオくんは不思議なことを言っていたっけ。あの赤い天幕の向こう、ライオンの王が座る王座に彼自身が座らなければ、ノケモノ会議は崩壊すると。一年もの間私はそれが脳裏に残っていたが言葉にする機会はなかった。それよりも、激動の中でも彼と過ごせる一年の方が重要だった。
夏の海も、秋の紅葉も、冬の雪もレオくんは知らなかった。私はそれを嫌と言うほど知っていたから、それまで興味を誘われることはなかった。しかし、彼が私の知っている世界を見たらどのように反応するのか、私はそこに強い興味を覚えていたのだ。私が見逃した発見を、彼が見つけてくれる。私が落としてしまったものを、彼はきっと拾ってくれる。実際、夏の貝殻や、秋の風や、冬の星空を彼は拾って見せてくれた。そんな彼の秘密をあえて探ろうとはどうしても思えなかった。彼に見知らぬ世界をまだ探検してもらいたかったからだ。
もし、私が気づかなければそして行動しなければ。あの黒い蠍がやってきたあの日に、レオくんはオレンジ色の流星のまま、消えてしまったかもしれない。今でも思い返すと背筋が凍る。だから私は覚えていなくてはならない。南天レオの姉として。あの日に空を見上げた傍観者の一人として。
「なるほど。カナコは抱え込んでいるね。だから言葉に棘が付く」
「そうです。お姉ちゃんは心配症です」
「二人で勝手に、私の顔色で合点しないで欲しいな」
サンドイッチにはレタスとハムと輪切りのトマト。そして何やら酸っぱいソースが含まれていた。パンからは甘い香りがする。ほのかな花の匂い。
「ハナエはハニー味が好きなのね」
「やっぱり、君は苦手だったかい」
「いいえ。慣れてきたところよ」
小麦本来の味も好きだが、だんだんと甘い味がないと物足りないような、そんな嗜好が私の中に芽生え始めている。きっとハナエのせいだ。そしてそれを受け取る私のせいだ。レオくんは黙々とサンドイッチを食べている。
彼のことだ。自分の舌に合うか合わないかなんて考えていないかもしれない。差し出されたものしか受け取らないその姿勢は、無欲というよりも生きている実態が薄いように感じる。後で感想を聞いてみよう。私たちの飲み物はエスプレッソのコーヒーと、レモンティーと、オレンジジュースだった。
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